本棚を整理していたら。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

本棚を整理していたら。

Stay & Enjoy Home, Stay Safe.

図書館が開いていないのが辛いねとダンナと話しつつ。図書館が大切な存在であることを、あらためて思っています。でも、実は家にある本で、まだ読んでいない本や、ずいぶん前に読んだけれど内容をすっかり忘れてしまった本が、いくらでもあることを思い出し。というわけで、週末は本棚整理。

折を見ては、要らない本はブックオフに出したり、読みたいという方に譲ったりして整頓しているつもりでしたが、増えているものですね。小説などは比較的きれいな状態で読んでいるのですが、仕事に関わる本は書き込みをしながら読む癖がついているので、手元に残りがちです。

本棚に並ぶ顔ぶれを見つめることは、その持ち主の頭のなかを覗くようなもので、思いがけず自分の頭のなかの変遷を見つめなおす機会になっています。ダンナの本とわたしの本、それぞれに特徴を見出すことができるのも、あらためて面白く。

我が家には、お義父さんが遺してくださった「日本文学全集」なるものがあります。1冊1冊が大判のハードカバーでかなりのボリューム。いまだ1冊完読にも至らず、この棚に手を伸ばすのはいつの日か!?という感じで眺めておりましたが、案外近々手に取ることになるかもしれません。

それにしても、本が身近にある安心。手元にしっかりした本がたくさんあるということは、とても贅沢なことだと、あらためて思っています。これらを知的資産に昇華させることができるかどうかは、己にかかっていますね。

読書『自分の中に毒を持て』(青春文庫)

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読書『自分の中に毒を持て』(青春文庫)岡本太郎 著

地域のニュースを知りたいので「西日本新聞」を購読しています。電子版ではなく紙版。毎週日曜日は「図書紹介コーナー」が見開き2ページ、合わせて帯広告の欄でも本の紹介が多くあるので、楽しみです。週末新聞を読んでいて『自分の中に毒を持て』のタイトルを見つけ、あれ?昔の本…と思ってよく見たら、今また流行ってきているらしく。約20年ぶりに読み返してみました。

ご存知、「芸術は爆発だ」であり「太陽の塔」の岡本太郎。洋画家。今なら「現代アーティスト」と呼ぶのかもしれませんが。わたしが初めてこの本を読んだのは、ダンナと結婚し独立してすぐのころだったと思います。「陶芸家として独立して生きていく」というのがどういうことなのか、サラリーマンであったわたしにはイメージがつかず、この本を読んで漠然と「こういうことなのかしら?」と思ったのでした。

さっそくダンナにこの本を贈り、「こういうことなのかな?」の意思確認。ダンナにとっても、特に「覚悟する」という点において大きな刺激になったようでした。わたしたちのスタートに、共にあった本です。

あらためて読み返してみて、岡本太郎が言っていることがあまりにもまっとうで、そのことに気づいて驚きました。「芸術」を使って話をしていますが、芸術家を目指すとかいうこととはまったく関係ありませんし、狭い芸術論でもありません。とても真剣に「人間の生き方」を案じていると思いました。だからこそ今、また読まれているのかもしれませんね。

個人的には、初めて読んだときのような強い印象はなく、ただただ岡本太郎のまっとうさが残りました。こんなふうに印象の違いがあったのは、読む側の自分も多少は成長したということかもしれません。


  • (前略)真の生き方、人間性、つまり芸術の問題(後略)
  • 芸術は呪術である。
  • 本当の芸術の呪力は、無目的でありながら人間の全体性、生命の絶対感を回復する強烈な目的をもち、広く他に伝える。

『自分の中に毒を持て』(青春文庫)岡本太郎より


初版は1993年、新刊書で刊行されたのはさらに遡って1988年ですが、まったく古びていません。

読書『新・リア王(上・下)』(新潮社)

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読書『新・リア王(上・下)』(新潮社)

高村薫さん。『晴子情歌』を読んだあとで、あのボリュームを自分のなかで消化するのに休憩が必要かと思っていましたが、早く読みたい気持ちが勝ちました。これぞ本の力ですね。現在、上巻を読み終わり、下巻に入ったところです。

描かれているのは『晴子情歌』の登場人物のその後です。が、単純に続きということではなく。このようなかたちで続きを書くことを最初から考えていたわけではなかったと、高村さんもおっしゃっていたようです。

そうなると気になるのは「何が、このようなかたちで続きを書くことを後押ししたのか」です。おそらく、ご本人へのインタビューなどで理由が語られていると思うのですが、現時点でわたしはそれが何かを知らないので、その「何」を自分なりに推測してみるのもいいかな、と思いつつの読書でした。

1970年代から80年代の国政を駆けた地方選出代議士たる父と、禅僧となったその外腹の息子の、対話というか語りで綴られる871ページ。わたし自身にとって、自分が生まれてから成人するまでと重なる、その時代の移り変わりを知る機会となりました。政治家の名前も、政治的キーワードも、聞き覚えのあるものが少なからず、当時は聞き流していたそれぞれの持つ重みが今になって感じられました。

小説の中で語られる舞台となる高度成長期70-80年代。高村薫さんの書く小説が変わったとされるのは、1995年以降。『新・リア王』の出版は2005年。多くの日本人の価値観が変わったと言われた、2011年以降。そして今2020年。地方と中央、政治家・官僚・市民。なにか変わったのか、どう変わるべきなのか、ほんとうに変わり得るのか、考えさせられつつ読み進めています。

ハードカバー版の表紙は、上下巻それぞれにレンブラントによる老人を描いた絵が用いられています。人生の黄昏を感じさせる陰影が、小説タイトルに重なります。

読書:まだまだ続く、シャーロック・ホームズ。

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読書:まだまだ続く、シャーロック・ホームズ。

図書館が臨時休館する前に駆け込みで借りてきたなかに、シャーロックホームズがいました。創元推理文庫「シャーロック・ホームズ全集」から『シャーロック・ホームズの冒険』と『シャーロック・ホームズの復活』。ともにアーサー・コナン・ドイル著、深町眞理子訳。

短編集なので、隙間時間に読めるのが嬉しいです。ひとつひとつの事件は一話完結。にもかかわらず、すぐに続き(=次の事件簿)を読みたくなり、読みだすと本を閉じるのが難しくなります。

今回、この二冊を読みながら、ストーリーを魅力的にしている大きな要素のひとつが、「筆者」のホームズへの深い敬意と愛情であることに気づきました。ここでややこしいのが、「筆者」は誰かということ。ホームズの事件簿は、友人であり相棒であるドクター・ワトスンが記している、という設定であり、そのワトスンのホームズへの敬意と愛情が、読み手たる自分に伝播しているのを感じました。

正確には筆者はもちろん、コナン・ドイル。なんとも魅力的なキャラクター・ホームズを生みの親ながら、自ら何度も終わらせようとし、そのたびに読者によってくつがえさざるを得ない状況に追い込まれ…(おかげでのちの世の我々が、いくつものホームズ物語を読むことができているのですが)ということが、昨年からのホームズ読書でわかっていました。

でも、ドクター・ワトスンの手を借りてホームズへの愛と尊敬を語っているのは、まぎれもない実在の筆者・ドイル自身であったわけで。「愛憎」という言葉は、こういう関係性に使うのかもしれないな、と思いつつ。愛情を注いで綴られたキャラクターとストーリーだからこそ、ついつい読みたくなるのだろうな、と思いました。

創元推理文庫「シャーロック・ホームズ全集」 には、まだ読んでいないものが何冊も。まだまだわたしの「シャーロック・ホームズ追っかけ」は続きそうです。

読書『晴子情歌』上下巻(新潮社)

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読書『晴子情歌』上下巻(新潮社)高村薫

わたしにとっては久しぶりの高村薫さん。『晴子情歌』は2002年に発刊でしたが、ようやく手に取りました。途中『空海』は読みましたが、高村薫さんの小説から、ずいぶん遠ざかっていたことに気づきました。

高村薫さんの小説にハマったのは、大学を卒業して新社会人になってからの数年間。初めて『黄金を抱いて翔べ』(新潮社)を読んだとき、その緻密な描写とハードボイルドな文体に驚愕。「これ、ほんとうに女性が書いたの⁉」というのが、正直な感想でした。そこから『神の火』『わが手に拳銃を』『リヴィエラを撃て』『地を這う虫』『マークスの山』『照り柿』『レディ・ジョーカー』…。

当時わたしは大阪で法人営業職の仕事をしていました。大阪市内のビジネス街や近郊を毎日歩いており、『黄金を抱いて翔べ』はじめ、小説内に出てくる場所が、細かいところまで面白いように具体的にイメージ出来たのも、夢中で読むきっかけになっていたかも知れません。

さて『晴子情歌』。上下巻合わせて750ページ近くに及ぶ大作でした。 高村薫さんの書くものは、阪神大震災の前と後とで大きく変わったと書評やインタビューなどで目にしていましたが、なるほど、と思いました。でも、緻密な取材のあとをうかがわせる重厚なストーリー・描写は変わりなく、この作家さんはやっぱりすごいなぁ、と思うのです。

ハードカバー版の表紙には、上下巻とも青木繁の作品「海の幸」が使われています。上の写真は、集英社の「20世紀日本の美術 ART GALLERY JAPAN」より、青木繁の「海の幸」。明治時代以降、近代日本洋画の代表作です。これほど物語のイメージが重なる絵があったことも、すごいことだと思いました。表現手段は違えど、現されたタイミングも違えど、共通した訴えが垣間見えます。

十代のころ、久留米市の石橋美術館(現・久留米市美術館 石橋文化センター)で青木繁作品をたくさん見た記憶があます。おそらく「海の幸」もそのなかにあったのだと思いますが、当時のわたしには、青木繁の絵の数々が展示スペース全体を覆う暗さばかりが印象に残っていました。『晴子情歌』のなかでもたびたび登場する「昏い(くらい)」という表現が、ぴったり。

↑こちらは文庫版です。

さあ、『晴子情歌』を読み終えたからには、次は『新リア王』(上下巻)です。少し休憩をはさんでから、取り組むことにいたします。

今月の書道部。

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今月の書道部。

思いがけず長い春休みとなった息子の一文字は「暇」(笑)写真はお手本用にダンナ藤吉憲典が書いた「暇」。口に出して言う「ひま~」も、漢字にするとなんとなく印象が変わるのが面白く。

書道部だからといって、季節感のある言葉や四文字熟語など、それっぽい字やことばを書かなければならないということはなく、思いついたことを書けばよいのです。気持ちよく文字を書くのが一番。

一方で、実際に筆を握り、半紙に向かい、書いてみると、「あれ、ちょっと違う」ということもあり、そんな時は、書く文字を変えてみる。自分で「この字(あるいはことば)を書きたい」と思って書きはじめたけれど、取り組んでみたところ実はそんな気分ではなかった、ということは結構あるものです。

そんなわたしの今月の文字は、これ。

そろそろヨモギを摘みに出かけたいところです。

読書『風神雷神 上・下』(PHP研究所)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『風神雷神 上・下』(PHP研究所)原田マハ著

上の写真は『小学館ギャラリー 新編 名宝日本の美術23「光悦・宗達」』より、俵屋宗達筆『風神雷神図』屏風の一部分。

原田マハさんのアート小説最新刊。『楽園のカンヴァス』にはじまり、毎回わたしが夢中になる理由は、作家・作品とその時代の歴史を重ねてストーリーを追っていくのが、とても楽しいからです。

『風神雷神』。読む前に「無理やり感がある」という書評も目にしましたが、ドキドキするストーリー展開に、上下巻合わせて650ページ一気に引き込まれました。確かに、俵屋宗達やカラヴァッジョを引っ張り出さなくても、天正遣欧使節団の冒険物語だけでもじゅうぶん面白かったかもしれません。ただ、俵屋宗達やカラヴァッジョを登場させたからこそ「絵」や「絵師」に寄せたストーリーになったのでもあり。

彼らの足あとをストーリーで追いつつ、フィレンツェ・ローマ・バチカンにゆっくり行かねば!とあらためて思いました。自分の足でその街を歩き、絵画・彫刻・建築をこの目で見たい!そんな思いが増幅してくる本でした。

エピローグにある一文が、本書に限らず原田マハさんがアート小説を書く際にもっとも言いたいことのひとつなのだろうな、と思うと同時に、とても共感しました。


「美術(アート)は、歴史という大河が過去から現在へと運んでくれたタイムカプセルのようなものだ ― 。」

『風神雷神 下』原田マハ(PHP研究所)より


そうなのです。だからこそ、現代に生きるわたしたちも、数百年後、数千年後も引き継がれ愛されるアートを生み出し、遺していく使命があるのです。

読書『美しき 愚かものたちの タブロー』(文藝春秋)

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読書『美しき 愚かものたちの タブロー』(文藝春秋)原田マハ著

ひさびさの原田マハさん。2019年は立て続けにアート系「史実に基づいたフィクション」の新刊が出ていたので、気になっていたところでした。『美しき 愚かものたちの タブロー』の素(もと)は、国立西洋美術館の礎となった「松方コレクション」

上の写真は、集英社『現代世界の美術5 ART GALLERY GOGH』より、作中にも名前が出てくる、ゴッホがアルル時代に描いた「アルルの寝室」と題された絵のひとつ。『現代世界の美術5 ART GALLERY GOGH』によると、同じタイトルの油絵が3点あるとされています。

一気に読みました。日清日露の戦争に、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦敗戦という時代背景が、緊迫感を持って迫ってくるストーリー。本書中に何度か繰り返されたセリフに、美術・絵画の本質、ほんものの持つ力をあらためて思いました。


飛行機じゃなくて、タブローを。
戦争じゃなくて、平和を。

『美しき 愚かものたちの タブロー』(文藝春秋)原田マハ著より

※書籍の画像をクリックするとAmazonの本書紹介ページに飛びます。


タブロー(tableau)というのは、フランス語で絵画のこと。英語圏の美術専門家の間でも、そのまま「タブロー」で使われているそうです。

そしてもう一つ、この小説の大きなメッセージとして「頭ではなく、心で見る」を受け取りました。今こそこのメッセージを、美術に関わる人にも、関わらない人にも伝えていきたいと、アートエデュケーターの端くれとして、強く再確認した読書でした。

次は『風神雷神』が楽しみです♪

山梨市ワインと地域の食材を楽しむ交流会 in 花祭窯。

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山梨市ワインと地域の食材を楽しむ交流会 in 花祭窯。

山梨市ワインの知名度向上に取り組む山梨市ワイン振興会さんと、非公認(笑)友好都市である宗像市のコミュニティ協働推進課職員さんによる、草の根的交流会。いつも面白い提案をしてくれる仲間からの打診に快諾したのは言うまでもなく、喜んで会場提供したところでした。

醸造家、農家、漁業者、行政職員、地域ブランドコンサル、ホテル関係者、建築家などなど…いろいろな職業・肩書を持つ方々が、山梨市から、福岡県内から、集まりました。総勢18名。

山梨市ワインと葡萄ジュースに、福岡県の農畜産漁業の食材に、秋田の「かづの牛」。地域色豊かな贅沢な食卓で、それぞれの仕事に信念と愛情を持った皆さんの熱い(暑苦しいほどの)トークが繰り広げられ。

それにしても毎回そうなのですが、最初から腹を割った会話が盛り上がる仲間の面白さ。以前に別の集まりで花祭窯にいらした友人が、「仲良くなるのに、年齢も場所も仕事も立場も関係ないんだって、ここに来るとつくづく思う」とおっしゃったのを思い出します。

馬鹿話をしているようでありながら、真剣に協業を検討する時間にもなり、今後の展開が楽しみな作戦会議の場となりました。こんな集まりに巻き込んでくれる友人に心より感謝です。

海外展開セミナー in 宗像。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

海外展開セミナー in 宗像。

普段は福岡市内に情報を取りに行くことがほとんどである「海外展開」のセミナーが宗像であるというので、参加してまいりました。

メインは北九州・小倉の辻利さんの事例発表と、大分湯平温泉の山城屋さんの事例発表。基調講演に中小機構九州本部の国際支援アドバイザー福田さん。そして、ジェトロ、明倫国際法律事務所、福岡県による情報提供。

事例と施策がバランスよく紹介され、福岡県が掲げる「海外展開ワンストップ」を実感できるセミナーでした。花祭窯は海外展開を目指した2013年以降、それぞれの皆さんにいろいろなかたちでお世話になっており、その都度、それぞれの機関に足を運んできました。今もそうです。それが一堂に会した形でした。

以下、事例発表のなかから備忘。


  • 「きれいごと」は大切=文化事業的側面。
  • 店作りは街づくり、街づくりは店づくり。
  • シンガポール=ツーリスト。
  • メイドインジャパン≠最高。
  • 「価値」が伝わってなんぼ。

※以上、辻利茶舗 辻史郎さんの講演より

  • 安心感。
  • 親密なコミュニケーション。
  • 外国の方々の満足が高い=日本人のお客さまにも喜ばれる。
  • 知られていないことは、存在しないことと同じ。
  • 言葉(テキスト)と、写真・動画。

※以上、旅館山城屋 二宮謙児さんの講演より。


お二人の熱いトークに、わたしももっと頑張ろうとあらためて決意のセミナーでした。