「体験」と「本」の相互補完。ローマの強烈なインパクトを思い出しました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「体験」と「本」の相互補完。ローマの強烈なインパクトを思い出しました。

読書記録で塩野七生さんの『小説 イタリア・ルネッサンス』(新潮文庫)シリーズについて書いていたら、一度だけ行ったことのあるローマで受けた強烈なインパクトを思い出しました。

大学生の卒業旅行で行った「ロンドン・ローマ・パリ三都市格安ツアー」が、わたしの初めての海外旅行でした。バイト代をはたいての貧乏旅行。三都市を巡るとはいえ、各都市2泊づつの電撃ツアー。ツアーと名前はついていても、添乗員さんはなく現地ガイドさんがところどころにいるだけという、貧乏学生向けの格安パックでした。

それでも初めての海外、それも欧州行きというのは、嬉しくて嬉しくて、見るものがすべて新鮮で、テンション上がりっぱなしの緊張しっぱなし。ロンドンの街や人のシックなカッコよさに惚れ惚れし、パリの街中の汚さ(イメージとのギャップ)に幻滅し、そして全く次元の異なる空間であるローマにショックを受けたのでした。

たった2泊づつ。それも都市から都市への移動時間を含んでのことですから、主な観光地に駆け足で行っただけ、という感じです。でもローマに入ったときのショックは、今でも鮮明です。まず空港から中心部への車中で感じた「景色の異次元さ」。当時1992年の「現代」のなかに古代がそのまま生きている感じでした。あるいは古代のなかに現代が立ち現れているという感じでしょうか。

その感覚をこれまではただ「すごい!」としか言えずにおりました。それがどういうものであったのか、『小説 イタリア・ルネッサンス 3 ローマ』(新潮文庫)を読んで、少しわかったように思いました。主人公のセリフ「ローマでは、古代を思わないでは生きていく意味が無いような感じさえするのです」に集約されているのかもしれません。

この本のなかではミケランジェロも登場しています。主人公の口を借りて描かれるミケランジェロを通して、芸術家にとってのローマを考えることができました。曰く「古いものを知ることこそが、新しいものの創造につながるということなのだろう」。またミケランジェロがローマを仕事の場に選んだ理由として、祖国フィレンツェの経済的衰退だけでなく、ローマには「ローマでしか思いつかない、ローマでしか実現できないアイデア」が生まれる環境があり「彼の考えを刺激し実現するには、古代を持たないフィレンツェは小さすぎ、一面的すぎた」ためであろうと書いています。(『小説 イタリア・ルネッサンス 3 ローマ』より一部引用)。

思いがけず、過去の体験と本が補完し合って自分のものになっていく感じを味わっています。旅と読書の醍醐味ですね。