『知識要らずの美術鑑賞』開催-備忘。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『知識要らずの美術鑑賞』開催-備忘。

2022年度の郷育カレッジ講座で開催した『知識要らずの美術鑑賞』のご報告をしたのは、つい先日のことでした。

その後、受講者の皆さまからのご感想が届きましたので、それらを踏まえて、以下備忘。


  • 学芸員の仕事や、どうしたら学芸員になることが出来るのかなど、学芸員や美術館の仕事について知りたいと思っている方も多い。
  • 鑑賞前の作業(絵を描いたりコラージュしたりの作品づくり)は、思いがけなかったという反応とともに、楽しく良い経験だったと好評。
  • 作業→鑑賞で、意欲が高まり、話を聞くのに集中できた、というご反応。
  • 最後に、学芸員による絵の専門的な解説があったのが、さらに満足度を高めた。
  • 複製画とはいえ、実物大の名作に会えた喜び。→美術館での開催を希望。
  • 継続的に参加したいというご要望。

ご参加者約30名の反応は、大きくまとめると上の通り。絵を描いたりの創造的な作業があったことに対しては、思いがけず全員が好意的な反応。作業があったことによって、その後の座学への集中力が高まったという反応は、とても嬉しいこと。

次回以降の鑑賞講座に、たくさんのヒントをいただきました!

読書『あの図書館の彼女たち』(東京創元社)ジャネット・スケスリン・チャールズ著/高山祥子訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『あの図書館の彼女たち』(東京創元社)ジャネット・スケスリン・チャールズ著/高山祥子訳

巻末の「著者の覚書」と「訳者あとがき」を読んで、実話をもとにした小説であったことを知りました。登場人物も、実在した人物が実名で登場していて、そこにフィクションの登場人物が加わっています。事実がより伝わりやすくなるように、こういう本の書き方があるんだな、と感じました。上の写真は、わたしにとってのシェルターであるカメリア図書館入口にある宣言。

本と、図書館と、図書館を支える人々の物語。第二次世界大戦中、ナチス占領下のパリで開館し続け、常連の市民たちに本を届け続けたアメリカ図書館の物語です。本、図書館、当時の女性が仕事を持つ意味、人種、国、戦争、家族、友情…。考えさせられる要素がそれぞれに重いものでした。

主人公オディールの「でも真面目な話、なぜ本なんでしょう。それは、他者の立場から物事を見せるような不思議なことのできるものは、ほかにないからです。図書館は本によって、違った文化どうしをつなぎます」のセリフが響きました。このセリフだけではなく「本が他者の視点を疑似体験できるツールである」という主題がたびたび出てきます。絶望的な状況での大切な心の逃避先になること、本を通して得た知識が生きていくための糧・武器になること。そしてそれらの本を必要な人に届ける、図書館の存在と、司書をはじめそこで働く方々の仕事の計り知れない価値。人々のシェルターとして働く図書館の存在を強く感じました。

その一方で、「思ったことをすぐに言わないと約束して」「(言おうとしていることがなんであろうと)黙っていて」「誰がそのような(密告の)手紙を書くのか分かった。わたしのような人間だ」などなど、登場人物のセリフにちりばめられた「ことば」に関する忠告が心に刺さります。

もしこのような状況下に置かれたら、自分ならどうするか。どうすべきか、すべきことがわかっても、ほんとうにそのように勇気をもって行動できるか。自分のなかにあるマイナスな要素(保身や妬み)に支配されてしまうのではないか。ずっと問いかけられているような気がしました。

パリのアメリカ図書館を開館し続けた司書たちの勇気をたたえる本、と一筋縄ではくくれない本でした。世界に不穏な空気が広がりつつある今、一人でも多くの人に読んで欲しいし、わたし自身繰り返し読みたい本です。そして次回パリに行く機会があれば、今なお開館し続けているアメリカ図書館に足を運びたいと思います。

インボイス制度とか、電子帳簿保存とか、電子商品券とか、いろいろと。

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インボイス制度とか、電子帳簿保存とか、電子商品券とか、いろいろと。

先日は、経理&総務担当者モードの一日でした。「つくる仕事以外すべて」の雑多な分野を担当業務にもつ花祭窯おかみとしては、気分が向くときにその分野の仕事をするのが一番はかどります。けれども、やらなければならないのに気分が向かないときも少なからずあり。そういうときは、外部の皆さんの手をお借りして意識を切り替えるのが一番です。

というわけで、お取引先の信金さんと商工会を梯子してまいりました。まずは信金さん。お取引をはじめて最初の担当者になってくださった方が、数回の転勤を経て7年ぶりに担当支店に戻ってこられたので、ご挨拶に。佐賀から工房を移転し、新しい環境で事業を軌道に乗せるまでの苦しいときに、弱小のわたしたちを支えてくださった方です。彼が異動のあいさつに来られたときに「偉くなって戻ってきてね、うちもそのときまでにお得意様と呼んでいただけるように頑張るから」と言ったものでした。その彼は、言葉通りに偉くなって戻っていらっしゃり、一方うちはまだまだで、頭が下がるばかり。

続いては商工会さんへ。インボイス制度や市の電子商品券など、夏以降立て続けに、諸々の説明会を開催してくださっていたのでした。タイミングが合わず参加できなかった説明会の資料をいただきに。資料をいただきつつおしゃべりをしていたら、税務の「個別相談」スケジュールが空いているからぜひいかがですか、ということで、インボイス制度については税理士さんに個別具体的にご相談することに。以前にもインボイス制度で「個別相談」を利用しておりましたので、「2回目ですが構いませんか?」と伺ったところ、「大丈夫です!」ということで。助かります。その後、いつもお世話になっている担当の経営指導員さんから、経営革新計画承認事業者への補助金関係の情報を頂き、実の多い商工会訪問となりました。

信金でも商工会でも、それぞれに宿題をいただきました。自分だけでは後回しがちになる仕事も、外の人との約束となると、モチベーションが上がります。おかげさまで、それらの宿題を起点に、進めるべき仕事に手を付けることが出来ました。

エリザベス女王。

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エリザベス女王。

2022年9月8日96歳でお亡くなりになりました。今朝届いた悲しいニュースに、ちょっとショックを受けています。いつもは音楽が流れているBBC Radio2も、特番でこのニュースを伝え続けています。

6月に在位70年を祝うプラチナ・ジュビリーの記念行事が行われたばかり。日本でも映画『エリザベス 女王陛下の微笑み』が公開され、関連本もいくつも出版され、嬉しくて観に行ったり読んだりしたのでした。上の写真は、読書『エリザベス女王 史上最長・最強のイギリス君主』(中公新書)君塚直隆著の表紙。

お齢を考えれば、いつ入ってきてもおかしくないニュースだったのかもしれません。けれども、まだまだ女王は居てくださると、勝手に思い込んでおりました。

わたしにとって、エリザベス女王の存在がとても現実的に近しく感じられるようになったのは、藤吉憲典がロンドンのギャラリーSladmore Contemporaryに入ってから。ここ7-8年ですから、女王の歴史から見ればごく最近のことです。老舗彫刻ギャラリーであるSladmoreには、エリザベス女王はじめ英国王室の方々が、クライアントとして名前を連ねています。

きっかけは2015年。SladmoreContemporaryから国際現代アートフェアCollectに初参加が決まったときに、SladmoreContemporaryのFacebookページで藤吉憲典を紹介してくださっている記事↓

SladmoreContemporaryのFacebookページより
SladmoreContemporaryのFacebookページより

↑に続いて(厳密には、2つあとに)投稿されたのが下の写真でした↓

Sladmore ContemporaryのFacebookより。
Sladmore ContemporaryのFacebookページより

念願の海外アートシーンへのデビューが決まって喜んでいたところに飛び込んできた画像に、その当時、ロイヤルファミリーが顧客についていると知らなかったので、とてもびっくりしたのでした。この時以来、わたしたちのなかで「いつかエリザベス女王のコレクションに加わる」ことを目指して作品レベルを上げていくのは、モチベーションのひとつにもなりました。今年11月からのSladmoreContemporaryでのKENSUKE FUJIYOSHI個展では、女王の愛するコーギー犬をモチーフにした作品も並びます。

日本に暮らす一市民である我々にとってもショックなのですから、英国の方々の喪失感の大きさは計り知れないものでしょう。「会いたい人に会いに行く」の言葉が頭に浮かびました。簡単にお会いできる方ではないことは重々承知のうえでも、会いに行くための努力をしなければ、時間は待ってはくれないと感じています。

至福のお散歩時間。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

至福のお散歩時間。

夏が暑かったので、すっかり散歩に出そびれておりました。そろそろ気候が程好くなって参りましたので、ぼちぼち再開です。コロナ禍を機会にスタートしたお散歩(ウォーキング)習慣。コロナ禍以前にまで戻ったとは言えないまでも、ずいぶん行動半径が広がり、出かける頻度も増えてきた今日この頃ですが、お散歩の楽しみは運動不足解消に留まるものではないと実体感した今となっては、毎日とは行かずとも続けていきたい習慣です。

ある日の午後の津屋崎浜沖。上の写真を拡大してご覧になると、中央あたりに船の影が見えると思います。浅瀬が遠くまで続く湾内に大きめの船の姿が現れるのは、年に1-2回のこと。近所の水産高校の実習用遠洋漁業船です。

津屋崎浜

船の写真からもう少し時間が経つと、海の色と空の色がこのように変わってきます。ぐるりとつながる浜の向こう側にはカフェが立ち並び、明かりがつき始めています。

津屋崎浜

そして、反対側を見ると、こんな感じ。夕日は大峰山の向こうに沈みつつあります。先日読んだ『DEEP LOOKING』では、古今東西名作と呼ばれる作品を生み出すアーティストが、意識的無意識的にかかわらず、いかに自然観察をしているかが説かれていました。なんてことのない散歩も、観察眼を鍛える機会になっているのかもしれません。

読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その2

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その2

アートNPO法人AIT(Arts Initiative Tokyo)創設メンバーで、インディペンデント・キュレーターの著者による、美術鑑賞本。昨日(その1)の続きです。

以下、備忘。


  • 視覚経験がいかにもろく、不安定で信用ならないものであるか
  • (鑑賞者にとっての)「タイムマシン」としての作品
  • アートの歴史におけるひとつひとつの事象は孤立したものではなく、すべてが繋がっていて
  • 何世紀も前の表現だからといって「古い」わけではなく、また同時代に生まれた表現だからといって「最先端」ということもない
  • 肉眼で世界を見る体験の重要さ
  • 意味の理解が曖昧なまま、表現そのものを受け止める(中略)それによって、想像や解釈をもっと豊かに、無数の方向に拡げていくことが出来る
  • すぐに言葉にしない
  • 外側の世界にばかり向いていたアートを、もう一度、個人の内側の世界へと向かわせようとした
  • 「有用性」
  • 作品が鑑賞者に対していかに具体的に作用を及ぼしうるか
  • 現実の物質世界に奪われた自らの「注意」を取り戻し、時間的・空間的制約のない内面の世界へと、「意識」を集中させていく
  • アートを積極的に「使っていく」
  • 自分だけの「アート鑑賞コース」をつくる
  • 同じ作品を何度も見ること
  • 鑑賞体験が個人的であるかどうか
  • ケアとしてのアート
  • 「公共空間の回復」
  • 言語というものの限界

『DEEP LOOKING』第2章~より


従来の諸説からさらに深い考察が繰り広げられ、思いがけず嬉しい驚きのあった読書でした。その鑑賞(観察)方法を何と呼ぶかはさておき、より深い美術鑑賞へのアプローチが理解できました(著者は「対話型鑑賞法」とは異なるとおっしゃっています)。さっそくわたしも、本書で共感できた内容を反映させていきたいと思います。

↓本書についての詳細はこちら↓
https://www.deeplooking.net/

読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その1

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その1

アートNPO法人AIT(Arts Initiative Tokyo)創設メンバーで、インディペンデント・キュレーターの著者による、美術鑑賞本。AITのアート教育プログラムMAD(Making Art Different)は、対象をアート関係者に限らず、現代社会において有用で興味深いものが多く、わたしもこちらのサイトをよく覗いています。

ここ7-8年でたくさん出てきた「美術鑑賞関連本」。本書もその延長線上で語られる本かな、と思いつつ手に入れました。読んでみると、従来の諸説からさらに深い考察が繰り広げられ、思いがけず嬉しい驚き。さっそく実践に取り入れたい内容であり、すぐにそれができるように、ナビゲートもしっかりしています。

以下備忘。


  • アートは「デザイン思考」などのようにメソッド化できるものでは決してなく
  • メソッドとは対極にある肉体回帰的なアプローチこそがなくてはならない
  • 鑑賞者を無条件に惹きつけるような作品はいつだって、そうしたマニュアルの存在しない身体的なプロセスから生み出されてきた。
  • 肉体を通じて意識を変化させる「道具」としてアートが秘める可能性
  • 「観察」のもつ力
  • 観察は(中略)「見る」行為と「待つ」行為からなる
  • 対象をただ漫然と眺めるのではなく、(中略)、全身的な「見る」
  • attend
  • (鑑賞時間が短いと)絵画のもつ表層的なイメージをただ消費するだけで終わってしまう。
  • 何かを深く観察(ディープ・ルッキング)するとき、(中略)いつもの意識状態を離れ、非日常的な意識状態へと「旅に出て」いる
  • 非日常的な意識状態において注目すべきは、平時の凝り固まった思考から解放され、自由にクリエイティブに思考できるということ
  • 近代以降の大量消費社会においては、(中略)観察が非常に実践しづらくなってしまっている
  • 近代の大都市が秩序を保つための大事な要素は、この「共通の時間」である
  • 何かを深く観察したり、何かに深く集中したりすると、むしろこの「共通の時間」から外れていく
  • 鑑賞者は作品をほとんど「見ていない」
  • その美術館が鑑賞の質についてどれくらい考えているのか
  • 鑑賞者が作品と一緒に「過ごす」
  • 「関係性の美学」(作品と鑑賞者の関係性)
  • 展示空間がもちうる本来の豊かさとはなにか
  • 対象となる事物を深く見つめ、言語化衝動にあらがってありのままを観察することで、思考に新たな広がりが生まれてくる
  • 頭ではなく体から入る
  • すぐれたアート作品を観察するときは別次元の変化が起こっている
  • (アーティストが作品を作るのは、本来)「意味」とは無関係
  • アートとは本来、「意味」を考えて作ったり観たりするものではなく
  • 私たちがある作品を観察するとき、(中略)私たちの脳内における電気信号に直接反映されている

『DEEP LOOKING』第1章より


気がついたらずいぶん長くなってしまいましたので、続きは「その2」以降で。

聖福寺さんでの献茶のお手伝いに参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

聖福寺さんでの献茶のお手伝いに参加してまいりました。

9月5日は栄西禅師の命日。日本最初の禅寺と言われる聖福寺開祖の栄西禅師は、日本に「茶」をもたらしたと言われています。毎年、その前日9月4日に聖福寺の開山忌・栄西禅師の供養が行われています。わたしが入門している茶道南方流・円覚寺は、聖福寺さんの塔頭であり、毎年献茶を行っています。わたしがはじめてお手伝いに参加したのは、3年前のことでした。

お手伝いといっても、わたしにできるのは献茶式に使う道具を運ぶぐらいのこと。それでも、式典がスタートする時間にちょうど良いようにお湯を沸かし運ぶタイミングなど、いろいろと学ぶことが多く。また、献茶式の様子を近くで拝見することが出来る、貴重な機会でもあります。献茶のお点前をする和尚様のほぼ真後ろの席でしたので、手元を拝見することはできませんでしたが、無駄のない美しい動きにため息が出ます。

始まる前のちょっとした待ち時間に、和尚様から、現在のわたし自身のお稽古の進み具合を尋ねられました。今わたしは「盆点て」のお稽古中。盆点ての先のお稽古の進み方と、わたし自身が「献茶」のお点前ができるようになるまでの道筋をざっと教えてくださり、「そのように考えると、今日みたいな献茶を見る目もまた変わると思いますよ」とご指南くださいました。このように入門者一人一人に目を配ってくださることが、とてもありがたいです。

献茶のお点前に続く読経の儀式は、これまた素晴らしい体験でした。仏殿に響く、何十にも重なるお坊様の声は、荘厳な音として体全体に響いてきます。何人ものお坊様が連なって歩きながらお経を唱えるご様子は、ちょっと異次元空間に迷い込んだ感じもして、頭のなかが空っぽになり、すっきりといたしました。

また来年、この機会が楽しみです。

郷育カレッジ講座『知識要らずの美術鑑賞』開催しました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ講座『知識要らずの美術鑑賞』開催しました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。担当講座『知識要らずの美術鑑賞』を開催いたしました。この美術鑑賞講座、郷育カレッジのプログラムに入ったのは3年前でしたが、天候不良やコロナ禍で中止が続き、昨年3年目にしてようやく初開催。

受講生と美術館に足を運び、美術鑑賞をすることを目的とした講座ですが、コロナ禍のため研修室で座学での開催となっています。今回も座学ながら、福岡市美術館さんのご協力を得て、ちょっぴり美術館訪問気分を味わっていただくことを目指しました。

学芸員技術研修会などでご一緒した福岡市美術館の学芸員さんにご相談し、福岡市美術館内での協議を経て、試験的に福津市でのアウトリーチ(出張講座)をしていただけることが決定したのは、今年度初めのこと。「福岡市」美術館なので、アウトリーチも福岡市内での対応を想定しているものの、市外からの問い合わせも増えつつあるということで、今後の市外対応可能性を検討するためのテストケースとして、採用していただくことになりました。

ひと月前に詳細打合せを行い、当日は、教育普及担当の学芸員さんがお二人、今回のアウトリーチで使用するシャガールの複製画の解説に、近現代西洋美術専門学芸員さんがお一人、計三名で対応してくださいました。ワークショップあり、鑑賞タイムあり、シンキングタイムありで、密度の濃い1時間半でした。特に、シャガール「空飛ぶアトラージュ」の複製画鑑賞後に意見交換し、専門の学芸員さんからお話を聞くことが出来たのは、受講者の皆さんにとってもとても良い時間になったと思います。

今回も満員御礼、定員いっぱいの皆さんにご参加いただくことが出来ました。福津市内には美術館がありませんが、皆さんの美術的な体験への関心の高さを強く感じた講座となりました。あらためて、講座協力をしてくださった福岡市美術館の皆さまに、心より感謝です。来年はそろそろ美術館訪問での講座ができることを祈りつつ。

読書『さようなら、オレンジ』『サンクチュアリ』(筑摩書房)岩城けい著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『さようなら、オレンジ』『サンクチュアリ』(筑摩書房)岩城けい著

岩城けいさん、二連荘。お盆に読んだ『サウンド・ポスト』が良かったので、デビュー作の『さようなら、オレンジ』(2013年)と、最新作『サウンド・ポスト』のひとつ前の『サンクチュアリ』(2020年)を連続で読みました。

『サウンド・ポスト』読後に書いた「見た目(外見)と、ことば(母語)と、音楽と、人種差別と、偏見と、経済格差。オーストラリア在住という著者の問題提起が芯を貫いているように感じました。」の感想は、「音楽」は除くものの、そのままこの2冊にも通底しました。

ともあれ2冊とも、週末の隙間時間で読了しました。どちらも160ページほど。中編とでも呼ぶべきボリュームでしょうか。短時間で読みましたが、しっかりと心に残ったのは、考えさせられるテーマ故。なかでもデビュー作の『さようなら、オレンジ』が、特に響きました。静かな文体から滲み出る迫力、登場人物の心の悲鳴のようなもの。それでもラストに見えた希望に、ある種の爽やかさのある読後感でした。

同じテーマを、姿を変えて書き続けるというのは、作家にとって難しいことでは無いのだろうか?と思ったり、逆にそのテーマがあるからこそ書き続けることが出来るのかも、と思ったり。立て続けに3冊読んだので、ちょっぴり休憩が必要です。未読の著書がまだありますので、少しおいてから復活予定。著者の、別テーマでの小説も読んでみたいな、と思いました。

『さようなら、オレンジ』岩城けい

『サンクチュアリ』岩城けい著