村上隆スーパーフラットコレクション展の図録

こんにちは。花祭窯 内儀(おかみ)ふじゆりです。

思いがけず刺激的な贈りもの。

村上隆さんのSUPER FLAT COLLECTION展の図録が届きました。

その数日前にカイカイキキさんから電話がありました。
今年2016年1月~4月に横浜美術館で開催した村上隆のコレクション展
藤吉憲典の作品も展示され、図録で紹介してくださったとのこと。

もうずいぶん前に、長年お世話になっている西麻布の桃居さんから
村上隆さんが藤吉の器もお買い上げくださっているという話は伺っていたので
そのこと自体はまったく驚かなかったのですが、

まあ、なんとも分厚く立派な展覧会図録が届きました。

開いてびっくり。
コレクターとしても一流というお話を聞いたことがありましたが
「あ、これどこかで見たぞ」がいくつも(笑)
すごいコレクションです。質・量ともに。

そういえばたしかにカイカイキキの方も
「とても膨大な量の展示で、作家さんも175名いらっしゃるため
図録での紹介文掲載自体は小さなものになりますが・・」
とおっしゃっていたのでした。

その紹介文、簡潔ながらわかりやすく的確で「さすがだなぁ」と嬉しくなるものでした。
さらにその紹介文を見ながら気づいたのが
「SUPER FLATって、こういうことか!」ということ。

いえ、正確にはわたしが勝手にそう解釈しただけのことなのですが、
つまり、その作家紹介のあり方というのが
古今東西老若男女、いかにもスーパー・フラットな紹介の仕方だったわけです。

「すべて、村上隆がいいと思って手に入れたもの」という意味で、
国宝級であろうと物故者であろうと若手であろうと無名であろうと…
気持ち良いほどにフラット=平等に扱われている感じがしました。

展示内容の写真だけでなく、読み応えのある文章の数々。
桃居オーナー広瀬さんとの対談、熊倉功先生の千利休についての話などなど
この図録はしばらくわたしの教科書のひとつになりそうです。

素敵な贈りもの、ありがとうございました(^^)

 

学芸員研修に行ってきました。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ) ふじゆりです。

10月3日、熊本県立美術館で行われた学芸員の専門研修に参加してまいりました。

熊本駅から熊本城周遊バス「しろめぐりん」で美術館へ。
「しろめぐり」の愛称通り、熊本城の周りをぐるりと回るバスで
地震後の城内の様子を目と心に刻みながらの美術館入りでした。

研修テーマは「アート教育」。

宮城県立美術館の教育担当学芸員・齋正弘先生による講義と演習でした。

 

九州はもとより、全国の公私の美術館で学芸員として活躍なさっている方々に向けた研修。
普段は観る側として訪問している美術館。
そこで活躍している学芸員さんに、何人もお会いすることができました。
わたしは珍しい立ち位置での参加でしたが、たいへん貴重な経験となりました。

あまりにも内容が濃かったので、わかりやすくまとめるのは至難の業なのですが・・
いくつかピックアップしてみると

  • ミュージアムは誰のもの!?

    本来ミュージアムはもっと開かれたもの。
    本来ミュージアムは皆が使うためのもの。

  • 「すごい」の意味は!?

    自分の立ち位置(歴史的なもの、バックボーン、リソースetc)を確認すると、
    鑑賞対象に対して感じる「すごい」の意味がもっと「自分のこと」として迫ってくる。

  • 鑑賞(アートワーク)とは!?

    「それを見たときに、どこまでイメージを広げることができるか」がアートワーク。
    学芸員は鑑賞者のイメージを広げるお手伝いをいかにできるか、が腕の見せ所。

  • MUSE(ミュゼ)の役割とは!?

    「わたしがここに居る」(繋がり)をバックアップしてくれるもの。
    ※かなり説明が必要ですね。またあらためてブログに書きます(^^)

  • 美術館・博物館での学びとは!?

    皆が同じになるために学ぶ(現在の学校教育)のではなく、
    個人が個人として存在するための思考を促すための学び。

などなどなど

「美術」や「鑑賞」について、日ごろからモヤモヤしていたものを
すっきりと言葉として明らかにすることができた研修となりました。

数年前に受けた学芸員資格課程の実習のなかで学んだことをあらためて思い返す研修にもなり、
自分自身のこれからにとって、たいへん貴重な一日でした。
花祭窯は美術館ではありませんが、ギャラリーとしての機能を持っているので
今回の学びはすぐに現場で生かすことができそうです(^^)

素晴らしい機会とご縁に恵まれた学芸員研修。
取り計らってくださった皆さまに、心より感謝申し上げます<(_ _)>

花祭窯的、海のある日常。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ) ふじゆり です。

花祭窯から海岸までは徒歩1分・・・もかかりません。
ここ津屋崎に来てから

海のある日常の贅沢

を享受しているなぁ、とつくづく感じます。

環境の変化がつくり手・つくるものに与える影響の大きさは、
頭で考えていた以上のものがあると、つくづく思います。

つくり手であるダンナ・藤吉憲典の1日のはじまりは、海岸散歩。
すっかり日課になっています。

海岸散歩。
砂浜を結構な距離歩くので基礎体力づくりになり、
同様のご近所散歩人とのちょっとした社交タイムであり、
自分の今日の体調を見極めるバロメータとなり、
浜辺への漂着物を見つけるビーチコーミングタイムであり、
なによりも最大のリラックスタイム。

朝食のあとは、魚市場(おさかなセンターうみがめ)へ。
まずはここで魚をチェックして、その日の晩ご飯が決定。
もともと魚が食卓に乗ることの多い藤吉家でしたが、
ここにきて週の半分以上が魚になりました。

夏のあいだは、もちろん海水浴も。
透明度が高く、遠浅なので、比較的安心して海遊びできます。
足元を魚の群れが通ったりするのはなんとも贅沢。

我が家には残念ながら「釣り人」はいませんが、
冬になると、イカやらナマコやらが浜辺にうちあがり、
春先にかけては、ヒジキやワカメが収穫できます。

 

実は江戸時代の古伊万里にも、魚や貝殻はたくさん題材として使われてきました。
文様として描かれるだけでなく、貝型の香炉や皿などカタチにも反映されています。

つくり手・藤吉憲典もまた、こうした古典の写したくさんをつくってきていますが
古典のお手本イメージに、実際の海の体感が加わることで、
「写し」が「本歌取り」に高まることを感じます。

 

かくいうわたし自身の海との主な関わりは、
海の恩恵を感じればこそ、ときどき海岸のゴミ拾い、です(^^)

磁器婚式!?

おはようございます。花祭窯・内儀(おかみ) ふじゆり です。

台風の影響が懸念されましたが、意外に穏やかな朝を迎えた福岡・津屋崎です。

仕事中ラジオを聞き流していることが多いのですが、先日

結婚20年のお祝いは磁器婚式

というフレーズが耳に入ってきました。

へぇ~、そんなものがあるんだ!と
窯の創業日と息子の誕生日以外の記念日はことごとく忘れている我々夫婦。
そういえば今年は結婚20周年でした。

磁器の仕事をしていながら
磁器婚式という記念日があるとは知らず・・(^^;)
あ、ダンナは聞いたことはあったそうですが。

ウィキペディアで見てみたら、もともとは欧米の習慣のようですね。
イギリスでは15年目までは1年単位、以後は5年単位で祝うとありました。
すごいですね!

結婚記念日の贈りものリスト 20年のところに ”China” 。

とありました。Chinese Ceramics=磁器 ですね。

由来・背景はきちんとあるのだろうと思いますが、それはあえて置いておいて(笑)
窯元の内儀(おかみ)的に
結婚記念日におめでたく結びつけることができる「磁器の特性」を考えてみました。

結婚20年記念にふさわしい「磁器の特性」

  • 生地が白い=まさにウェディングカラー。このうえに染付のブルーや赤絵のさまざまな華やかな色が映えるのです。
  • 結びつきが強い。磁器は原料となる陶石の性質や高温での焼成により粒子がしっかりと結びついています。
  • 割れものでもあるけれども、大切にすれば色あせず何百年も受け継ぐこともできる。

といったところでしょうか。

上の写真は、もともとは幕末伊万里で輸出用につくられた金襴手の角瓶を復刻したもの。
磁器婚式のギフトと聞いて、わたしの頭にパッと浮かんだのはこれでした。
もちろん、これが磁器婚式の贈りものに使われたかどうかは定かではありません。
あ、写真のこれは、現代もの。ダンナ藤吉憲典の作です。

「蔵春亭」ブランドでヨーロッパに輸出された角瓶。
当時のものは、いくつかの美術館に所蔵されているほか
日本でも数人のコレクターの方が所有していることが確認されています。
わたしたちが初めてその存在を知ったのは、千葉県佐倉市にある国立民俗博物館所蔵のものでした。

なんのためにつくられたのか。
香水瓶とかインク瓶とかデキャンタとか、その用途はいろいろと説がありますが、
実際のところ輸出先のヨーロッパでどのように使われていたのかは、推測することしかできません。
用途もさることながら装飾的要素が大きかったであろうということは伺えますね。

古今東西かかわらず、こういう仕事に触れるたび

やきものは、生活空間のなかにある「用途の術品

であることを思います(^^)

ご来窯のお客さまへ♪

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆり です。

花祭窯は工房とギャラリーを併設しています。

藤吉憲典のやきものを 見たい・手に取りたい・購入したい というお客さまのお越しは、
一般のお客さまも、ギャラリーさんも、あるいは同業の方も、大歓迎です(^^)

ひとつだけ、できるだけ

花祭窯へお越しの際は、あらかじめご一報くださいませ<(_ _)>

とお願いしています。

というのも「居ない場合がある」からなんです。
ダンナとわたし、二人でやっているので、留守にすることがあります。

ここ津屋崎にある花祭窯。
通りがかりについでに寄れる場所というよりは、
目的地を目指してお越しくださる場合が多いので、
せっかくお越しくださったのに閉まっていた!なんてことがあっては申し訳なく・・・。

また、せっかく窯まで行くのだから、つくり手の話を聞きたいとお思いの方もあると思います。
そういうときも、ギャラリーは空いているけれどつくり手の藤吉憲典が居ない!
あるいは、工房にいるけれどもどうしても手が離せない仕事をしていて顔を出せない!
というケースが、少なくありません。

そんな「がっかり」を少しでもなくしたいと思っています。
お越しの際はあらかじめご一報いただけると幸いです。

というわけで、電話、メール、フェイスブックページからのお問い合わせ
いずれも遠慮なくどうぞ(^^)

https://www.facebook.com/Hanamatsurigama/

蕎麦猪口(そばちょこ)写真を更新中。

こんにちは。花祭窯の内儀(おかみ)・ふじゆりです。

このところ、ずっと気になっていた仕事を少しづつ進めることができています。

それは

蕎麦猪口倶楽部(そばちょこくらぶ)の写真の更新

先日、蕎麦猪口倶楽部のアドレスが変わりました!というお知らせをいたしましたが
http://hanamatsurigama.com/

蕎麦猪口の写真を撮りなおして、少しづつ更新中です(^^)

写真は染付麻の葉文蕎麦猪口(そめつけ あさのはもん そばちょこ)。

定期的に更新する必要を感じる根拠は二つあって、
一つには、わたしの写真の腕が多少なりとも上がれば
より実物に近いイメージをご覧いただくことができるから、というもの。

これは、最初からプロに撮影をお願いすればいいのだと頭でわかってはいるのですが、
そのためには「現在160種を超えた蕎麦猪口のサンプルをすべて揃えなければならない」
という現実があり(できれば1回でお願いしたいので(^^;)、踏み切れないまま今に至り・・・。

そしてもう一つは、蕎麦猪口自体の出来が年々よくなっているから、というもの。

同じデザインの蕎麦猪口であり、もちろん同じつくり手が作っているのですが、
かたちも絵付も、いまだ年々良くなっていくんですね・・。

そうすると、やはり数年に一度は写真を更新しなければ!
というわけで、在庫のある蕎麦猪口から写真を撮りなおしてアップしています(^^)

もう少しで半分達成というところ。
こういうコツコツ仕事も、内儀(おかみ)仕事なのだとつくづく感じる今日この頃です。

津屋崎陶片ミュージアム~青磁の陶片

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

久しぶりの陶片ミュージアム。
本日は、津屋崎浜に上がってくる青磁(せいじ)の陶片について。

津屋崎浜で拾う陶片のなかには、古伊万里だけではなく青磁や白磁もあります。
上の写真も、津屋崎浜でゲットした青磁のカケラ。
これらの陶片のルーツについての手がかりが見つかる場所が、すぐ近くにありました。

小学校のなかの唐人坊遺跡。

玄界灘に面した津屋崎浜から約700m入った津屋崎小学校の敷地内に、
在自西ノ後遺跡(あらじにしのあといせき)があります。

(※以下、在自遺跡のパネル解説を参考にしています。)

在自西ノ後遺跡からは、たいへん多数の中国製陶磁器が出土しています。
遺跡近くに唐坊地(とうぼうち)という地名があること、多数の中国陶磁器が出土していることなどから、
中国・宋(北宋960年~1126年、南宋1127~1270年)との貿易に関係する遺跡だと考えられています。

同じ在自遺跡群にある在自下ノ原遺跡(あらじしものはるいせき)からは、
越州窯系青磁碗(えっしゅうようけいせいじわん)が出土しています。
越州窯系青磁碗は8世紀に中国の越州地方で焼かれた磁器です。

陶磁器は日宋貿易におけるもっとも重要な貿易品のひとつでした。
当時の交易は福岡市の鴻臚館(こうろかん)において国の管理下で行われており、
磁器は一般市民には広まっていませんでした。
ごく少数の身分の高い人だけが、越州窯系青磁碗を所有することができました。

菅原道真の建議により遣唐使は894年中止され、大陸との正式国交は途絶えました。
しかしながら民間商船による交易は途絶えることなく続いており、
これらの交易船には、当時の陶磁器の生産増大により、多量の青磁や白磁が積まれていました。

これらの陶磁器の高台裏には墨書が記されています。
墨書で人名や数字が記されているもので、貿易船に積み込む際に誰の荷物か区別がつくように、
商品の一部につけられた目印と考えられています。
記されている文字は、宋の貿易商人や商社に関係のあるものが多数あり、
多くの宋商人が流通にかかわっていたことがうかがえます。

墨書された陶磁器は商品として使えないため、各地に流通することはなく、
墨書陶磁器が出土している場所は、貿易品の荷揚げ地の近くであったことを示します。

在自西ノ後遺跡で出土している墨書陶磁器は、同安窯系青磁碗4点、小皿1点、龍泉窯系青磁碗1点の6点。
碗・皿のほかにも壺、合子、水差し、甕などいろいろな種類の陶磁器が出土していて、
この地が中国からの貿易品である陶磁器を手に入れやすい環境であったことが予測されています。

 

津屋崎小学校のなかの遺跡。
問い合わせて見学することができます。興味のある方はぜひ(^^)

蕎麦猪口倶楽部のホームページアドレスが変わりました!

こんにちは。花祭窯 内儀(おかみ)ふじゆりです。

このところ二転三転するわたしの肩書(笑)
たかが肩書、されど肩書。「わかりやすい肩書」を探して右左。

尊敬する女性経営者の方々とのミーティングでご提案いただいたのが、
「内儀」と書いて「おかみ」。
意味的にも、音的にも、文字的にも「実際のわたしの役割」に似合いそうです。

というわけで、花祭窯の内儀(おかみ)ふじゆりです。
どうぞよろしくお願いします<(_ _)>

さて

蕎麦猪口倶楽部のアドレスが変わりました!

蕎麦猪口倶楽部 http://hanamatsurigama.com/

音にすると「花祭窯(はなまつりがま) ドットコム」です。
少しはシンプルになったかな、と(^^)

蕎麦猪口倶楽部は、花祭窯・藤吉憲典のつくる
「蕎麦猪口」「小皿・豆皿」の公式ネットショップ

独立から約20年、蕎麦猪口と小皿豆皿を得意分野として作り続けています。
このふたつはいわば藤吉憲典のつくる器へのエントリーモデル

作家もののうつわを購入する際に「何から揃えたら良いかわからない」と
おっしゃられるお客さまが少なからずいらっしゃいます。
そんなとき、藤吉憲典の場合は蕎麦猪口か小皿豆皿をお勧めしています。

理由は、
藤吉の蕎麦猪口はとても使い勝手がよいので、いくつあっても重宝するから。
我が家では、蕎麦やそうめんの漬け汁用の器としてはもちろん、
来客時にお出しするお茶にもコーヒーにも、茶托にのせて使っています。
晩酌時には焼酎のロックにもお湯割りにも最適。
ゼリーやプリンなどのデザートをつくるときの容器としてもGOODです。

藤吉の小皿豆皿はつくりが良くて楽しくて、ちょっとした来客時にも活躍するから。
お盆やトレーにいくつか豆皿を並べるだけで、おしゃれな膳が出来上がります。
コーヒータイムにはお茶菓子を愛らしい豆皿にのせて出せば、ありきたりなお菓子もグレードアップ。
収納時には小さくて場所をとらないのも魅力です。

一度ぜひお試しくださいませ(^^)

蕎麦猪口倶楽部 http://hanamatsurigama.com/

美術品は人の芸術作品であり・・・

こんにちは。花祭窯・ペーパー学芸員 ふじゆりです。

先日の「仙厓さんがやってきた!」で、出光美術館がオープンする際の出光佐三の言葉をご紹介しました。
本日は、その言葉に感じたことをつづります。
その言葉とは、

美術品は人の芸術作品であり、
そこには日本人として独創と美がなくてはならない」

(出光コレクションホームページ http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/index.htmlより)

一方、ダンナである磁器作家・藤吉憲典のホームページには、
アーティストステイトメントや作陶理念を書いています。

藤吉憲典Artist Statement http://fujiyoshikensuke.com/
藤吉憲典作陶理念 http://fujiyuri.com/aboutken.html

藤吉憲典のものづくりの根本にあるのは、
「美しいもの」「ほっとするもの」を生み出したいという気持ちです。
なぜなら、それらは文化の違いを超えて共感することのできる価値だと思うから。

美しいもの
それは風景であったり自然の造形物であったり
そして人の手が生み出した芸術(アート)であったり。』
(藤吉憲典公式サイト http://fujiyoshikensuke.com/より)

佐三さんのことばと、藤吉憲典のことば。
並列にするのはおこがましいとは思いつつ、
それぞれ下線で示した部分に、同じ思いの表現があるのを見つけて嬉しくなったのでした。

そして佐三さんの言葉のつづき
日本人として独創と美がなくてはならない」。

これは「コレクション(蒐集)にあたり、そういうもの(日本人としての独創と美があるもの)に価値を置く」
と、佐三さんがお考えだったのだろうと解釈しました。

これを「つくる側」に置き換えたとき、頭で考えてしまうと
「『日本人として独創性や美』を作品に反映させるにはどうしたらよいだろうか?」
ということになってしまうかもしれません。

その結果として、あざとい「日本風」「和風」テイストをちりばめたものが生み出されるとしたら、
それは、悲劇(あるいは喜劇)的な作品に仕上がるのではないかという憂いが頭をもたげます。

ロンドンのギャラリーとお付き合いをはじめてわかったことですが、
藤吉憲典の作品は、意図して和風なモチーフを採り入れずとも
「日本的」と評価されました。

その理由をたずねたところ
「形にしても絵付けにしても、このような繊細で丁寧な雰囲気は、まさに日本人にしか出せないから!」
というような返事が戻ってきました。
とても抽象的な評価です(笑)

つまり、特に日本を押し出そうとしなくても、自然と作品に「日本人」がにじみ出てきている。
少なくとも、ロンドンのギャラリーで作品を見てくださった方々は
そのように感じ、評価して、お買い上げくださったようでした。

それは結局、常々つくりながらなにを大切にしているかという
創作の根っこにあるもの、つくり手の価値観がそのまま作品に現れるということだと思います。
そして、実際に傍らで見てきている者としては、
確かに年齢を重ねるごとに、つくり手の「人となり」が何を作っても出てくるのを感じます。

藤吉憲典のつくるものには『日本人として独創性や美』があるか。
出光佐三さんなら、どんな評価・ダメ出しをしてくださるか。
大いに気になったところでした。

仙厓さんがやってきた!

こんにちは。花祭窯・専属キュレーター ふじゆりです。

少しづつ掛け軸にも興味がわいてきた今日この頃、

仙厓さんの墨画「指月布袋画賛」

が、我が家にやってきました。
もちろん複製の軸装です。
お茶室も出来たタイミングで、なんとも嬉しい贈りものです。感謝!

本物は仙厓和尚の国内最大コレクションを持つ出光美術館に。
「指月布袋画賛」は、出光創業者・出光佐三のコレクション第一号。
地元博多の古美術の売立でこの絵を目にしたのが、コレクションの第一歩だったそうです。

出光コレクション http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/index.html

わたし自身が仙厓さんの名前が気になるようになったのは、
小説「海賊と呼ばれた男」を読んでから。
つまり、数年前のごく最近からのことです。

出光佐三をモデルとしたこの小説で、主人公の生きざまに感銘を受けました。
その佐三が奉っていた宗像大社は、ここ津屋崎から車で20分ほど。
宗像大社も、その神宝館も、大好きな場所のひとつです。

宗像大社 http://www.munakata-taisha.or.jp/

佐三の生家のある赤間もすぐ近くで、地域のお祭りで開放された際に見学をしました。
こんなに身近にゆかりの地があることに、驚くと同時に勝手にご縁を感じていました。

さらに、佐三のコレクションのきっかけとなった仙厓さんは
博多にある日本最古の禅寺である博多聖福寺の住職として活動していました。
わたしがお茶を習いに行っている南方流の円覚寺は、その聖福寺の搭頭(たっちゅう)の一つです。

そんなことが少しづつわかってきて、ご縁の不思議を感じていた矢先の贈りものでした。

「美術品は人の芸術作品であり、そこには日本人として独創と美がなくてはならない」
(出光コレクションホームページより)
開館時の佐三の言葉をしっかりと心に刻みます。

それにしても、おおらかでふくふくしい布袋さんの姿。
自然と笑顔になります(^^)