香椎宮献茶式と報恩寺の野点茶会、2023。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

香椎宮献茶式と報恩寺の野点茶会、2023。

前日の準備とお掃除は、雨で思うように進まず「出来るところまで」で散会でした。「明日は止むといいですね」と心配された当日は朝から雨もなく、予定通りに報恩寺のお庭で野点が出来ました。

まずは香椎宮での献茶式。わたしは今年はお点前が良く見える場所に座ることが出来て、所作のひとつひとつを拝見しながら献茶式を体験することが出来ました。香椎宮での献茶は76年目ということで、来年が人の人生に例えれば喜寿(77歳)にあたるという宮司さんのお話。なるほどそのように例えると、その年月の長さをあらためて感じさせられるなぁと拝聴しました。南方流茶道はもちろんそれ以前から続いているのですが、「献茶式」という儀式があることで、後に続く人たちがその歴史を知る機会となるのだと思いました。

献茶式が終わり、お弁当を食べたら、いよいよ野点です。今年は50名ほどの参加者があり、25名づつの2席で開催。3年ぶりに再開された昨年は、当日が雨でお堂内でのお茶でしたので、実質的には4年ぶりの野点でした。

久しぶりにお庭でいただくお茶は、開放感を感じるとても良い時間となりました。枯れ葉が頭上から降ってくるし、御座の上を歩く蟻は気になるし、土のうえに座るので人もお茶碗も不安定にならないよう気を配る必要もあります。けれども、そんなことすべてを含めて、外ならではの風情がとても面白く有難く、貴重な機会となりました。

今年のお茶会は、あとは来月11月の実山忌です。こちらも楽しみです。

アート作品の新作撮影-@abc pictures赤司さん。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

アート作品の新作撮影-@abc pictures赤司さん。

2023年も早くも10月。今年も、ロンドンSLADMOREでの11月~12月恒例のクリスマス・ショウに参加いたします。その作品の撮影をお願いしてきました。ギャラリー側でも撮影してくださるのですが、やはり手元にも持っておきたいもので。ロンドンへは、Animal Boxesシリーズを中心に10点前後の作品をお届けする予定です。

SLADMORE :Sladmoreの公式サイトも、この秋リニューアルされたばかりです♪

撮影をお願いしたのは、今回もabc pictures 赤司憲壕さん。雑談しながらこちらの意向を確認し、撮影する作品の顔ぶれを確認し、セットを用意し、試し撮りと確認を2~3回繰り返して、納得のいく環境が整うまでにかかった時間は15~20分ほど。ここ数年「白背景」の写真が続いたので、「ちょっと変えてみますか?」とのご提案で、今回は「グレー背景」にしてみることに。

一度環境が決まってしまえば、あとはサクサクと撮っていくばかりです。シャッターを切るごとにディスプレイで見え方を確認するのですが、ほとんどがワンカットでばっちりOKなのは、いつものことながらさすがです。またこれも毎回感じていることですが、技術の高さが素晴らしいのは大前提として、被写体である作品に対する理解や敬意を持ってくださっているからこそ、写真を通して伝わってくるものがあり、そこが一番有難いところです。

撮影をお願いしたのは10数点でしたが、スタジオに入ってから約1時間で完了。もちろん早ければ良いというものでもありませんが、時間をかければ良いものが撮れるというわけでもなく、期待以上の成果物をサクッと仕上げてくださるので、たいへん助かります。

最新の作品写真は、藤吉憲典公式インスタグラムでもご紹介して参ります。

藤吉憲典公式インスタグラム

太鼓の音が聞こえてくる一週間。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

太鼓の音が聞こえてくる一週間。

秋季大祭の続く、ここ津屋崎界隈。9月一番手の金毘羅さんにはじまり、お彼岸の頃には宮地嶽神社のお祭りと花火が盛大に開催され、と、ようやく「いつもの秋」の行事が粛々と復活し、嬉しい今日この頃です。

そして今週末は、地元の波折神社のおくんちです。4年ぶりに子どもたちの太鼓を含めた行列やら、神社境内での子ども相撲が開催されるとあり、ワクワクしています。それはわたしだけでなかったようで、山笠(7月)頃から、ご近所のおじさんたちに「息子さん、太鼓の練習指導に来てくれんかな。忙しいやろうけど、一日でもいいから」と、声をかけられておりました。

そしてこの1週間、日が暮れた頃になると太鼓の音が響いてきています。最初は小さな音がとぎれとぎれに。そのうち力強い太鼓の音が連続的に。練習開始時間より早く来てたたき始める子、学校や部活帰りに急いでやってくる子、何人もの小中学生が集まってきている様子が、音から感じられます。

練習が始まった最初のうちはバラバラとしていた太鼓の音も、日が経つにつれて少しづつまとまりが感じられるようになってきました。何年もその音を聞いてきていたので、わたしもリズムを覚えており、音が間違えたり止まったりすると、その都度「がんばれ!」という思いで笑顔になります。練習が始まる前は「1日でも教えに行けたらいいな」と言っていた息子も、蓋を開けてみればほぼ毎晩、小中学生の指導に出かけています。

思えば、もともとおくんちの太鼓は小学校高学年の子どもから叩けるようになっていたのが、人数が足りなくて低学年の息子に声がかかり、境内でお兄ちゃんたちにやさしく教えてもらったのが10年以上前のこと。当時背が小さい方だった息子に合わせて、おじさんたちが懸命に太鼓の高さを調節してくれていたことなども思い出します。その時親切にしてもらった嬉しい思いが、ずっと残っているのでしょう。

また、中学生の時まで一緒に太鼓をたたいていた同級生数人が、やはり指導に来てくれていて、再開の機会にもなっているようです。近所に住んでいても、学校が離れ離れになると、なかなか顔を合わせないもの。数年ぶりに会って近況を知ることが出来たと、とても嬉しそうでした。地域のお祭りの良さですね。

秋の夜の太鼓の楽しみも、今週末のお祭りでひと段落です。当日みんなが無事に務められますように!

読書『TRANSIT』No.60、No.61(講談社MOOK)ユーフォリアファクトリー

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『TRANSIT』No.60、No.61(講談社MOOK)ユーフォリアファクトリー

2023年の、花祭窯の年間定期購読紙『TRASIT』。雑誌ですが「読書」と言ってよいのではないかというボリュームです…と、ご紹介したのは今年の春のことでした。

No.59「東インド・バングラディシュ」のあとに、No.60「メキシコ」、No.61「イタリア」と続いています。最初に手にしたのが「バングラディシュ」でしたので、なかなか手強いぞ!と構えておりましたが、メキシコ、イタリアと、次第に馴染みのある国名になって参りました。

まずは、No.60メキシコ。メキシコ=サボテンブラザーズ、タコス、フリーダ・カーロ(フリーダ・カーロの自画像に似ているね、と言われたことが少なからずなので、彼女には親近感を持っています)…ぐらいのイメージしか持ち合わせていなかったわたしにとって、色鮮やかな写真の数々は、とても刺激的でした。マヤ文明をはじめとした古代メキシコ世界、多神教世界の魅力的な偶像の数々、現代にも続く季節ごとの多様な祭礼儀式、カルト信仰にシャーマニズム…。消化しきれない大量の情報が一冊に込められています。

九州国立博物館ではこの10月から特別展「古代メキシコ」が開催中。もともと「観に行かねば!」の展覧会ではありますが、グッドタイミングに本誌を手にすることが出来ましたので、ますます楽しみになって参りました。

続いては、No.61イタリア。イタリアの特集号が手元に届いたのは、ちょうどダンナ・藤吉憲典をイタリアに送り出してホッとした翌日のことでした。個人的に、これまたグッドタイミング♪どうやら引き寄せの法則が働いているようです。

巻頭特集が、バレーボール日本代表でイタリアリーグに所属している高橋藍選手のインタビューだったのは、まったくもって意表を突かれました。小中高とバレーボール漬けだったわたしとしては、飛びつきましたが(笑)。もちろん、古代ローマに始まる栄枯盛衰の物語、芸術の話、デザインの話など、これぞイタリアという興味をそそる記事が深堀りされています。

いずれも「雑誌をパラパラとめくる」というスタンスでは、読み込み不可能な圧巻のボリューム。完全に保存版です。年4回=3か月ごとの発刊ですが、その間に少しづつ読み消化していくと思えば、ちょうど良いペースかもしれません。

『TRANSIT』ユーフォリアファクトリーの公式サイトTRANSIT Webはこちら。

ウェブサイトも写真が美しく、魅力的なコンテンツ満載です。わたし個人的には、本誌に限らず紙媒体派ですが。次号が届くのがとっても楽しみです♪

KENSUKE FUJIYOSHI 公式サイトプチリニューアル。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

KENSUKE FUJIYOSHI 公式サイトプチリニューアル。

藤吉憲典の公式サイトを前回リニューアルしたのは2020年夏から秋のことでした。

ちょうど3年ぶりとなる今回も、夏から作業に入っていただき、先月アップしたのでした。

今回も、ウェブ制作を担当してくださったのは、福岡を拠点にご活躍のウェブデザイナー・ハラプロ原田大輔さん。そして、いつも作品を撮ってくださるabc pictures 赤司憲壕さんの写真に、今回も大いに助けていただきました。おかげさまで、格好良いサイトが出来上がりました。

リニューアルの主目的は、藤吉憲典の新しい作品群である「書画(Ink Drawing)」を、サイトでもご紹介すること。

藤吉憲典公式サイト Ink Drawingページ

更新が滞っていた藤吉憲典の略歴書(最新のレジュメ)も、日本語版・英語版ともに2023年度版に更新することが出来ました。PDFになっていますので、ダウンロードしてご覧いただくことが出来ます。

藤吉憲典の最新陶歴(The latest profile of Kensuke FUJIYOSHI)

こちらは今後、年に1回のペースで定期更新していこうと考えていますが、ご必要なタイミングでの「最新版レジュメ」が必要な場合は、その都度ご連絡を頂ければご提供することが可能です。

陶芸家・磁器彫刻家・書画家として活動の幅を広げていく藤吉憲典について、わかりやすく情報提供ができるよう、今後も心掛けて参ります。

KENSUKE FUJIYOSHI 公式サイト

読書『犬は「びよ」と鳴いていた』(光文社未来ライブラリー)山口仲美著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『犬は「びよ」と鳴いていた 日本語は擬音語・擬態語が面白い』(光文社未来ライブラリー)山口仲美著

サブタイトルにある「日本語は擬音語・擬態語が面白い」そのままの内容です。文学博士・日本語学者であり、日本語の「名脇役」の歴史と謎を研究する第一人者である著者の、光文社新書のロングセラーの文庫化版。このようなマニアックな本がロングセラーになり文庫化されることが、個人的にはとても嬉しいです。そして遡っては、このような本を新書として発刊してくれた光文社新書の編集者の方々の意欲に脱帽します。本書のエピローグで、新書の発刊と文庫化への経緯が書かれていますので、興味のある方は、ぜひ。

英語の3倍から5倍以上もあるといわれる、日本語の擬音語擬態語。わたしたちはふだん当然のように会話で使っていて、当然のようにお互いに意味を理解しています(と思っています)が、日本語が母国語ではない方々にとっては、とても理解しにくく困るものだということで、日本語の大きな特色であるということが、あらためてわかりました。

それにしても、面白いです。時代時代によって音の表現がことなることや、その変化のなかにも変わらないものや、規則性が見つけられること。読むほどに「なるほどなぁ」と納得したり、「そんなことが!」と驚いたり。文字・言葉を仕事にする人たちの、擬音語擬態語に向き合う態度の違いにも、面白さを感じます。これでもかというように例示と検証が登場してきます。言葉や文字を生業にする方には、ぜひ読んで欲しい一冊です。

顧みて自分自身がこのブログひとつとっても、「書く」作業のなかで、擬音語・擬態語をどのように位置づけていたかしらと、省みる機会にもなりました。一時期、できるだけ使わないようにと意識していたこともありましたが、ここ数年はまったく意識していませんでした。放っておくと、ふだんの会話では「擬音語擬態語」をかなり多用しているわたし。本書を読んで、さて今後のブログではこの魅力的な日本語表現をどのように扱っていこうかと考え中です。

『犬は「びよ」と鳴いていた 日本語は擬音語・擬態語が面白い』(光文社未来ライブラリー)山口仲美著

アーティスト・藤吉憲典のイタリア短期研修報告、その2。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

アーティスト・藤吉憲典のイタリア短期研修報告、その2。

トスカーナ州カッラーラでの約2週間の大理石彫刻の研修。カッラーラは大理石の世界的な産地であり、ミケランジェロはじめ、ルネッサンスの偉人たちがここに通い詰めて彫刻を制作した、まさに「聖地」です。

大理石の山に囲まれた研修場所は、工房(作業場)と寮があり、寮にはWi-Fiが通っていますがラジオやテレビはなく、まさに大理石彫刻のほかにするべきことがない=そこに集中できる環境だったそうです。周囲には飲食店はなく、キッチンがついているので、近くのスーパーに買い出しに行って自炊をする前提です。同じタイミングで参加していたフランスから来たジャン・ピエール氏が、彼は何度目かの研修だったということで、買い物や料理その他、なにかと気を使って助けてくださったとのこと。ありがたいですね。

大理石を彫る作業は、ふだんの磁器制作とは使う筋肉がまったく違ったということで、毎日体力を使い果たして一日を終えたようでした。マエストロが指導してくださるのをはじめ、近所に工房を持つ大理石作家の方々が、ちょこちょことのぞきにいらっしゃるようで、たくさん声をかけていただきながらの研修となったようです。周囲にある作家の工房には、どの工房にもミケランジェロのダヴィデ像の「写し」が、大小さまざまなサイズで作られていたそうで、それがその彫刻家の「これだけの腕がありますよ」を保証するものとなっていたようです。

そんな環境のなか、藤吉憲典が研修中に一番言われた言葉は「ゆっくりゆっくり」だったと。研修期間が2週間という短期でもあり、そのなかで作品をひとつ完成させようと、大理石を彫るスピードが知らず知らず、速くなっていたようです。アーティストならではの、初めてで自分にどれぐらいできるものかを見てみたいという自負もあったでしょう。「もっとゆっくりじっくり取り組みなさい」ということを、ことあるごとに声掛けしていただいていたとのことでした。

イタリア語はまったくわからず、英語もほとんどしゃべることのできない藤吉憲典ですが、無事研修期間を楽しんできたことがわかるのは、上の写真の笑顔が物語っています。イタリア語、英語、フランス語、スペイン語の飛び交う空間で、モノづくりという一点でつながっているからこそ言語外に通じるものがあるというのは、モノづくりのできないわたしにとってはなんともうらやましいことでもあります。週末にはマエストロはじめ皆で、ピエトラサンタに出かけ晩餐を楽しんだり、カッラーラの中心地に出かけて古い街並みを歩いたりもできたと。さりげなくサポートしてくださったのであろう皆さんに、心より感謝です。

そうして出来上がった作品を、手荷物で大事に大事に抱えて持って帰ってきました。ルネサンス時代・マニエリズム美術の起点になったと言われる「セルぺンティナータ(螺旋状の/蛇がとぐろを巻いたような)」が思い浮かぶ、ドラゴンが柱に巻き付いている、の図です。最初にデッサンを描いて見せたときには、マエストロに「初めてなのにこれにチャレンジするのか?難しいぞ!」と言われたそうですが、そのマエストロの技術指導のもと、ここまで形になったようです。

藤吉憲典カッラーラ大理石彫刻研修

ふだんの磁器彫刻作品の完成度の高さを見慣れているワタシや息子としては、「初めてにしてはすごいんだろうね」というぐらいの感想でしたが、ミラノマルペンサ空港の出国手続きで「この大理石彫刻は高価なものだろう!?」と止められたのだと、武勇伝(笑)。何人も駆けつけてきた空港スタッフに、スマホで撮っていた作業中の写真を見せて「自分が研修で作った習作である」ことを納得してもらい、「お前はアーティストなのか?」という問いに「そうだ!」と返事して無事ゲートを通過できたのだそうで、なによりでした。

これからさらに細かいところを彫り込み、やすりで磨いていき、仕上げていくようです。研修中は、彫刻に使う道具はすべて研修所が貸してくれていましたので、道具を買う必要があるのかなと思いましたが、ダンナのお父さんが篆刻をしていたため、うちには石を彫る道具があり、それがそのまま使えるということに気づきました。書に端を発する篆刻が大理石彫刻と結びつくなんて、まったく思ってもみなかったことであり、思いがけずつながっている不思議を感じました。

現地での様子(写真)は、藤吉憲典の公式フェイスブックページでご紹介しています。

藤吉憲典公式フェイスブックページ イタリアカッラーラ研修2023

アーティスト・藤吉憲典のイタリア短期研修報告、その1。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

アーティスト・藤吉憲典のイタリア短期研修報告、その1。

ダンナ・藤吉憲典が前回イタリアに行ったのはいつだったかしら?で、ブログのセルフ検索。2017年10月のことでした。もう6年も前のことになるのですね。ダンナにとっての「初」イタリアでした。

2回目の今回は、ミラノでのギャラリー訪問の商談もありつつ、メインはトスカーナ州カッラーラでの約2週間の大理石彫刻の研修。カッラーラは大理石の世界的な産地であり、ミケランジェロはじめ、ルネッサンスの偉人たちがここに通い詰めて彫刻を制作した、まさに「聖地」です。

上の写真は、かなりブレブレですが(笑)カッラーラの大理石採石場での一枚。

磁器作家から、書画作品も生むようになり、次は大理石で作品づくり?という短絡的なことではありません。アーティストとして「造形」を追及するにあたり、歴史的に偉人を輩出してきた大理石彫刻を通して、「Object」の原点を見つめることが出来るのでは、という思いがありました。磁器彫刻が塑像(塑造)であるのに対して、大理石は彫刻なのですが、両者の違いについて、とても分かりやすい考察文を見つけました。

彫刻と塑像の関係

 一般に彫刻と呼ばれる作品は、その技法から「塑造」と「彫刻」に大別できる。「塑造」とは粘土など柔らかく可塑性のある素材をこねて形をつくり出すものをいい、「彫刻」とは石や木など硬質の素材を鑿などで彫り刻んで形を表すものをいう。

粘土を加えながら形をつくる塑造と、すでに存在する立体の塊から形を彫り出す彫刻とは技法的には対極にあり、作り手の意識や作品の特質も異なるといわれる。実際、塑造は粘土を加えたり取り去ったりして、いわば推敲を重ねることが可能なのに対し、彫刻は彫りすぎた場合に後戻りすることは原則的に不可能であり、両者の相違は大きい。

三重県立美術館サイト「彫刻と塑像の関係 毛利伊知郎(日本彫刻の近代 図録)」より

 

彫刻の聖地ともいえる場所で、今やっている表現とまったく対極にある技法を手を動かし学ぶことによって、自分の表現や技術に還元できるものがあるはず、という思いは、観念的な思い込みともいえるものではありましたが、実際に研修期間を終えたダンナの話を聞けば、その思いが的を得たものであったことは確実です。今回の研修期間を一緒に過ごした受講生は、ダンナを含めて三名だったそうですが、そのうちの一人、南米アルゼンチンでブロンズ彫刻作家として活躍しているヴィヴィアンの参加動機が、まさに同じ理由。世界中に同じような考え方をするアーティストがいるのですね。

「宝物のような2週間だった!」という帰国後のダンナの第一声を聞いて、手配したわたしとしては、まずは安堵したのでありました。今回のミラノ~カッラーラ出張にあたり、情報収集・下調べ等の準備から在伊中のアテンドと、間接的にも直接的にも、今回もたくさんの方にお世話になりました。ありがとうございました!

Special Thanks to ミラノでのギャラリー調査とアテンドを請け負ってくださった高橋さん、高橋さんにつないでくださったジェトロ育成塾スタッフの皆さん、前回のイタリア出張時からなにかと情報提供をしてくださったディサント株式会社の吉村さんとそのスタッフさん、そして研修地でお世話になったマエストロとバーバラ。

「報告その2」以降につづきます。どうぞお楽しみに。

読書『私はスカーレット 上』(小学館)林真理子著

こんにちは、花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『私はスカーレット 上』(小学館)林真理子

ご存じマーガレット・ミッチェル著の長編小説『Gone with the Wind(風と共に去りぬ)』を、主人公スカーレットの一人称でリライトしたという、林真理子氏の意欲作です。新聞の書評欄で知り、これは絶対に読みたいと思っていたところ、いつものカメリアステージ図書館新刊棚に、並んでいるのを発見。ありがたいですね。まずは上巻を読破。

読みながら思ったのは「わたしは『風と共に去りぬ』をいつ読んだんだ?」ということでした。というのも、大筋でストーリーは覚えているものの、南北戦争の描写の印象があまり残っていなかったのです。もしかしたら、ちゃんと全部は読んでいなかったのかもしれません。高校2年の頃に文化祭で『風と共に去りぬ』のパロディ(?)をやることになり、クラスメートが書いた脚本でストーリーを読み直し、さらに高校3年の時に、4時間ほどの映画をテレビで一挙放送する機会があって、当時受験直前にも関わらずぜんぶ見てしまった記憶があり、それらを通してストーリーが頭に入っていたのかもしれないな、などと思いつつ。

さて『私はスカーレット』。まだ上巻だけですが、傑作です。スカーレット・オハラという、ただでさえ強烈なキャラクターが、林真理子節でさらに磨きをかけられている、と、わたしは感じました。若い頃の林真理子さんの、コンプレックスを反転させたようなちょっとひねくれた毒舌が大好きでしたので、(わたしの持っているイメージでの)著書らしい勢いを感じて、愉快な気持ちになりました。

それにしても、もしも近くにいたら絶対に腹の立つキャラクターであろうスカーレットの、なんと力強く魅力的なこと。周りにいる人間は、自分にはできないことをやってのける彼女に腹立ち半分、羨望と敬意を抱いてしまうのだということが、とてもよくわかります。そして、わたしにとってはこれまで歴史の教科書を通してキーワードとしてしか知らなかった米国の「南北戦争」や「奴隷解放」が、本書でその時代・その場所で生きた人々の生活の一端を垣間見ることで、胸に迫ってきました。

凄みを持った面白さです。下巻も楽しみです。そしてそれを終えたら、気になりながら手を付けていなかった林真理子版『小説源氏物語』も読まねばなるまい、という気持ちになっています。

『私はスカーレット 上』(小学館)林真理子

夏休みが明けて久しぶりのお茶のお稽古。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

夏休みが明けて久しぶりのお茶のお稽古。

わたしが入門している茶道南方流は、毎年八月は夏休みです。九月に入るとまず円覚寺のご近所の聖福寺で、日本に「茶」をもたらしたといわれる栄西禅師の命日供養があるので、そのお献茶のお手伝い。このお手伝いで約ひと月ぶりに先生や先輩方にお会いし、翌週から通常のお茶のお稽古が再開されます。

毎年毎回言い訳をしていますが、休み明けに釜の前に座ると、あらゆることが抜け落ちています。そんなわけで、最初の一回目はウォーミングアップと割り切ってお茶室へ。

お点前の手順を思い出すことに気をとられて、一つ一つの所作が雑になるという、自分の弱さを目の当たりにしながらのお稽古でした。袱紗(ふくさ)捌きひとつをとっても、茶巾の扱いひとつをとっても、「もっと丁寧に!」と頭では唱えながらも、次の瞬間には気が散って動きがばらばらになります。長くお稽古を見てくださっていたN先生がこの場にいらっしゃったら、微笑みながら「心ここにあらず」とおっしゃっただろうなぁ、と思いました。自分の心の状態がすっかり出てしまいます。

自分の状態が「動き」になって客観的に見えてしまうということは、なんだか怖いことだとも言えますが、ふだんの生活のなかでそのようなことはなかなかありませんので、ありがたい機会です。誤魔化しのきかない世界だなぁ、と。茶道のそんな厳しさのなかで、いつも温かく指導してくださる先生方、先輩方、同輩の皆さんに心より感謝の一日なのでした。ご自服のお抹茶も久しぶりで、美味しかったです♪