読書『オリンピックの身代金』(講談社文庫)奥田英朗著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『オリンピックの身代金』(講談社文庫)奥田英朗著

お友だちから教えていただいた「奥田英朗 著」に、すっかりハマっています。先日読んだのは、家族小説の短編集でしたが、こちらは文庫上下巻合わせて900ページ近くの長編で刑事ものというか、社会派もの。質量ともに重々しく読みごたえがありました。

オリンピックは、昭和39年(1964年)開催の東京オリンピックのこと。前に読んだ刑事もの『罪の轍』の舞台がその前年、昭和38年でした。著者の数ある著作のなかで、たまたま手に取ったものの時代が重なっていたのだとは思いつつも、この時代に対するある種の執着が著者にあるのだろうな、と思わずにはいられません。

そう思いつつ読みはじめたら、登場する刑事の皆さんが『罪の轍』に登場していた皆さんでした。主人公は刑事の一人なのだろうと思うのですが、『罪の轍』と同様、犯人側と刑事側、どちらが主人公なのかわからないぐらい、どちらもていねいに描かれています。そしてついついわたしは、読みながら犯人側に感情移入。東京オリンピックを底辺で支えた肉体労働者、地方から出稼ぎに出てきて東京の人柱となった人夫たちの淡々とした絶望に、この国・社会への諦めが漂いました。

つい先日の、二度目の東京オリンピック開催でも、一度目とは形を変えたさまざまな不条理があったのは想像に難くなく、それらは一般人のわたしたちの目にもわかりやすく見えていたものも多々ありました。「オリンピック開催」を免罪符にいろいろなことが突き進んでいく様子には、少なからず腹立たしさを感じていましたが、本書を読んで、それは今に始まったことでは無く、結局一度目のオリンピックの時から権力構造的になにも変わっていない(むしろ強化されている)のだろうと思いました。下々のわたしたちが出来ることは、諦めることだけなのでしょうか。小説にして、底辺の怒りを残していくことでささやかな抵抗をする。著者の社会批判を痛烈に感じた一冊(上下巻なので2冊)でした。あとから講談社のサイトをチェックして、本作は「吉川英治文学賞受賞作」だったと知りました。

読み終わって、写真を撮ろうと上下巻を並べたら、上のように風景が繋がりました。そっか、こんな風になってたんだ!と、嬉しくなり。

『オリンピックの身代金』(講談社文庫)奥田英朗著