読書『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』(角川書店)藤本ひとみ

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』(角川書店)藤本ひとみ

一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」継続中。『マリリン・モンローという女』『シャネル CHANEL』、ちょっと時代をさかのぼって『皇妃エリザベート』(1837-1898年)、さらに約100年さかのぼり『王妃マリー・アントワネット』(1755-1795年)。前半『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』が読んでいて辛くなるストーリーだったので、少し休憩して気持ちを整えてから、後半(続き)である本書に手を伸ばしました。

少女時代よりもさらに追い詰められていく後半生、どんなに辛いストーリーだろうと思いきや、『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』でのマリー・アントワネットは、少女時代にはなかった意志や強さを持って描かれていました。その悲劇的なストーリーにもかかわらず、読み手の同情を寄せ付けない強さを感じました。

小さな過ち、些細な選択ミス、少しの油断が積み重なって、知らず知らず困難な立場に追い込まれているところへ、革命という時代の流れが抗いようもなく押し寄せてくる。誰が悪いとも言えない、ただそういうタイミングであったのだと感じました。誰もがその流れのなかで翻弄されていたのだろうと。

登場人物たちが、とても魅力的でした。わたしがこれまでに読んでいる藤本ひとみさんの著書では、登場する女性がいつも(欠点も含めて)とても魅力的に描かれているのですが、本書では男性の登場人物の存在感を強く感じました。マリー・アントワネットの恋のお相手フェルセンはもちろんのこと、解釈次第では悪者にされそうな夫・国王ルイ16世の複雑さの描写がとてもよかったです。

映画も観たいし、舞台も観に行かねば!と思わせる、マリー・アントワネットの物語でした。

久しぶりにEC(Electronic Commerce)の勉強会。

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久しぶりにEC(Electronic Commerce)の勉強会。

お友だちが「少人数での勉強会どう?」と声をかけてくださって、実に久しぶりにオフラインでの勉強会に参加してきました。

ここ一年は、ビジネスでの学びもオンラインでのセミナーや勉強会ばかり。なかでも技術的な勉強会は、Zoomを使ってマンツーマン形式で学ぶことがほとんどでした。少し前にこのブログにも書いた「よろず相談」もそのひとつ。ピンポイントで「今知りたいこと」を専門家から学ぶことができて効率的だった半面、思いがけない方向に派生していくことは、ほとんどありませんでした。

さて少人数勉強会。参加者各々が持っている課題を解決していく過程で、自分の仕事においての課題と重ねて考えることができるのが、一人で学ぶのとは大きく異なる利点です。自分が気づいていなかったテーマが明らかになったり、課題解決方法としてまったく思いがけない提案があったり。やっぱり一人で黙々と考えているだけでは、世界が狭くなるなぁ、と痛感しました。

「これを知りたい」と思ったときに、直線的に答えが返ってくるのは気持ちの良いものですが、「別の課題を持った自分以外の人」が同じ場所にいることで、そこから解が多様に広がっていくことの面白さを久しぶりに実感した少人数勉強会でした。なにげない無駄話のなかにも、ヒントがたくさん。これが大人数になってくると、広がりすぎて訳が分からなくなるので、わたしにとっては、少人数がちょうどよいようです。

以下、備忘。


  • 写真がきれいならオーバーレイは外した方がベ良い。テキスト載せたいなら画像に入れてaltで残す。
  • EMS送料はその都度試算するのではなく、方面と重さでパターンを作成し選べるように。
  • タグ→サイト内検索に有効。タグを正確に、該当するものはすべて入れ直す。
  • コレクション(カテゴリー)、タグをうまく使う。
  • FB、インスタ→海外向けEC。
  • デジタルコンテンツ制作:Udemyなど参照。
  • コンテンツ+モノの組み合わせ販売。
  • Paypay払い増→ソフトバンクペイメント。
  • 手軽に画像制作→Canva。
  • それは本当に必要か?このタイミングで業務・仕組みの見直し。

おかげさまで、出かけるときには考えてもいなかった方向での事業の可能性を見出すことができました。やっぱり顔を合わせて学ぶことで生まれてくるものがありますね。誘ってくれたお友だちに心より感謝!です^^

2021年最初の藤吉憲典個展テーマは「おさらい」。

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2021年最初の藤吉憲典個展テーマは「おさらい」。

4月に入りましたね。5月に東京西麻布の桃居さんで開催される「藤吉憲典 陶展」の案内状用の器を桃居さんに送りました。毎回のことではありますが、DM用の器を選んでいると、いよいよ展覧会が迫ってきた感じがいたします。上の写真は、これまでの個展案内状の数々。いつもスタイリッシュなDMを作ってくださる桃居さんです。

今回、藤吉憲典が掲げているテーマは「おさらい」。ダンナにとって今年は焼物(やきもの)と出会って丸35年であり、独立して25年目に入る年になります。さらに次のステージに進んで行くために、このタイミングで「おさらい」をしようということになりました。基本の食器を作り直すことで原点を再確認し、そのうえで飛躍する。「守破離」の大前提となる大切なステップになりそうです。

昨年は外に出る機会が減り、作ることにより集中する一年になったことが、原点再確認への呼び水になったようです。また師を持たないダンナの「師」である「柴田コレクション」を所蔵する佐賀県九州陶磁文化館に、新たに「柴澤コレクション」が加わり、お披露目の展覧会「特別企画展 柴澤コレクション」が学び直しの機会となったことも大きかったようです。

すでに個展用の制作に入っていますが、独立当初に作っていたものなど、懐かしい顔ぶれを生き返らせる作業は、なかなか楽しそう。「あれを今作ると、こうなる」を見ることができるのは、その道のりを知っているわたしにとっても愉快です。個人的にもう一度作って欲しいものも多々(笑)

5月21日(金)-5月25日(火) 藤吉憲典陶展 桃居(港区西麻布)

肥前磁器作家・藤吉憲典の焼物キャリアの原点と道のりを眺めることができる展覧会になります。個展案内状ご希望の方は、オンラインショップ花祭窯蕎麦猪口倶楽部からお申込みいただくことができます。

マーケットイン/プロダクトアウト

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マーケットイン/プロダクトアウト

新商品開発中というお友だちと話をしていて、マーケットイン/プロダクトアウトなんて言葉(マーケティング用語)があったなぁと、思い出していました。

この用語については、恥ずかしい思い出があるのです。30年近く前、新卒入社の新人研修でのこと。研究開発部門のマネジャーがこの言葉を口にし「どういう意味か説明できる人いる?経済学部卒の人っているのかな?」と言われ、唯一経済学部卒であったわたしに視線が集まったのでした。まだ入社して数日。立ち上がったものの、緊張で頭が真っ白になり、ちゃんと説明できないまま赤面していたら、そのマネジャーがさらりと助けてくれたのでした(笑)

ごく簡単に言うと、マーケットインは、買う立場の人々に必要(求められている)という発想から商品やサービスを提供していくことであり、プロダクトアウトはその逆に、商品やサービスを提供する側から発想する経済活動になります。実際の経済活動は、きっちりどちらかという二元論的な分かれ方をするものではないとわたしは考えていますが、「発想の方向」を説明するときに使いやすい用語だと思います。

プロダクトアウトで「ものづくり」をする典型的な例として「芸術家」を思いつく人も多いかもしれません。「何を作れば売れるか」ではなく「作りたいものを作る。それが売れたらなお嬉しい」という思考回路を持っているという意味では、真です。でも、職業として芸術家である以上、それで「食べていく」のは必要なこと。たとえば教会や王様や貴族がパトロンになっていた時代、パトロンの求める絵を描き彫刻をつくっていたことを考えると、それはマーケットイン的経済活動と呼べると思うのです。

さらにさかのぼって古代の芸術を考えると、神様への捧げものとしての色彩が強くなります。ここでも「神様が喜んでくれるものを」と、壁画を描いたり神器を作ったりしたと考えると、発想の方向としてはマーケットインです。対価として求めていたのが貨幣ではなく五穀豊穣であったり無病息災であったり、というところ。実際にはそれらは等価なものとして交換できるものではありませんから、直接的に得ていたのは心の安定だった、というところでしょうか。

時代をくだって近代の芸術を考えても、たとえばパリの「サロン」を中心とした芸術の発展は、やはりサロンという名のマーケット志向であったといえます。つくる側(商品を提供する側)から見ると、「サロンで評価されるものを作れば売れる」可能性が高いので、評価されやすい傾向のものを描く(=マーケットイン)発想を持つ者が出てくる。買う側にしてみても「サロンで評価されているものを買えば(いろいろな意味で)失敗しない」という打算で作品を求める側面はとても強い。結果として「サロン」からはみ出た芸術家たちこそが、対価を求めずに自分の創作欲求を貫いた真の芸術家であるという評価も出てくるのかもしれません。

「現代においては、マーケットイン/プロダクトアウトの二元論ではマーケティングは語れない」という話を最近よく耳にする(目にする)のですが、実はそれは現代に限ったことではないのでしょう。購買行動の背景にある動機が、単純に説明できるものばかりではないのと同様に、商品(芸術家なら作品)を世に出すという行動の背景にあるものも、単純明快に説明できるものばかりではない…などということを考えていた春の午後でした。

読書『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』(角川書店)藤本ひとみ

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』(角川書店)藤本ひとみ

一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」継続中です。『マリリン・モンローという女』『シャネル CHANEL』、ちょっと時代をさかのぼって『皇妃エリザベート』(1837-1898年)、さらに約100年さかのぼり『王妃マリー・アントワネット』(1755-1795年)にたどり着いたところです。西洋史をもとにした小説で知られる藤本ひとみさんの著書のなかでも、このあたりの時代は特にお得意なのではないかというイメージがあります。

エリザベート、マリー・アントワネットの物語を生み出している背後に控える「ハプスブルグ家」。2019年秋から2020年初にかけて国立西洋美術館で「ハプスブルグ展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」が開催されていました。ちょうど同じタイミングで東京に出張していたことを思い出し、足を伸ばして観に行けばよかったと、今頃悔やんでいるところです(笑)ハプスブルク家が蒐集したコレクションと、王家の人々の肖像画の数々。エリザベートマリー・アントワネットも、絵画でその姿を確かめることができます。そういえば2017年に福岡市博物館で開催された「神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展」ルドルフ2世も、ハプスブルグ家です。上の写真はその展覧会でのもの。

さて『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』、読んでいて辛くなってくるストーリーでした。国の意思を背負って14歳で嫁ぎ、政治の道具として政争に巻き込まれていく女の子の物語。マリー・アントワネットの恋の相手フェルセンのいうとおり、「マリー・アントワネットには、客観的な視点が欠けているのだ。自分の行動を冷静に分析することができない。これを正すためには、誰かがそばにいて助言してやらなければならなかった。」のに、誰もいなかったのであり、「このヴェルサイユは陰謀の巣で、王妃様のような方が住むには危険すぎるところ」で「今の王妃様には、誰か力になってくれる人間が必要」だったのです。フェルセンが助け舟を出したときには、もう遅すぎたのでした。

この物語は『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』に続いていきます。ここからギロチン台へと進んで行くことがわかっているだけに、まさに悲劇そのものの物語が展開されることがイメージできます。ちょっと一休み入れて、気を取り直してから続きを読もうと思います。

日帰り佐賀-花祭と有田へ-花祭窯はここからはじまったのでした。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

日帰り佐賀-花祭と有田へ-花祭窯はここからはじまったのでした。

昨日3月30日は久しぶりに佐賀へ。釉薬、呉須(絵具)、筆などの陶芸材料の仕入れで有田に出かけるタイミングで、創業地花祭にも出かけ、独立から25年目に入るのを目前に、創業の原点を目で確認する一日となりました。写真は有田で踏み切り待ち中に出会った、MR(松浦鉄道)伊万里行きの1両編成。本数が少なく出会うのがレアなので、ラッキーでした^^

お天気が良く、桜もなんとかキープされている感じでしたので、お弁当を作りました。九州自動車道古賀インターチェンジから、一路佐賀へ。小城(おぎ)ETC出口で高速を降り、まずは村岡総本舗本店へ。村岡総本舗さんは朝9時から開いているので助かります。佐賀に住んでいた時は、小城羊羹の羊羹屋さんを制覇すべく、よく小城に足を運んでいました。お目当ての羊羹をゲットし、お茶をいただいて、いざ花祭へ。

花祭では、まずは昨年オープンした観光農園「花祭いちごの谷」を訪問しました。創業地である花祭。離れてはいるものの、地域のことはずっと頭と心にあります。限界集落に光を当ててくれた、代表の唐島さんにお話を伺うことができました。いちご狩りも堪能して大満足。これから長期的なお付き合いを通して、花祭のことを一緒に考えていくことができればと思っています。

昨年の台風で解体撤去を余儀なくされた創業地の古民家跡は、見事に更地になりました。今まであったものが無くなったのを目の当りにしたら、悲しい気持ちになるかもと思っていましたが、不思議と感傷的な気分にはなりませんでした。むしろこの更地を目にして、またゼロからイチを生み出す覚悟を新たにしました。事業者としてのわたしたちを育ててくれたこの土地に、必ず恩返しをしたいと思いました。

花祭を後にして有田へ。釉薬を作ってくれる佐賀陶磁器原料さんを訪問すると、ちょうど昼休みで職員さんが皆さん休憩中。そういえば有田はお昼休みは業務全体が休みになるのだということを思い出し、近所で桜を眺めながらお弁当を食べつつ待つことに。1時になると業務再開、釉薬をゲット。その後、道具やさん、絵の具やさんを回って、絵筆と呉須をゲット。創業前からお世話になっている陶房七〇八の豊増さんご夫妻にも、久しぶりにご挨拶することができました。

ダンナは定期的に有田に足を運んでいますが、わたしはほんとうに久しぶりの有田でした。九州陶磁文化館がリニューアル工事のため休館中で寄ることができなかったのが残念でしたが、これは、オープンしてからまた行くべし!もっと足を運ぶべし!という天のお告げと考えることに。久しぶりの佐賀への道中は、自然の豊かさを感じる、気持ちの良いドライブとなりました。

自家用にも贈り物にも、蕎麦猪口―見た目の楽しさと使い勝手の良さで人気です―

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自家用にも贈り物にも、蕎麦猪口―見た目の楽しさと使い勝手の良さで人気です―

日本では、三月~四月は変化の季節。進学・就職・転職・異動など、あちらこちらで別れと出会いの場面があります。なかでも今年の三月は、ここを節目に新たなステージに動く方々がいつもより多いような感じがしています。上の写真は、藤吉憲典のつくる「錦桜散し文蕎麦猪口」。赤絵(上絵)で描かれた淡い桜の花びらは、上絵具の紫色を2種類使い、散る桜の美しさを描いています。

花祭窯にも「贈り物を見繕ってもらえますか?」という急ぎのお問合せを、例年以上に多くいただきました。花祭窯の食器は、日常用途の品でありながら嗜好品的な側面も大きく、「一般的に価値がわかりやすいもの」ではないかもしれません。それを贈り物にとおっしゃってくださる背景に、相手の方に対する深い気持ち(感謝・敬意・ねぎらい・愛情などなど)があることを感じます。そして、その気持ちを載せるメッセンジャーとして花祭窯の器を選んでいただけることを、とてもありがたく思います。

一番人気は「蕎麦猪口」です。蕎麦猪口は磁器作家・藤吉憲典にとってのライフワークであります。花祭窯が目指す価値は、Democratic Luxury=庶民的な贅沢。蕎麦猪口は特にそれを端的に示してくれる存在です。シンプルでありながら造形的な美と、絵画的な美を兼ね備えていて、まさに庶民的な贅沢を実現してくれるもの。日々の生活でさまざまに活用できる「用途の美」術品であり、さりげなく感性を磨いてくれるもの

贈り物に藤吉の蕎麦猪口を指名してくださるお客さまが、「ふだん自分が使っていて、使いやすいから」「贈り物でいただいたことがあって、嬉しかったから」とおっしゃってくださるのを聞くたびに、とても嬉しくなります。ひとつ手にすると、少しづつ増やしていきたくなる蕎麦猪口の魅力。こうしたお客さまの声に支えられて、贈り物にどれを選んだらよいのかわからない、とおっしゃるお客さまには、蕎麦猪口をお勧めすることも多いです。もちろん、贈り先の方がどんな方なのかをお聞きして、別のものをお勧めすることもありますが^^

本日(2021年3月末)現在、蕎麦猪口はネットショップの在庫が補充できない状態が続いております。ご不便をおかけしております。「予約注文」でしたら、お届けまでの時間はかかりますが、ご用意できます。蕎麦猪口欲しいな、と思ったときは、ぜひご相談くださいませ。

花祭窯(HANAMATSURI GAMA)蕎麦猪口倶楽部

読書『世界は贈与でできている』(NEWS PICKS PUBLISHING)近内悠太

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『世界は贈与でできている』(NEWS PICKS PUBLISHING)近内悠太

本書も、ご近所のマイ図書館「福津市カメリアステージ図書館」の「新書棚」で発見。禅問答のような面白さで、一日で読了しました。ずいぶん哲学的な文章だなぁ、と思ったら、著者は気鋭の若手哲学者でおられました。さらにこのタイトル、どこかで見たことがある気がしていましたが、メールマガジン「ビジネスブックマラソン(BBM)」で以前に紹介されていたことを思い出しました。書評を拝見して気になったものは、やっぱり頭の片隅に残るものですね。

一日で読了と書きましたが、その実、非常に読みごたえがありました。前半(第1章「お金で買えないもの」の正体、第2章 ギブ&テイクの限界点、第3章 贈与が「呪い」になるとき、第4章 サンタクロースの正体)までは、自分の実体験に照らしてもよくわかり、納得しながらどんどん進みました。特に、お金で買えるものになったとたんに価値が下がってしまう現象の正体や、親子の愛情(関係性)を「贈与」の概念で解説するくだりは、すんなりと理解できるものでした。

後半(第5章 僕らは言語ゲームを生きている、第6章「常識を疑え」を疑え、第7章 世界と出会い直すための「逸脱的思考」、第8章 アンサング・ヒーローが支える日常、第9章 贈与のメッセンジャー)は、前半で出ている結論を強化する論考が、あの手この手で並んでいる印象でした。そのために登場するのが『サピエンス全史』であり、マルクスであり、映画「ペイ・フォワード」、フロイトの理論をもとにした岸田秀の「親からの呪い」論、「鶴の恩返し」、サンタクロース、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム、シャーロック・ホームズ、カミュ、小松左京…などなど。

この後半については、正直なところ、一度読んだだけではよくわからないところもあり、わたしには再読が必要です。何度も読み返しながら、自分の考えをまとめていきたいと思える本でした。

ともあれ、久しぶりに「哲学的な問い」に向き合う本となりました。個人的にこういう問答は嫌いではないことを、再確認しました。時代の大きな転換期にあると思われる今のタイミングで、出会う(読む)ことができたことが嬉しい一冊です。

「博物館が、人を育てる。」に参加して。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「博物館が、人を育てる。」に参加して。

九州産業大学美術館から、令和2年度文化庁「大学における文化芸術推進事業」実施報告書と、先日の国際シンポジウムの報告書が届きました。わたしは外部からの一参加者にすぎませんが、毎回丁寧に対応してくださる主催者である先生方のお心遣いに、感謝の気持ちでいっぱいです。いつもありがとうございます。

2016年から「学芸員技術研修会(テクニカルコース)」に参加し、学芸員に必要な技術や最新の知見を、専門分野の先生方から学んできています。同時に「地域社会における博物館の役割」を考えるカリキュラム(セラピーコース)への参加も実現しました。2018年に「博物館と高齢者の健康・幸福感」のテーマでスタートしたセラピーコースでしたが、2020年のコロナ禍によって、より緊急かつ重要な課題として「博物館と健康・幸福感」が差し出されたように、わたしは感じています。

今回手元に届いた報告書では、2020年度に実施された講座内容と、その総括的な位置づけとなる国際シンポジウムの内容が文字になっています。シンポジウムにはオンラインで参加をしましたが、そのときには英語での発表など聞き取れなかった内容もありましたので、振り返り学ぶことができる材料が手元に届いて助かりました。期間限定ではありますが、シンポジウムの様子をYouTubeで見ることもできます。

2021九州産業大学国際シンポジウムの録画【4月30日まで】

「社会教育現場としてのミュージアム」「地域におけるミュージアムの役割」を考えること、「ミュージアム」を「アート(美術)」と置き換えて、「社会教育現場におけるアート」「地域におけるアートの役割」考えることは、すっかりわたしのライフワークになっています。これからもたくさん勉強し、考え、少しづつでも地域社会に還元していきたいと思います。

相撲は美しい-横綱鶴竜引退で、ひとつの時代が終わりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

相撲は美しい-横綱鶴竜引退で、ひとつの時代が終わりました。

というのが、今朝の藤吉家の空気です。

昨年末に、鶴竜が日本国籍を取得したことをこのブログにもアップしていたところでした。休場続きのこの一年、九州場所で鶴竜の相撲を見たいと、ケガからの復帰を待っていましたが、引退を決断なさったようです。上の写真は4-5年前の九州場所での写真。

「相撲が国技」という伝統は、実は割と近年に作られたものであると、先月読んだばかりの『日本の伝統の正体』(新潮文庫)で知ったところでした。でも、「国技」として認定された歴史は思っていたより浅くても、日本の文化がそこにたくさん詰まっていることには変わりないと思います。

鶴竜がモンゴルから日本にやってきたのは16歳の時。15歳の時に日本の相撲関係者に宛てて、相撲界に入る決意と熱意を日本語で手紙にしたというのは、有名な話です。15歳といえば、今のわたしの息子と同い年。その鶴竜に対して、お母さんが「日本には、郷に入っては郷に従え、という言葉がある」という話をしたというのも有名な話です。

昨年末、鶴竜が日本国籍を取得したことをニュースで知ったとき、これで日本の相撲界に鶴竜関がずっと居てくれると、単純に喜んでいました。でも相撲解説の舞の海秀平氏のことばを聞いて、ハッとしました。日本国籍を取得するということは(日本は二重国籍を認めていないので)モンゴルの国籍を離れるということであって、我々はあまりそのことについて考えることはないけれど、生まれ育った国の国籍を離れる決意をするのは、実はすごく大変なことだと思うんです…というようなことをおっしゃいました。

たしかにそうですね。少年期に日本にやってきて相撲界に入って、期待外れで幻滅したことなども正直なところあったのではないかと思うのです。それでも日本の相撲界に残る道を選んでくれたことを、一ファンとして応援してきた者としては、ほんとうにありがたく思います。

もう取り組みが見れないと思うと残念ですが、これからは、九州場所の会場で「年寄 鶴竜」に会えるのを楽しみにします。大相撲本場所の会場では、親方衆は駐車場整理をしていたり、入場チケットのもぎりをしていたり、会場の見回りをしていたり、イベントの運営をしていたりして、実は現役時代よりもお客さんの近くにいらっしゃることが多いのです。

息子が「鶴竜ちゃんが好き!」と言ってから10年以上。九州場所に足を運び、当時の井筒部屋(両国)にも訪問し、鶴竜関と記念写真を撮り…。おかげさまで大相撲をとっても楽しみました。鶴竜に直接「ありがとうございました」を言える日を、心待ちにしているところです。今年の九州場所は福岡国際センターで開催されるといいな。