津屋崎陶片ミュージアム~青磁の陶片

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

久しぶりの陶片ミュージアム。
本日は、津屋崎浜に上がってくる青磁(せいじ)の陶片について。

津屋崎浜で拾う陶片のなかには、古伊万里だけではなく青磁や白磁もあります。
上の写真も、津屋崎浜でゲットした青磁のカケラ。
これらの陶片のルーツについての手がかりが見つかる場所が、すぐ近くにありました。

小学校のなかの唐人坊遺跡。

玄界灘に面した津屋崎浜から約700m入った津屋崎小学校の敷地内に、
在自西ノ後遺跡(あらじにしのあといせき)があります。

(※以下、在自遺跡のパネル解説を参考にしています。)

在自西ノ後遺跡からは、たいへん多数の中国製陶磁器が出土しています。
遺跡近くに唐坊地(とうぼうち)という地名があること、多数の中国陶磁器が出土していることなどから、
中国・宋(北宋960年~1126年、南宋1127~1270年)との貿易に関係する遺跡だと考えられています。

同じ在自遺跡群にある在自下ノ原遺跡(あらじしものはるいせき)からは、
越州窯系青磁碗(えっしゅうようけいせいじわん)が出土しています。
越州窯系青磁碗は8世紀に中国の越州地方で焼かれた磁器です。

陶磁器は日宋貿易におけるもっとも重要な貿易品のひとつでした。
当時の交易は福岡市の鴻臚館(こうろかん)において国の管理下で行われており、
磁器は一般市民には広まっていませんでした。
ごく少数の身分の高い人だけが、越州窯系青磁碗を所有することができました。

菅原道真の建議により遣唐使は894年中止され、大陸との正式国交は途絶えました。
しかしながら民間商船による交易は途絶えることなく続いており、
これらの交易船には、当時の陶磁器の生産増大により、多量の青磁や白磁が積まれていました。

これらの陶磁器の高台裏には墨書が記されています。
墨書で人名や数字が記されているもので、貿易船に積み込む際に誰の荷物か区別がつくように、
商品の一部につけられた目印と考えられています。
記されている文字は、宋の貿易商人や商社に関係のあるものが多数あり、
多くの宋商人が流通にかかわっていたことがうかがえます。

墨書された陶磁器は商品として使えないため、各地に流通することはなく、
墨書陶磁器が出土している場所は、貿易品の荷揚げ地の近くであったことを示します。

在自西ノ後遺跡で出土している墨書陶磁器は、同安窯系青磁碗4点、小皿1点、龍泉窯系青磁碗1点の6点。
碗・皿のほかにも壺、合子、水差し、甕などいろいろな種類の陶磁器が出土していて、
この地が中国からの貿易品である陶磁器を手に入れやすい環境であったことが予測されています。

 

津屋崎小学校のなかの遺跡。
問い合わせて見学することができます。興味のある方はぜひ(^^)

美術品は人の芸術作品であり・・・

こんにちは。花祭窯・ペーパー学芸員 ふじゆりです。

先日の「仙厓さんがやってきた!」で、出光美術館がオープンする際の出光佐三の言葉をご紹介しました。
本日は、その言葉に感じたことをつづります。
その言葉とは、

美術品は人の芸術作品であり、
そこには日本人として独創と美がなくてはならない」

(出光コレクションホームページ http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/index.htmlより)

一方、ダンナである磁器作家・藤吉憲典のホームページには、
アーティストステイトメントや作陶理念を書いています。

藤吉憲典Artist Statement http://fujiyoshikensuke.com/
藤吉憲典作陶理念 http://fujiyuri.com/aboutken.html

藤吉憲典のものづくりの根本にあるのは、
「美しいもの」「ほっとするもの」を生み出したいという気持ちです。
なぜなら、それらは文化の違いを超えて共感することのできる価値だと思うから。

美しいもの
それは風景であったり自然の造形物であったり
そして人の手が生み出した芸術(アート)であったり。』
(藤吉憲典公式サイト http://fujiyoshikensuke.com/より)

佐三さんのことばと、藤吉憲典のことば。
並列にするのはおこがましいとは思いつつ、
それぞれ下線で示した部分に、同じ思いの表現があるのを見つけて嬉しくなったのでした。

そして佐三さんの言葉のつづき
日本人として独創と美がなくてはならない」。

これは「コレクション(蒐集)にあたり、そういうもの(日本人としての独創と美があるもの)に価値を置く」
と、佐三さんがお考えだったのだろうと解釈しました。

これを「つくる側」に置き換えたとき、頭で考えてしまうと
「『日本人として独創性や美』を作品に反映させるにはどうしたらよいだろうか?」
ということになってしまうかもしれません。

その結果として、あざとい「日本風」「和風」テイストをちりばめたものが生み出されるとしたら、
それは、悲劇(あるいは喜劇)的な作品に仕上がるのではないかという憂いが頭をもたげます。

ロンドンのギャラリーとお付き合いをはじめてわかったことですが、
藤吉憲典の作品は、意図して和風なモチーフを採り入れずとも
「日本的」と評価されました。

その理由をたずねたところ
「形にしても絵付けにしても、このような繊細で丁寧な雰囲気は、まさに日本人にしか出せないから!」
というような返事が戻ってきました。
とても抽象的な評価です(笑)

つまり、特に日本を押し出そうとしなくても、自然と作品に「日本人」がにじみ出てきている。
少なくとも、ロンドンのギャラリーで作品を見てくださった方々は
そのように感じ、評価して、お買い上げくださったようでした。

それは結局、常々つくりながらなにを大切にしているかという
創作の根っこにあるもの、つくり手の価値観がそのまま作品に現れるということだと思います。
そして、実際に傍らで見てきている者としては、
確かに年齢を重ねるごとに、つくり手の「人となり」が何を作っても出てくるのを感じます。

藤吉憲典のつくるものには『日本人として独創性や美』があるか。
出光佐三さんなら、どんな評価・ダメ出しをしてくださるか。
大いに気になったところでした。

仙厓さんがやってきた!

こんにちは。花祭窯・専属キュレーター ふじゆりです。

少しづつ掛け軸にも興味がわいてきた今日この頃、

仙厓さんの墨画「指月布袋画賛」

が、我が家にやってきました。
もちろん複製の軸装です。
お茶室も出来たタイミングで、なんとも嬉しい贈りものです。感謝!

本物は仙厓和尚の国内最大コレクションを持つ出光美術館に。
「指月布袋画賛」は、出光創業者・出光佐三のコレクション第一号。
地元博多の古美術の売立でこの絵を目にしたのが、コレクションの第一歩だったそうです。

出光コレクション http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/index.html

わたし自身が仙厓さんの名前が気になるようになったのは、
小説「海賊と呼ばれた男」を読んでから。
つまり、数年前のごく最近からのことです。

出光佐三をモデルとしたこの小説で、主人公の生きざまに感銘を受けました。
その佐三が奉っていた宗像大社は、ここ津屋崎から車で20分ほど。
宗像大社も、その神宝館も、大好きな場所のひとつです。

宗像大社 http://www.munakata-taisha.or.jp/

佐三の生家のある赤間もすぐ近くで、地域のお祭りで開放された際に見学をしました。
こんなに身近にゆかりの地があることに、驚くと同時に勝手にご縁を感じていました。

さらに、佐三のコレクションのきっかけとなった仙厓さんは
博多にある日本最古の禅寺である博多聖福寺の住職として活動していました。
わたしがお茶を習いに行っている南方流の円覚寺は、その聖福寺の搭頭(たっちゅう)の一つです。

そんなことが少しづつわかってきて、ご縁の不思議を感じていた矢先の贈りものでした。

「美術品は人の芸術作品であり、そこには日本人として独創と美がなくてはならない」
(出光コレクションホームページより)
開館時の佐三の言葉をしっかりと心に刻みます。

それにしても、おおらかでふくふくしい布袋さんの姿。
自然と笑顔になります(^^)

蕎麦猪口メルマガを書く。

こんにちは。花祭窯・ペーパー学芸員 ふじゆりです。

今月2通目のメールマガジンを執筆(というと大げさですが)中。
月に1~2回程度の配信で、メールマガジンを書いています。
思えば、わたしの蕎麦猪口好きは

メールマガジンでスタート

したようなもので、
2001年メールマガジン「ふじゆりの蕎麦猪口蒐集」創刊以来、
現在も話題の中心は蕎麦猪口です。

最初の頃は文様の由来など、蕎麦猪口が楽しくなる豆知識を中心に載せたりもしていました。
現在は、蕎麦猪口と小皿豆皿の新作の紹介や、藤吉憲典の個展の案内などが中心です。

そしてもうひとつ。ご要望の多い「蕎麦猪口の在庫状況」のお知らせもしています。

というのも、
ネットショップ蕎麦猪口倶楽部では、基本的に「ご注文を受けてからの制作開始」のため
「今すぐ、この蕎麦猪口が欲しい」というときに、ご用意できないことも多々あります。

出来上がりまでの「待つ時間」も楽しいとおっしゃってくださるお客さまが多く、
つくる側も「○○さまのご注文分」と意識してつくることができるのは、幸せなことです。

 

おかげさまで、蕎麦猪口は藤吉憲典のつくる肥前磁器への入り口として定着してきました。
そんなこともあって、花祭窯に在庫があるときにはできるだけご案内しています。
お客さまの「今欲しい」のタイミングに一つでも合えば嬉しいな、と思っています。

花祭窯・ふじゆりが店主を務める蕎麦猪口倶楽部のメールマガジン。
ご興味のある方は、こちらから無料登録ができます(^^)

花祭窯・蕎麦猪口倶楽部のメールマガジン登録ページ

 

遠来のお客さま。

こんにちは。花祭窯・ふじゆりです。

夏らしいお天気の続く津屋崎千軒。

ここ花祭窯は海に近いことに加え、古い日本家屋で風通しがよく
外から玄関に入って来られると、一瞬涼しさを感じていただくことができます。
それでもこう暑い日が続くと、さすがにエアコンの必要性を感じる今日この頃。
建物に穴をあけなければならないのが、なんとも悩ましいところです。

さて

花祭窯には福津市外からお越しくださるお客さまも多くいらっしゃいます。
県外・九州外からと遠来のお客さまも多く、ありがたいなぁとつくづく感じています。

皆さん、ここでゆっくりと時間を過ごしてくださいます。
ここ津屋崎は、位置的に「ついでに」というよりは「目指して」来る場所なので、
できるだけ楽しんでいただけるといいな、と思っています。

昨日いらっしゃったお客さまは、京都からの若い料理人さん。
九州方面への用事に合わせて、花祭窯へもお立ち寄りくださいました。

直前にお電話をいただき、ちょうどつくり手も在宅していたのでお会いできました。
個展会場でお会いして以来の約1年ぶりで、話も弾みました。

次回お越しの際は、ぜひ1~2日前にご連絡くださいとお願いをしました。
というのも、せっかくお越しくださっても不在だったら、とても申し訳なくて残念だからです。
それから、お茶を点てて差し上げるのに、そのほうが準備ができるので。

皆さま、花祭窯へお越しの際は、ぜひあらかじめご連絡くださいませ<(_ _)>

やきものができるまで(磁器の制作工程)・前半

こんにちは。花祭窯の番頭役・ふじゆりです。

いよいよ本日7月16日(土)が初日です。
銀座黒田陶苑さんでの藤吉憲典(ふじよしけんすけ)個展。
原点回帰=肥前磁器の伝統文化をしっかり感じていただくことがテーマになっています。

その事前知識になれば、ということで

↓肥前磁器についてこれまでに書いた記事はこちら↓

○肥前磁器(ひぜんじき)とは?

○染付(そめつけ)・赤絵(あかえ)・染錦(そめにしき)

○古伊万里(こいまり)のこと


本日は

磁器の制作工程について(前半)

染付(そめつけ)・赤絵(あかえ)・染錦(そめにしき)」でもご紹介したように、
絵付だけでも技法の分かれる肥前磁器。

今も有田焼に残る磁器制作工程の完全分業は、
作業工程を細かく分けて、専門家・職人化したものです。

「高度に専門職化することにより、効率的に質の高いものを生み出すための方法」と解釈されがちですが、
そもそもは磁器制作をはじめた佐賀藩による
「他の藩に磁器制作の技術がまとめて流出することを防ぐための政策」でした。

磁器制作の工程は、次のような流れになります。

土こね

磁器制作がはじまったのは、佐賀県有田にある「泉山」で陶石が採れたことによりますが、
現在は泉山で採取できる良質の陶石はわずかになっています。
肥前磁器の磁器土(陶石)は、現在ではほとんどが熊本県天草で採れたもの。
天草陶土」と呼ばれています。

天草で採取された陶石は「土やさん(陶土屋さん)」によって精製され、
色味など、生地のタイプによっていくつもの種類の陶土となります。
花祭窯でも、色味により数種類使い分けています。

さて土やさんから買ってきた土を、ロクロがしやすいようにこねます。
土に含まれる主に空気を抜くのが目的だそうです。

有田には「土こね三年」という言葉があり、
最初の工程である土こねを習得するのに3年かかるといわれています。

成形

土がこねあがったら、形をつくります。
現在藤吉憲典がつくっているものとしては
ロクロ、またはタタラ、あるいは彫塑の方法による成形です。

削り

形ができたら生地を自然乾燥させます。
適度に乾燥したら、高台(器の底)を削って整えます。
このとき、いかに削る量が少なくて済むかが、ロクロの腕の見せ所です。
また口縁が輪花(りんか)縁のように装飾が必要なものも、このときに削って形をつくります。

乾燥しすぎると土が固くなって作業がしづらくなり、生乾きだと触ることによって形が崩れてしまうので
「適度な乾燥度合い」の頃合がだいじです。

素焼き

生地が十分に乾燥したら、素焼きです。
素焼きは最初の焼成です。藤吉憲典は現在は電気窯を使っています。
最高温度900度くらいまで引き上げます。素焼きでは9時間程度焼成します。

 

次回は、絵付けからの工程をご案内いたします(^^)


藤吉憲典個展

2016年7月16日(土)-21(日) ※18日(月)定休日。
11時‐19時
銀座黒田陶苑 2F展示室
東京都中央区銀座7丁目8番6号
TEL03-3571-3223

地下鉄・東京メトロ銀座駅A-2出口より徒歩2分、JR新橋駅銀座口より徒歩5分
http://www.kurodatouen.com/info

古伊万里(こいまり)のこと

こんにちは。花祭窯の番頭役・ふじゆりです。

いよいよ今週末に迫ってまいりました。
7月16日(土)が初日の銀座黒田陶苑さんでの藤吉憲典(ふじよしけんすけ)個展では、
原点回帰=肥前磁器の伝統文化をしっかり感じていただくことがテーマになっています。

その事前知識になれば、ということで

↓肥前磁器についてこれまでに書いた記事はこちら↓

○肥前磁器(ひぜんじき)とは?

○染付(そめつけ)・赤絵(あかえ)・染錦(そめにしき)

 

本日は、質問されることの多い「古伊万里ってなに?」について。

古伊万里(こいまり)のこと

一般的に、1600年代~1800年代の江戸期に、佐賀県有田で作られたやきもの
=肥前磁器を「古伊万里」と呼びます。

有田で作られたやきものが、伊万里港から舟であちこちに出荷されたことから
「伊万里」の名がついています。

時代の流れによって分けられます。
「初期伊万里」「前期伊万里」「中期伊万里」「後期伊万里」。
江戸中期の伊万里は「盛期伊万里」とも呼ばれます。

初期伊万里(1600年代初期)

1610年佐賀県有田で、日本最初の磁器の焼成に成功しました。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に朝鮮から陶工を連れ帰り、佐賀藩のもと有田で磁器制作がはじまったのです。将軍家や諸大名への贈答品が主に作られており、「上手(うわて)もの」と呼ばれていました。

前期伊万里(1600年代中期~1700年頃)

朝鮮の技術ではじまった磁器制作は、中国の技術を取り入れることによりさらに進化していきます。
内乱によって輸出ができなくなった中国の景徳鎮(けいとくちん)窯に代わって、
東インド会社が有田から東南アジア・ヨーロッパへと輸出するようになりました。
ヨーロッパからの要望により、色絵や金襴手(きんらんで)の技術がはじまりました。

 

中期伊万里(1700年頃~1780年頃)

献上ものや輸出ものは、佐賀藩による品質の維持管理が徹底しており、
鍋島様式や柿右衛門様式の完成度が増し、豪華絢爛な金襴手も盛んになっていきます。

1757年中国景徳鎮の欧州輸出が再開されると、東インド会社との取引が終了し、
国内需要(武家向けや、庶民向け)への転換期に入っていきます。

 

後期伊万里(1780年頃~1860年ごろ)

国内向けの大量生産がはじまります。
人材の流出により肥前磁器の技術が各地に広がり、全国各地で磁器生産の動きが活発になります。
「下手(げて)もの」と呼ばれる簡素な絵付けの庶民向けの食器がつくられはじめました。

1860年代以降は、さらに印刷装飾法の普及などにより大量生産の仕組みが向上し、
価格競争も始まり、それに伴って品質の低下が著しくなりました。
このころのものは「幕末伊万里」と呼ばれますが、「古伊万里」の範囲から外されることもあります。

 

さて、今回の銀座黒田陶苑さんでの「藤吉憲典個展」
オーナーの黒田さんから「古臭いものを作ってほしい」とのご希望でした。

初期伊万里~中期伊万里の献上品のように、
つくりも絵付けも、裏も表もしっかりと丁寧に作りこんだものを、お届けいたします。


藤吉憲典個展

2016年7月16日(土)-21(日) ※18日(月)定休日。
11時‐19時
銀座黒田陶苑 2F展示室
東京都中央区銀座7丁目8番6号
TEL03-3571-3223

地下鉄・東京メトロ銀座駅A-2出口より徒歩2分、JR新橋駅銀座口より徒歩5分
http://www.kurodatouen.com/info

染付・赤絵・染錦

こんにちは。花祭窯の番頭役・ふじゆりです。

7月16日(土)が初日の銀座黒田陶苑さんでの藤吉憲典(ふじよしけんすけ)個展では、
原点回帰=肥前磁器の伝統文化をしっかり感じていただくことがテーマになっています。

そこで、そもそも肥前磁器ってなに?どんなもの?というところをしばらく書いていこうと思います(^^)

↓前回は「そもそも肥前磁器とは?」を書きました↓

○肥前磁器(ひぜんじき)とは?

本日は、絵付の種類について。

 

染付(そめつけ)・赤絵(あかえ)・染錦(そめにしき)

うえの写真は
染錦(そめにしき)梅に鶯文(うめにうぐいすもん)蕎麦猪口。

肥前磁器で用いられる絵付の三つの技法「染付・赤絵・染錦」を説明するのに
ちょうど良い文様だったので登場してもらいました。

染付(そめつけ)

染付とは、呉須(ゴス)と呼ばれる絵具で描かれたものを指し、色は色です。
現在は色呉須と呼ばれる、青以外の色の呉須もいろいろと開発されていますが、
一般に「呉須」というと、昔からあるコバルトを原料に含む青の発色をする絵具を指します。

その呉須を用いて描かれた青色の絵付が「染付」
うえの写真でいうと梅の枝が伸びるふもとの「青色」で描かれた部分です。

染付は別名「下絵付(したえつけ)」とも呼ばれます。

「下絵付」は染付の工程から来た呼び方。
ロクロやタタラなどで形ができた磁器は、まず「素焼き(すやき)」の窯に入ります。
この素焼き窯から出てきた状態に絵を付けるのが、染付。
染付で絵がついたら、釉薬(ゆうやく)と呼ばれるガラス質を上からかけて
「本窯(ほんがま)」と呼ばれる窯に入ります。

釉薬の下に描かれているから「下絵付」なんですね。

赤絵(あかえ)

本窯から出てきたあと、釉薬のうえに施される絵付けが「赤絵」です。

写真でいうと赤・緑・黄色・黒などの色で描かれている部分
釉薬のうえなので「上絵付(うわえつけ)」とも呼ばれます。
また色とりどりの絵具が使われるところから「錦手(にしきで)」とも呼ばれます。

染付と赤絵(錦手)を組み合せた絵付けが「染錦(そめにしき)」。
写真の染錦梅に鶯文蕎麦猪口の名前は
絵付技法の「染錦」文様名の「梅に鶯文」そして器の形状である「蕎麦猪口
この三つが組み合わされているのです。

 

染付と赤絵は絵付でもまったく技法が異なり、
江戸の昔から、染付の職人さんと赤絵の職人さんは、完全に分けられていました。
現代でも、染付と赤絵の両方に熟練している人はとても少ないのです。

 

さて、染付も赤絵も大好きだという藤吉憲典の個展では、
文様の楽しさを存分に味わっていただけることと思います。

今回の銀座黒田陶苑さんでは、季節柄、染付中心。
染付のなかに赤絵がぽっと色をさす楽しさも見出していただけると幸いです。


藤吉憲典個展

2016年7月16日(土)-21(日) ※18日(月)定休日。
11時‐19時
銀座黒田陶苑 2F展示室
東京都中央区銀座7丁目8番6号
TEL03-3571-3223

地下鉄・東京メトロ銀座駅A-2出口より徒歩2分、JR新橋駅銀座口より徒歩5分
http://www.kurodatouen.com/info

銀座黒田陶苑 藤吉憲典個展

ぜひご来場くださいませm(__)m

肥前磁器とは?

こんにちは。花祭窯の番頭役・ふじゆりです。

7月16日(土)が初日の銀座黒田陶苑さんでの藤吉憲典(ふじよしけんすけ)個展では、
原点回帰=肥前磁器の伝統文化をしっかり感じていただくことがテーマになっています。

そこで、そもそも肥前磁器ってなに?どんなもの?というところをしばらく書いていこうと思います(^^)

 

肥前磁器(ひぜんじき)とは?

九州北部地方の肥前国=現在の佐賀県で確立されてきた、磁器の伝統的な陶芸技法・文化です。
陶器の原材料は土。磁器の現在量は石。

日本の磁器発祥の地といわれている
佐賀県有田を中心に発展してきたもの「肥前磁器」と呼んでいます。

一般的には「有田焼」「伊万里焼」「鍋島」「柿右衛門」などと呼ばれるものを含めた総称です。

1610年、朝鮮から連れてこられた陶工・李参平(りさんぺい)が
佐賀有田の泉山陶石を使って焼いたのがはじまりといわれています。

朝鮮半島からもたらされた技術ではじまった磁器作りは、
その後、中国・景徳鎮(けいとくちん)窯の磁器技術などをお手本として進化、
さらに日本独自の技術・文化・職人気質が加わりながら発展してきました。

その歴史、おおよそ四百年
その歴史のなかで陶工たちが遺してくれた数々の名品は、
現在も肥前磁器に関わる者にとって大きな宝であり、
藤吉憲典にとっては、これ以上ない師匠です。

写真は
染錦花鳥文(そめにしきかちょうもん)大鉢  作・藤吉憲典

これもまた伝統的な文様のひとつです。
染付の藍色と、色とりどりの上絵(赤絵)。
ハレの日に嬉しい吉祥文様は時代を経ても色あせません。

ということで次回は、たびたび登場する「染錦」「染付」「赤絵」について書きますね♪

 


藤吉憲典個展

2016年7月16日(土)-21(日) ※18日(月)定休日。
11時‐19時
銀座黒田陶苑 2F展示室
東京都中央区銀座7丁目8番6号
TEL03-3571-3223

地下鉄・東京メトロ銀座駅A-2出口より徒歩2分、JR新橋駅銀座口より徒歩5分
http://www.kurodatouen.com/info

銀座黒田陶苑 藤吉憲典個展

ご来場を心よりお待ちいたしておりますm(__)m

百合が咲きました!~知ると楽しい文様のこと

こんにちは。花祭窯の番頭役・ふじゆりです。

百合が咲きました!

季節の草花を題材にした肥前磁器の文様

先日から蕎麦猪口の文様についていろいろと記事を上げてきましたが、
蕎麦猪口に限らず、肥前磁器には季節の草花を題材にした文様がたくさんあります。

そんななか、実はあまり見当たらないのが、百合。

百合と思われる文様が無いことはないのですが、
大量にさまざまに描かれている桜・朝顔・菊などに比べ、目にすることがとても少ないのです。

錦百合文蕎麦猪口 藤吉憲典

花祭窯・藤吉憲典のつくる百合文様の蕎麦猪口は、
藤吉憲典のオリジナルデザイン。

古伊万里のお手本に百合の蕎麦猪口が見当たらなかったので、つくってもらったのでした。
姿のインパクトだけでなく香りの自己主張もしっかりとする強さをもち、
花の種類も多い百合く、花農家さんでも積極的に栽培されている人気の百合。

やはり山野に自生・群生するものには、特別な力強さを感じます。

 

 

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