こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
読書『西洋美術史 世界のビジネスエリートが身につける教養』(ダイヤモンド社)
先日手に入れた2冊の『西洋美術史』。の、2冊目。
表紙をめくるとまず「美術とは“見る”ものではなく“読む”ものである」という、著者がこの本で伝えたい内容の象徴的なメッセージが目に飛び込んできます。文章が少々固いのが気になりましたが、たしかに「読む美術」の本でした。
以下、備忘。
- 政治的にはギリシャを征服し植民地化したローマでしたが、文明的には逆に征服されてしまったのです。
- ローマの古代美術は美の「規範(個展)」と見なされ現代にまで至ります。
- 「目で見る聖書」としての宗教美術
- 色彩は富の象徴でもあった
- その人物の精神や知性が反映された作品が、「商品」ではなく「芸術品」と見なされるように
- 経済の繁栄すなわち美術市場の活性化
- フィレンツェ派の「デッサン(ディセーニョ)」に対して、ヴェネツィア派の「色彩(コロリート)」
- いわゆるブルーカラーは、生活のために手を用いて仕事をする人々と考えられていたため、職人階級に属する画家や彫刻家はエリートとはかけ離れた存在
- アカデミー的価値観に束縛されない自由な作風
- 美術品が持つ「力」
- 建築や美術のイメージの力を自分の政権と権力に結びつけ、自分の帝位と帝国のイメージつくりに利用する
- 「理性」対「感性」
- デッサンと理性(中略)色彩と感性
- 「何を描くのか」ではなく「どう描くのか」
- より物語性の強いものや、畏怖すべきものに美を見出すイギリス発祥の美の概念「崇高(sublime)」
- ただ純粋に視覚的な喜びをもたらす審美性
- 自分たちの原風景
- 自分の審美眼に自信がなく、美術品に対しても美術アカデミーという「ブランド」を求め
- 背景にあったのは、純粋な芸術・文化に対する憧憬
- 伝統的に美術コレクションは個人(君主の場合は国家も)のステータスを高め、社会的に認知されるためのツール
- アートと芸術家の大衆化は、(中略)市民社会ならではの産物
- 芸術を庇護することは、(中略)「ノブレス・オブリージュ(高貴な人にとっての義務)」
『西洋美術史 世界のビジネスエリートが身につける教養』(ダイヤモンド社)より