梅雨入り2。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

梅雨入り2。

梅雨シーズンになると嬉しくなる文様は、食の器だけにとどまりません。

染錦蛙と紫陽花陶箱 藤吉憲典
染錦蛙と紫陽花陶箱 藤吉憲典

染錦蛙と紫陽花陶箱。「染錦(そめにしき)」というのは、「染付(そめつけ)」と呼ばれる藍色を出す絵具を使う絵付けと、「錦手」とか「赤絵」と呼ばれるカラフルな上絵の具を使う絵付との組み合わせで文様を描く技法です。

梅雨空の下に色とりどりの紫陽花が映えるように、この陶箱も染付の濃い藍色のなかに、色とりどりの紫陽花を描いています。そして、カエル。

花祭窯の創業の地である花祭は自然豊かで、梅雨時になるとこのような鮮やかな緑色のアマガエルが常に家の周りにおりました。

この陶箱のデザインは藤吉憲典のオリジナルですが、身の周りの自然を取り込んで描く在り方は、江戸の昔の肥前磁器の文化を踏襲しています。

 

梅雨入り。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

梅雨入り。

北部九州の梅雨入りが発表されました。5月のうちに梅雨入りしたのは、ずいぶん久しぶりのようですね。

有田・伊万里・鍋島・柿右衛門などと呼ばれる肥前磁器に描かれる文様には、季節を感じるものが数多くあります。

そのひとつ、この季節になると必ずご紹介したくなるのが、これ。

染付傘文蕎麦猪口 藤吉憲典
染付傘文蕎麦猪口:(藤吉憲典)

染付傘文蕎麦猪口

肥前磁器に描かれる文様は、現在も江戸時代から描き継がれているものがほとんどです。この傘文様も、古伊万里と呼ばれる江戸時代の骨董に描かれていたものを、藤吉憲典が復刻しているものですが、まったく古さを感じないどころか、ポップなデザイン。江戸の粋を感じます。

こんな器を使うのも、梅雨の楽しみ方のひとつです。

 

平成30年度学芸員技術研修会

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

平成30年度学芸員技術研修会

今年度も開催決定!のご案内をいただきました。写真は、この研修会がきっかけで昨年「教育普及プログラム」の在り方を学びに押しかけ訪問した宮城県美術館。

「学芸員技術研修会」は、文化庁事業「大学における文化芸術推進支援事業」の採択を受けて、九州・沖縄8県で開催される研修会です。

わたしが初めて参加したのは、2年前。この研修会の存在を偶然ネットで見つけ、ダメでもともとと事務局の先生に参加希望のメールを書いたところ、わたしの仕事・立ち位置を理解し、快く受け入れてくださったのでした。

学芸員研修に行ってきました。

「美術館・博物館の学芸員」の肩書の無いわたしにも道を開いてくださったのは、事務局を務める、九州産業大学美術館の緒方泉先生。この学芸員技術研修会のすごいところは、各研修を担当するプロフェショナルな先生方を全国各地から招聘していることと、そこを目指して意欲的な学芸員の方々が九州内外から集まって来られることだと思います。が、それが継続的に実現しているのも、ひとえに事務局の先生の熱意やお人柄によると、つくづく感じます。

平成30年度も魅力的な研修テーマがずらり。「展示グラフィック」「資料保存」「展示制作」「照明技術」「梱包技術」「博物館教育」「ユニバーサル・ミュージアム」「著作権」など…

もしこれを読んでおられる学芸員さんがいらっしゃったら、ぜひご参加をお勧めいたします!開催場所は九州ですが、例年、九州外からの学芸員さんも参加なさっています(^^)

 

長屋的ご近所づきあい。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

長屋的ご近所づきあい。

花祭窯のある福津市は、博多から電車で30分という立地であり、昨今は少子化のご時世にありながら人口流入の多い、ベッドタウン的な市。JR福間駅からバスで15分の、ここ津屋崎もまた、日に日に田んぼが宅地に変わりつつあり、小学生の人数を見た感じでは人口が増えています。

そんななかにあって、ここ津屋崎千軒というエリアは、江戸末期~昭和初期の全盛期からこちら、空き家が増え人口が減っている地域です。少しづつ、移住してくる人も増えてきたように思いますが、それでもまだ空き家の増える速度には追い付いていないかな、というところ。

ここに住まいはじめて7年目、津屋崎千軒のご近所エリアは、昔ながらの人付き合いの良さが残り、それが安心して暮らすことのできる基盤になっているのを、つくづくと感じます。

外に出れば必ずといっていいほど知っている顔に出会い、子どもも大人もあたりまえに挨拶を交わす景色、路地で日向ぼっこするおばあちゃんたち、なにかと届くお裾分けの品々…。

長屋的ご近所づきあい。長屋文化=江戸末期の文化と考えると、ここ津屋崎千軒が長屋付き合い的空気をいまだ遺しているのは、なるほど町の隆盛の歴史がこの時期に重なっていたことも大きいのかもしれないな、などと考える今日この頃です。

 

読書『黄金のアウトプット術』(ポプラ新書)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『黄金のアウトプット術』(ポプラ新書)

写真は成毛眞著『黄金のアウトプット術』(ポプラ新書)より。

文章を書くことがどんどん増えつつある今日この頃。文章を書く=アウトプットに意識が向くと、そういう本が目の前に現れるというありがたさ。

本を探す・見つけるルートというのは、人それぞれにいくつかあると思いますが、わたしがお世話になっているもののひとつは、メールマガジン「ビジネスブックマラソン」。タイトルの通りビジネス書の良書を探すのにとても重宝しています。

土井英司さんのBBM(ビジネスブックマラソン)
http://eliesbook.co.jp/review/

『黄金のアウトプット術』もこのメルマガで(わたしにとって)タイムリーに紹介されていた本です。

著者はマイクロソフト日本法人社長だった成毛眞氏。もちろん現在の肩書はいろいろとお持ちなのですが、どうも、成毛さん=マイクロソフト、のイメージが強いもので…。現在は自ら書評サイトも開設なさっているのですね。

さて『黄金のアウトプット術』、表紙で『「勉強と教養」はもういらない!』、はじめに、で、『インプットの時代はもう終わっている。(中略)お勉強はもう十分だ。』とあります。

ここだけ読むと、この本を読んでいる(=インプットしている)時点で既にアウトです(笑)が、読了後の感想としては、著者の主張は「アウトプットをすることが、よりすぐれたインプットにつながる」というものであって、決してインプットを否定するものではなく。まあ当然といえば当然ですね。

おっしゃっていることのもうひとつに、「公開されないアウトプットは意味が無い」ということがあるのですが、これはほんとうに共感するところで、陶芸家やアーティストを目指しているという若い人が相談に来た時、まず質問するのが「ものをつくったのか?」と「誰かに見せたのか?」なのです。

本書ではアウトプットの在りようについて「文章を書く」「話をする」を中心に展開していますが、もちろん「モノをつくる」もアウトプットなわけであり、外見(服装など)もアウトプットなわけであり、そのあたりも面白く触れられています。

一気にサクッと読めました(^^)

読書『風姿花伝』(岩波文庫)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『風姿花伝』(岩波文庫)

世阿弥(ぜあみ)著。野上豊一郎、西尾実(校訂)

写真は博多の聖福寺。『風姿花伝』とは関係ありませんが、なんとなく。

さて『風姿花伝』恥ずかしながら、ついこの前まで、「そういえば学生の頃に教科書に出てきたなぁ」「能の本だよね」というぐらいの認識でした(汗)。

「古今東西にわたる、すぐれた芸術論」であるとは、本書巻末の「校訂者のことば」にある、西尾実氏のことば。まずこの「校訂者のことば」を読んで、『風姿花伝』の重要性を知らされました。

もとはといえば、新聞だったか雑誌だったかの書評で『高田明と読む世阿弥』(日経BP社)を見つけ、「へぇ~!」と思ったのが、今回この本を読むに至ったきっかけでした。高田明さん、ジャパネットたかたの創業者の高田さんです。

その書評で興味が湧き、せっかく読むなら原著に近いものを、と辿り着いたのが、岩波文庫の『風姿花伝』。ところが読みやすく校訂してあるとはいうものの、読みなれない身としては、「字を読む」(あるいはなぞる)ことに必死になってしまって、なかなか内容が頭に入ってきません。

そこで、開き直って「声に出して読む」に挑戦してみたら、これがなんとも面白く。本文100ページほどの薄い文庫本なので、まず音を楽しむところから始めることにいたしました。繰り返し読むうちに「すぐれた芸術論」が自然と身体に入ってくると良いな、と。いわば「不朽の著」ですから、長い目で取り組みます。

きっかけをくださった高田明さんの本はまだ読んでいません(ごめんなさい)。そのうち手に取ることがあるだろうと思いつつ。

 

福岡acad. はじめます。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

福岡acad. はじめます。

福岡acad.は、福岡を拠点にArts, Crafts, Architect and Design.に効く勉強会をシリーズ展開していくプロジェクトです。

記念すべき第1回目の勉強会は来たる6月30日(日)。

建築の勉強会シリーズ 第1回建築の歴史

建築の歴史を学びながら、知識・知見を広げ、仕事の基盤となる美意識を鍛えます。詳しくは、フェイスブックのイベントページで。参加者募集中です(^^)

さて、福岡acad. 名前の由来。

arts

crafts

architecture

design

の頭をとっていろいろと並べかえていたら、

acad

となったもので、面白いかな、と決定。

思わず「アカデミーかぁ…」と笑ってしまいました。というのも、立ち上げメンバーは、アートの世界で一般的に使われるところの「アカデミー」あるいは「アカデミック」的なものとは対極にある立ち位置で仕事をしてきている面々なので。

ただ、academyの意味や語源をいろいろと読んでみても、「学ぶ場である」という位置づけは揺らがないようなので、わたしたちが使っても良いでしょう(笑)

この会の一番の特長は、生業としている人たちが、現場で培ったもの、生業としているからこそ見える大切なことをともに学び伝えていくことにあります。いわば「学校では教えてくれない(教えることのできない)」内容。

継続的に勉強会を展開していきます。

 

読書『新・怖い絵』(KADOKAWA)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『新・怖い絵』(KADOKAWA)

つい先日、中野京子さんの本をやっと手にしたという話を書いたばかりでしたが‥。

読書『名画の謎』(文藝春秋)シリーズ。

面白いと、連続的に手に取ってしまう性質でして、『怖い絵』シリーズの最新ものを発見。中野京子さんの解説には知的な毒がちりばめられていて、それが麻薬的な面白さになっているように感じます。「名画」の解説として普通は「ちょっと書きにくい」ことを、ウィットに富んだ言い回しで、わたしたちにずばり届けてくださる。作品の背景にある歴史・西洋史の流れを熟知しておられるからこそ、ですね。

そんな『新・怖い絵』から、思わずうならされた文章5つ。


  • 結局、イデオロギーがあろうとなかろうと、いいものは残る。
  • 「時間」は過去から現在を通って未来へ一方通行に流れているとは限らない。
  • 現実が芸術に影響を及ぼすように、芸術もまた時に現実に影響を及ぼす。
  • 論理より美意識のほうがはるかに陶酔を誘う。陶酔は愚かさに似ているが、美意識に殉じる道はやはり煌めいている。
  • 仮装や仮面は何のためか。自己を開放するためのものだ。価値を転換するためのものだ。社会の序列も礼儀作法も性も個も捨てて、変容するためのものだ。

『新・怖い絵』(KADOKAWA)中野京子(著)より


この勢いで、『怖い絵』シリーズにさかのぼって読んでいくことになりそうです。

 

「目が良い」。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

「目が良い」。

先日は月に一度の 書道部@花祭窯 の日でした。

いろんな方と一緒に字を書いていると、「初心者です」とおっしゃっいながら、お帰りになるころにはとても良い雰囲気の字を書いて行かれる方がいらっしゃいます。

何年もかけても(毎週お稽古しているわけではありませんが^^;)なかなかきれいな字を書くことができないわたしとしては、1~2時間のうちにめきめき「お手本」に近い字を書けるようになる方を目の当たりにすると、すっかり感心してしまいます。

いったい何が違うのでしょうか。

お手本を書いてくれるダンナによると、その違いの第一は、「目が良い」ということ。

ここでいう「目が良い」は、「この形が美しい(きれいな字の)カタチなんですよ」というお手本を見て、その形の美しさのポイントを把握する力があるかどうか、とでもいうところでしょうか。そういえば、めきめき上手になる方は、デザインや造形の心得がある方に多い。形の捉え方に違いがあるのかもしれません。

次に、美術館での教育普及学芸員として第一人者である齋先生の説をお借りすれば、「運動神経が良い」

目で見た「このような形に文字を書くときれい」を、自分の手碗を伝って紙の上に実現(再現)する力、とでもいったところです。運動神経にもいろいろあって、足が早い、力が強いということだけが運動神経の良さなのでなく、思ったように繊細に手腕指を動かすことができるというのもまた、運動神経なのですね。

そして、なんといっても「集中力がある」

半紙に向かう1~2時間の集中力を感じます。そして、その集中力の背景には、その(筆で字を書くという)動作を楽しんでいる、という状態があります。楽しんでいるといっても、表情は真剣そのもの。真剣に向き合って楽しむことができている状態が、もっとも集中力が発揮される状態なのだと、見ていてつくづく思います。

月一度の書道部。個人的には目下、第二の要素である「運動神経」を鍛えるべく、くりかえし「書く」ことに勤しんでおります(^^)

 

 

 

 

「写し」の文化。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

「写し」の文化。

上の写真は、藤吉憲典のつくった「染錦鮑型向付」。古典がお好きな方なら、すぐにお気づきになると思いますが、北大路魯山人のつくった鮑型向付に、同様のものがあり、その「写し」です。

やきものの文化は「写し」の文化。「写し」とはすなわち、古典と呼ばれる古い名品に倣ったカタチや絵付をして、現代によみがえらせることです。例えば、藤吉憲典がつくる「器」に目を向けてみると、生み出される作品の8割くらいは「写し」または写しを組み合わせたもの、発展させたもの、ということになりましょう。

ただ、これは藤吉に限らないのはもちろん、古伊万里に限ったことでもありません。広く周辺を見渡せば、やきものの世界に限ったものではありません。古き良きものをまねるところから、スタートする。これはあらゆる分野で行われていること。

「写し」の本来的な意味は、『そのまま真似するのではなく、元よりももっと良いものにすること』にあり、そのことがもっとも大切であると考えています。またそのためには、一番最初にその形をつくり文様を描いた人がどのようなつもりでそれを生み出したのかにまで思いをはせることが必要です。以前にもこのテーマについては記事にしていました

文様の話、古典とオリジナル(1)

とはいえ自分の目できちんと見ないと、単純に「あの名品の写しだから良い」ということだけで、評価してしまうという失敗が起こります。またそれが、ほんとうに「写し」といえるものであればよいけれど、往々にして「表装だけを真似ている」なんてことが。

福原義春さんの著書『美-「見えないものをみる」ということ-』


「本歌取り」「見立て」によって日本人は文化を進化させてきた。これは「質を落としながらのコピー」とは根本的に異なる。


と書いてあります。これを読んだときに、「写し」の考え方を正しく表現するための言葉遣いとして、我が意を得たりの心境でした。

『美-「見えないものをみる」ということ-』については、こちらにもわたしにとってこの本は、精神的な拠り所のひとつとなっています。

本ふたつ