読書『黄金のアウトプット術』(ポプラ新書)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『黄金のアウトプット術』(ポプラ新書)

写真は成毛眞著『黄金のアウトプット術』(ポプラ新書)より。

文章を書くことがどんどん増えつつある今日この頃。文章を書く=アウトプットに意識が向くと、そういう本が目の前に現れるというありがたさ。

本を探す・見つけるルートというのは、人それぞれにいくつかあると思いますが、わたしがお世話になっているもののひとつは、メールマガジン「ビジネスブックマラソン」。タイトルの通りビジネス書の良書を探すのにとても重宝しています。

土井英司さんのBBM(ビジネスブックマラソン)
http://eliesbook.co.jp/review/

『黄金のアウトプット術』もこのメルマガで(わたしにとって)タイムリーに紹介されていた本です。

著者はマイクロソフト日本法人社長だった成毛眞氏。もちろん現在の肩書はいろいろとお持ちなのですが、どうも、成毛さん=マイクロソフト、のイメージが強いもので…。現在は自ら書評サイトも開設なさっているのですね。

さて『黄金のアウトプット術』、表紙で『「勉強と教養」はもういらない!』、はじめに、で、『インプットの時代はもう終わっている。(中略)お勉強はもう十分だ。』とあります。

ここだけ読むと、この本を読んでいる(=インプットしている)時点で既にアウトです(笑)が、読了後の感想としては、著者の主張は「アウトプットをすることが、よりすぐれたインプットにつながる」というものであって、決してインプットを否定するものではなく。まあ当然といえば当然ですね。

おっしゃっていることのもうひとつに、「公開されないアウトプットは意味が無い」ということがあるのですが、これはほんとうに共感するところで、陶芸家やアーティストを目指しているという若い人が相談に来た時、まず質問するのが「ものをつくったのか?」と「誰かに見せたのか?」なのです。

本書ではアウトプットの在りようについて「文章を書く」「話をする」を中心に展開していますが、もちろん「モノをつくる」もアウトプットなわけであり、外見(服装など)もアウトプットなわけであり、そのあたりも面白く触れられています。

一気にサクッと読めました(^^)

読書『風姿花伝』(岩波文庫)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『風姿花伝』(岩波文庫)

世阿弥(ぜあみ)著。野上豊一郎、西尾実(校訂)

写真は博多の聖福寺。『風姿花伝』とは関係ありませんが、なんとなく。

さて『風姿花伝』恥ずかしながら、ついこの前まで、「そういえば学生の頃に教科書に出てきたなぁ」「能の本だよね」というぐらいの認識でした(汗)。

「古今東西にわたる、すぐれた芸術論」であるとは、本書巻末の「校訂者のことば」にある、西尾実氏のことば。まずこの「校訂者のことば」を読んで、『風姿花伝』の重要性を知らされました。

もとはといえば、新聞だったか雑誌だったかの書評で『高田明と読む世阿弥』(日経BP社)を見つけ、「へぇ~!」と思ったのが、今回この本を読むに至ったきっかけでした。高田明さん、ジャパネットたかたの創業者の高田さんです。

その書評で興味が湧き、せっかく読むなら原著に近いものを、と辿り着いたのが、岩波文庫の『風姿花伝』。ところが読みやすく校訂してあるとはいうものの、読みなれない身としては、「字を読む」(あるいはなぞる)ことに必死になってしまって、なかなか内容が頭に入ってきません。

そこで、開き直って「声に出して読む」に挑戦してみたら、これがなんとも面白く。本文100ページほどの薄い文庫本なので、まず音を楽しむところから始めることにいたしました。繰り返し読むうちに「すぐれた芸術論」が自然と身体に入ってくると良いな、と。いわば「不朽の著」ですから、長い目で取り組みます。

きっかけをくださった高田明さんの本はまだ読んでいません(ごめんなさい)。そのうち手に取ることがあるだろうと思いつつ。

 

福岡acad. はじめます。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

福岡acad. はじめます。

福岡acad.は、福岡を拠点にArts, Crafts, Architect and Design.に効く勉強会をシリーズ展開していくプロジェクトです。

記念すべき第1回目の勉強会は来たる6月30日(日)。

建築の勉強会シリーズ 第1回建築の歴史

建築の歴史を学びながら、知識・知見を広げ、仕事の基盤となる美意識を鍛えます。詳しくは、フェイスブックのイベントページで。参加者募集中です(^^)

さて、福岡acad. 名前の由来。

arts

crafts

architecture

design

の頭をとっていろいろと並べかえていたら、

acad

となったもので、面白いかな、と決定。

思わず「アカデミーかぁ…」と笑ってしまいました。というのも、立ち上げメンバーは、アートの世界で一般的に使われるところの「アカデミー」あるいは「アカデミック」的なものとは対極にある立ち位置で仕事をしてきている面々なので。

ただ、academyの意味や語源をいろいろと読んでみても、「学ぶ場である」という位置づけは揺らがないようなので、わたしたちが使っても良いでしょう(笑)

この会の一番の特長は、生業としている人たちが、現場で培ったもの、生業としているからこそ見える大切なことをともに学び伝えていくことにあります。いわば「学校では教えてくれない(教えることのできない)」内容。

継続的に勉強会を展開していきます。

 

バウハウスってなに!?

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

バウハウスってなに!?

友人であり尊敬する師でもある藤井設計室・藤井ご夫妻と一緒に、モノを生み出すことを生業としている人たちが一緒に学べる場をつくろうとしています。そこで出てきたキーワードが「バウハウス」。もちろん聞いたことがありますが、「バウハウスってなに!?」と問われると、ほぼ説明できない状態であることが発覚。

というわけで、遅ればせながらまずは基本的なことを理解したいと、「バウハウス」に関する参考書類(洋書あり・写真もたっぷり!)を大量にお借りしてきました。

上の写真はその一部、『bauhaus 1919-1933』(tachen)、『Design for the Future』(Hatje Cautz Publishers)、『アール・デコの世界』シリーズ(学習研究社)。

たくさんの写真情報を眺めてまず思うことは、バウハウスが生み出したモノや、その影響を受けたモノ・現象が、現在進行形で生み出され続けているということ。そして、これはあくまでもわたしの個人的な思いですが、「消費され続けているもの」としてのインパクトを感じました。

ただ、わたしは「つくる人」ではないので、そこをきっかけに生まれてきたモノや現象もさることながら、むしろバウハウスが誕生するに至った経緯というか、立ち上げに奔走した人たちが、いったいなにを(どんな状態を)目指していたのかという理念に興味があります。

さて大量にお借りしてきた資料、まだ半分も読むことができておらず、わたしが知りたいことへの解答は得られていません(汗)が、ほふく前進よろしく少しづつ自分のなかに取り込んでいくことができればよいな、と。

ちなみに、次に読みたい本は、この本です(^^)

「目が良い」。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

「目が良い」。

先日は月に一度の 書道部@花祭窯 の日でした。

いろんな方と一緒に字を書いていると、「初心者です」とおっしゃっいながら、お帰りになるころにはとても良い雰囲気の字を書いて行かれる方がいらっしゃいます。

何年もかけても(毎週お稽古しているわけではありませんが^^;)なかなかきれいな字を書くことができないわたしとしては、1~2時間のうちにめきめき「お手本」に近い字を書けるようになる方を目の当たりにすると、すっかり感心してしまいます。

いったい何が違うのでしょうか。

お手本を書いてくれるダンナによると、その違いの第一は、「目が良い」ということ。

ここでいう「目が良い」は、「この形が美しい(きれいな字の)カタチなんですよ」というお手本を見て、その形の美しさのポイントを把握する力があるかどうか、とでもいうところでしょうか。そういえば、めきめき上手になる方は、デザインや造形の心得がある方に多い。形の捉え方に違いがあるのかもしれません。

次に、美術館での教育普及学芸員として第一人者である齋先生の説をお借りすれば、「運動神経が良い」

目で見た「このような形に文字を書くときれい」を、自分の手碗を伝って紙の上に実現(再現)する力、とでもいったところです。運動神経にもいろいろあって、足が早い、力が強いということだけが運動神経の良さなのでなく、思ったように繊細に手腕指を動かすことができるというのもまた、運動神経なのですね。

そして、なんといっても「集中力がある」

半紙に向かう1~2時間の集中力を感じます。そして、その集中力の背景には、その(筆で字を書くという)動作を楽しんでいる、という状態があります。楽しんでいるといっても、表情は真剣そのもの。真剣に向き合って楽しむことができている状態が、もっとも集中力が発揮される状態なのだと、見ていてつくづく思います。

月一度の書道部。個人的には目下、第二の要素である「運動神経」を鍛えるべく、くりかえし「書く」ことに勤しんでおります(^^)

 

 

 

 

中国茶をぐい呑みで。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

中国茶をぐい呑みで。

お友だちが上等な中国茶葉を分けてくださったので、ウキウキとティータイム。お茶の色を楽しみたかったので、色が見える器に淹れようと思ったのですが、わたしが持っている中国茶器の揃いは、土もの(陶器)。というわけで、サイズ的に近い(厳密にはやや大きめでしたが(汗))ダンナ・藤吉憲典作のぐい呑みでいただくことに。

で、上の写真です。色を見て「おお~!」飲んでみて「おお~!」と、二度楽しい。とってもおいしくて、好みの味でしたので、これはどんなお茶なのだろうとお茶が包稀ていたパッケージを確認したところ、プーアール茶のようです。

わたしは中国茶を飲むのは好きですが、詳しくはないので、さらに『中国茶の基本』なる本で探してみたところ「プーアール茶の熟茶」であるらしいことが判明。プーアール茶は「黒茶」と呼ばれるもののひとつなのですね。この色合いに納得です。黄金色をした中国茶も好きなのですが、今回このお茶をいただいてみて、自分の好みはどちらかというとこっち(熟茶)だ!とわかりました。

「お茶の色も楽しみたい」と思うときは、やっぱり杯は磁器の白い生地のものだと、より色が映えますね。実は今年に入ってから「中国茶器」のオーダーをいただいている藤吉憲典。そのためいろいろと資料を集めておりましたが、そろそろ本制作に取り掛かることができそうです。素敵な磁器の中国茶器もどうぞお楽しみに(^^)

 

美術と芸術。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

美術と芸術。

写真は、ちょうど手元にあった、中学生時代(ん十年前)から持っている「エッセンシャル英和辞典(中型新版第12刷)」(旺文社)の「art」の部分。

英語にすると「Art」なのですが、日本語だと「美術」「芸術」とふたつの言い方になり。普段話したり書いたりする場面では、その時のニュアンス(あるいは気分)で使い分けたり、たとえば自分以外の第三者の方との会話や文章との関連で使う場合は、もともと使われていた言葉を踏襲して使おうというくらいの使い分けの意識でした。

先日、あるアートに関するできごとについて、ダンナと侃々諤々意見交換した結果、これから自分がこれらの言葉を使うときは、自分で定義した意味に基づいて意識して使い分けていこうと思いたち、なんだかスッキリ。


ふじゆり的「美術」と「芸術」の使い分けの考え方

  • 美術…びじゅつの「び」は「美」や「ビューティフル」の「び」。
  • 芸術…げいじゅつの「げ」は「ゲッ!」という驚嘆の「げ」。

音的に美しくない表現が含まれていてスミマセン。が、今のところ=2018年5月10日現在、この解釈で行こうと思います。‥もっと勉強したら、また解釈が変わるかもしれませんが(笑)。

わたしが勝手に師と仰ぎ尊敬する、『大きな羊のみつけ方』著者であり、日本の博物館教育普及の最先端を走ってこられた齋正弘先生は、「美術の『び』は、びっくりの『び』」とおっしゃっています。その発想を真似た次第です。(齋先生、考え方拝借いたします<(_ _)>

齋先生がびっくりの「び」であるというのと、わたしの「げ」の考え方は、近しい感じだと思います。たとえば(わたしの場合、特に現代アートの作品に向き合ったときにおこりがちな)どうみても「美しさ」が感じられないものに対峙した時に、その作品を好きになれなくとも、それもまた「げいじゅつ」なのだという解釈によって、個人的な好き嫌いに関係なく「アート」として受け入れる土壌ができると思うのです。自由にいろんな表現があっていい、そのことが(それができる社会であることが)、近代以降の市民社会なのであり、いちばん大切なのだということを、わたしは齋先生に教わりました。

ちなみに「art」は「エッセンシャル英和辞典(中型新版第12刷)」(旺文社)では、「1.芸術,美術(中略)2.文芸;学芸(中略)3.技術,技巧,わざ;(特殊の)術;熟練(以下略)」となっています。

 

続・「英語でアート! in 福岡」

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

続・「英語でアート! in 福岡」

どうも、セミナー・勉強会のあとや読書のあとレポートブログをあげても、しばらくたってからまた書き足したくなることがしばしば発生。すぐには消化できなかったものを、無意識に時間をかけて整理整頓・吸収しているのかもしれません(笑)今回もそのパターン。

ということで、先日参加してきた「英語でアート」

「英語でアート!in 福岡」に参加してきました。

本日は、内容について備忘メモ。


  • アート市場の世界シェアは、2016年の時点で大まかに米国60%、英国20%、中国20%。
  • 米国における「アートを買う習慣」の定着度合は
    ・ふつうの人→10万円くらいまでの作品
    ・裕福なアート好き→50万円くらいまでの作品
    ・コレクターと呼ばれる人たち→100万円単位の作品
  • 米国においてアートは重要かつ当然のエデュケーションツールであり、各大学が(美術館だけでなく)ギャラリーを持っている。
  • 所得格差が大きい国ほど富裕層も多く、アートコレクターも多い。
  • 米国においてもギャラリーの生き残りは厳しく、「超大手」と「新興」に二極化。
  • ニューヨークだけじゃない。コンセプトに合ったギャラリーがある国・地域を見極め、自作品との「共通点」から作品の観方を導くことも必要。
  • 自分の言葉で、自分のこと、自分の作品のこと(コンセプト・プロセス)を語ることができることは、現代アート市場においてアーティストに必須。一般の人たちに対して専門用語無しで(日本語・英語で)わかりやすくお話しできるか?
  • 米国においては、ギャラリストは「MBA(経営学修士)+MFA(美術学修士)」を持っている人が多い。

以上、「英語でアート! in 福岡」宮本由紀さんのお話より、まとめ。


しみじみ、いい時間でした(^^)

 

 

 

我が家の灯り。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

我が家の灯り。

唐突ですが、写真は花祭窯のお手洗いに向かう廊下の灯りです。7年前にここに引っ越してきたときに、電気の傘が足りず…現代風には「照明器具が足りず」というべきなのでしょうけれど、心情的にはまさに「傘が足りない!」というところでして。

家電量販店は車で少し走ればありますし、ネット通販でもすぐに購入することはできたのですが、「せっかくだから、この家の空気に合うものをつくろっか?」ということになったのでした。(正確には、「つくって!」とダンナに要求)。

それで、とりあえずダンナが作ってくれたのが、レトロ感満載で「電球」が似合う白磁の傘。↓下の写真は、現在お手洗いで活躍中のひとつ。

花祭窯

これが手前味噌ながら思いのほか良かったため、もうこのシリーズで格好良くおさまるところはこれでいこうと、ダンナの気が「電気の傘制作」に向くのを気長に待ちながら、出来た都度、傘を入れ替えている次第です。

花祭窯

上の写真は、最近追加された傘(一番上の写真と同じもの)。裾のひらひらが可愛いのだけれど、もう少し深くてもよかったね(電球が下から思い切りはみ出しているので)、ということで、追加制作をのんびりと待つところです。

ちなみにこの「電気の傘」あくまでも自家用であり、商品化はしておりません<(_ _)>

 

読書『名画の謎』(文藝春秋)シリーズ。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『名画の謎』(文藝春秋)シリーズ。

花祭窯、大型連休もほぼ平常通りの営業で仕事をしております。そういえば、ここ数年は5月といえばロンドンでの展示が続き、ゴールデンウィークはその準備や出張でテンション高く過ごしていたのでした。

ひさしぶりにゆっくりの「黄金週間」なので、平常運転で仕事をする傍ら、まとめて本を読むことに。ずっと気になりながら読んでいなかった中野京子さんの本を手に取りました。中野京子さんといえば『怖い絵』シリーズが有名ですが、今回わたしが手に取ったのは『名画の謎』シリーズ「ギリシャ神話篇」「旧約・新約聖書篇」「陰謀の歴史篇」の3冊。

面白かったです!まったく予備知識無しで読みだしたのですが、ちょっとシニカルな目線に、独特のユーモアあふれた語り口がツボにはまり、一気に読みました。西洋文化史の専門家でいらっしゃるのですね、さりげなく文章に入っている背景の解説がとても分かりやすかったです。

絵画や美術を読み解く本はいろいろと出ていますが、個人的には、美術の専門家ではない方が書いたものの方が面白いことが多いと感じています。あくまでもこれまでの読書経験からの感想ですが、美術をアカデミックに学んできた方の解説は、その専門性ゆえにでしょうか、見る人の想像力の広がりを許容しないようなところがあるかな、と。

ともあれ、中野京子さんの『名画の謎』面白いです。『怖い絵』シリーズも読まねば(^^)