こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
津屋崎陶片ミュージアム、唐草文様ふたつ。
(上)蛸唐草文様(たこからくさ)
と
(下)牡丹唐草文様(ぼたんからくさ)
磁器作家・藤吉憲典的に「背筋の伸びる思いのする陶片」の類です。薄手で品よくつくられた形に、丁寧で伸びやかで美しい文様。
「やっぱりこうでなくっちゃ」というお仕事ぶりの陶片。こういうものに出会うたびに、ものづくりの原点に立ち返ることができるのは、ほんとうに幸せなことですね。
ギャラリー、美術館、博物館関連の情報や、訪問・観覧報告など。
こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
海あがりの陶片は、古伊万里ばかりではありません。これまでにも、宋時代の青磁をご紹介しましたが、本日は唐津系の陶器。
実は「ひょうそく」という呼び名があることを知らず、燭台と一緒くたになっていました(汗)
ろうそくで明かりを灯す燭台(しょくだい)に対して、油を使った行燈(あんどん)があり、行燈のなかに置かれていたのが、「燈明皿(とうみょうざら)」「ひょう燭」と呼ばれるもの。行燈のなかに置くだけでなく、それぞれ単体でも明かりの道具として用いられたもの。ひょう燭は、燈明皿の油量が少なく灯火時間が短い点を改良してつくられたものだそうです。
住まいの道具としても、やきもの(磁器・陶器)はたくさん利用されていますが、特に増えていくのは江戸時代中期以降のことだそうで、このひょう燭も18世紀~19世紀につくられた唐津系の陶器と思われます。
(※佐賀県立九州陶磁文化館 平成6年度特別企画展「よみがえる江戸の華―くらしのなかのやきもの―」を参考にしています。)
お皿部分は欠けていますが、その全容がほぼわかる形で残っている、嬉しい陶片です。
こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
この方がお見えになると、そういえばもうそんな季節だと気づきます。津屋崎に移転してきてから毎年3月のことなので、もう5回目になります。今年も先日お越しになりました。
毎年、お求めになるのは蕎麦猪口。職場で年度末に退職なさる方への贈りものです。
たいていは夕方「遅くにすみません」と、お仕事帰りと思われるスーツ姿でお越しになります。蕎麦猪口の前で「どれがいいかなぁ」と迷っておられるので、男性か女性か、どんな方か、をお聞きして、在庫のあるなかから喜んでいただけそうなものをお勧めしています。
毎回、たくさんお話をするわけではありませんが、退職なさる方へ花祭窯の蕎麦猪口を贈ると決めてくださっているのだとわかり、その気持ちがとてもありがたく嬉しくなります。
これは他所から移住してきたわたしたちにとって、ほんとうに光栄で嬉しいことです。うちは商売をとおして地元地域に貢献できる機会はなかなか少ないのですが、こんなふうに「地域にあるもので記念になる贈りもの」をお探しの時に「そういえば花祭窯があるぞ」と思っていただけるよう、心を尽くしていきたいと思います。
いつもありがとうございます。
こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
ロンドン・クラフト・ウィークは、世界の革新的で優れた美術工芸の価値を高めることを目的に、毎年ロンドンで開かれています。期間中はロンドン市中のギャラリーや高級メゾンで世界各国のクリエイターが紹介されます。
いよいよワクワクしてきました(^^)
こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
読後、その世界観から抜け出すのがもったいなくて、そのまま2周目に入ってしまい、やっと昨日、一段落しました。久しぶりにお話のなかにすっぽり入りました(笑)
その本のなかから、特に心に響いたいくつかの言葉を以下にご紹介します。
(原田マハ『楽園のカンヴァス』より)
名前や制作年のような、いってみれば「記号」に頼るのではなく、作品そのものの力と「永遠性」を見抜く慧眼を見るものがもっているか。
名画はときとして、こんなふうに、人生に思いがけない啓示をもたらしてくれる。
「目」と「手」と「心」、この三つが揃っているか。それが名画を名画たらしめる決定的な要素なのだ。
真作のみが持つ強力な磁石。
美術館とは、芸術家たちが表現し生み出してきた「奇跡」が集積する場所。動物園や植物園は、太古の昔から芸術家たちが表現の対象として見つめ続けた動物や花々、この世界の「奇跡」が集まるところ。
アートを理解する、ということは、この世界を理解する、ということ。アートを愛する、ということは、この世界を愛する、ということ。
美と驚きに満ちたこの世界を
新しい何かを創造するためには、古い何かを破壊しなければならない。
他者がなんと言おうと、自分にとって、これが最高にすばらしいと思えるものを作り出すには、そのくらいの覚悟が必要なんだ。
世界を敵に回してでも、自分を信じる。
絵を見る喜びを伝えよう
(原田マハ『楽園のカンヴァス』より)
この本を紹介してくれたお友達に、心より感謝です!
こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
今、まずどうにかすべき目の前にある大きな課題は、
ダンナの仕事の様子を動画で撮っています。という話を少し前にしていましたが
そのなかに入れる英語でのナレーションを、もう、すぐにでも用意しなければなりません。
文章は、なんとか出来上がりました。あとは、音声すなわちナレーション。
最初、英語がきれいに話せる方にお願いしようかという考えもあったのですが、むしろ作家・藤吉憲典をよく知っている人が話す方が、気持ちがのっかって良い(より伝わる)のではないか、というご意見をいただき、それもそうかもと、チャレンジしてみることに決定したのでした。
文章はいつもの通り、ブループラネット英会話スクールさん(トラちゃん)のネイティブチェック!で完璧。あとは、読み方だけです。
これが…こんなにもうまくいかないものだとは、想像以上でした。
考えてみたら「映像に合わせて、少しでも聞き取りやすいよう頑張って、間違えないように話す」というのは、日本語でも難しいことだと取り組んでみてからようやく気付き。
自分の声を録音しては聞きなおし、を繰り返していますが、そろそろ仕上げなければきりが無い…という状態。どこに妥協点を見つけるか、ここ数日が勝負です(^^;)
こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
ここ数日、就寝前の読書タイムの贅沢は、
原田マハさんの『楽園のカンヴァス』。
読後、しばらくぼーっとしました(笑)キュレーターであったという「著者の本領とも言うべき美術分野」とあった巻末の説明に大きくうなずきました。
アンリ・ルソーとその時代の画家、彼らの描いた絵が物語の中心にあって、その絵のイメージが生き生きと思い浮かぶストーリーに、頭のなかにたくさんの色彩がちりばめられました。プラス、我が家には幸いルソーやピカソの画集があるので、登場する絵を画集で観ながら読み進めることもできて、面白い読書体験となりました。
絵は本物を観るのが一番とはいえ、パラパラとめくる以外に今ひとつ我が家では生かしきれていなかった画集。なるほど、こんなふうな画集の生かし方があったとは!と嬉しくなった一冊でした。
原田マハさんの著書は、先日の『キネマの神様』から2冊目。
この先もとっても楽しみです♪
こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
ときどき、この言葉がふっと湧いてきます。
今から10年近く前に読んだ本、『偶然のチカラ』(植島 啓司 著)に書かれていたものです。選択に迷ったときは、無理にどちらかを選ぼうとしないほうがうまくいくこともある、というようなことが書いてありました。
ダンナ・藤吉憲典がアート作品的なものを世に出すようになって、この言葉をよく思い出します。
一人の人間が考えること、興味を持つことって、たった一つである必要はないし、いろいろな方向に仕事が伸びていくことの方が自然なような気がします。そして、実際にそのように創作・制作しているのを見ていて思うことは、
歴史を振り返っても、「画家で詩人」「ミュージシャンで画家」「天文学者で発明家」…なんて例がたくさんあるのですよね。
「自分はこれ」と決めつけずにやってみることの面白さを感じる今日この頃です。
こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
抹茶碗がついにきました。これまでも、もしかしたら抹茶碗の陶片を拾っていたのかもしれませんが、「これは抹茶碗でしょう!」と言えるものは、今回が初めて。
これも大きな陶片ではありませんが、高台のつくりがわかる形で残っていたので、そのような想像が働きます。好きな茶陶作家さんがつくるお抹茶碗やぐい呑みの高台は、だいたいこんな感じなんです。
青磁です。時代はわかりません。高台の小ささ、高台際の作り方などから、お抹茶碗だろうなぁ‥と考えました。というよりは、これが完品だったら、お抹茶点てていただきたいなぁ、と思ったから、と言った方が正しいでしょうか。
思わずニヤニヤしてしまう宝ものです。
こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
先日、原田マハさんの『キネマの神様』を読みました。尊敬しているお友達が書く原田マハさんの本の感想がとても興味深くて、ずっと気になっていた作家さんです。今回、初めて読んでみました。
本屋さんで文庫本を発見。ほかにも何冊も「原田マハ 著」の本は並んでいました。が、巻末に「解説 片桐はいり」と書いてあるのを見つけ、『キネマの神様』即決(^^)
このところ実用書を読むことが多かったので、久しぶりの小説でしたが、引き込まれて一気読み。わたしのなかで、しばらく「原田マハ・ブーム」が続きそうです。
さて昨日は、映画の日(ファースト・デイ)。ダンナと息子が「ラ・ラ・ランド」を観に行くことになっていました。わたし自身は映画や舞台は一人で観に行くことが多いのですが、『キネマの神様』の余波(!?)で「一緒に行こうかな」という気持ちになり、急きょ皆で行くことに。
そのラ・ラ・ランド。上映時間128分が短く感じられました。そして、いつになくほんわかとした気分で映画館を後にしました。
映画「ラ・ラ・ランド」が良かった!のは、あちらこちらのレビューに見られる通りですが、わたしの場合、たまたまその前に『キネマの神様』を読んでいたことが、映画を観る自分のスタンス・受け取り方に大きく影響したことを感じた一日でした。