花祭窯の八月の庭。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の八月の庭。

もう月末ですが。やっとサルスベリが咲いてくれました。毎年、他所のサルスベリからひと月ほど遅れて咲くのですが、今年はそれにしても開花が遅く、ちょっと心配していたところでした。

この夏は、七月の庭(オニユリ、カノコユリ)に続いて、三種目の百合が開花。植えた記憶の無い白い百合は、ご近所さんから種が飛んできたものと思われます。花の少ない八月の庭に、嬉しい贈りもの。

ツユクサの仲間。陽射しの下の紫色。

こちらはムラサキシキブ。うっすらと色づき始めています。

ヤブランの白。紫色のヤブランは、まだこれからのようです。

短距離ドライブ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

短距離ドライブ。

朝から495号線を短距離ドライブがてら、産直販売所へ。片道約10分。ドライブというほどの距離ではなく、買い物に出かけただけ、と言われたらそうなのですが(笑)。青い空の下、右手に古墳群、左手に田んぼ・畑、その向こうに青い海。車も信号も少なくストレスフリーで大好きな道なのです。

道すがら、強い日差しのなか目に留まったのは、赤白カラーの稲刈り機。早稲も早稲、この近辺では最初の収穫となる稲刈りが始まっていました。もうそんな季節なのですね。まっすぐに伸びた稲が刈り取られていく様子もまた、見ていて楽しく。今年はこれまでのところ台風被害もなかったので、順調に育ったのかもしれないな、となんだか嬉しく。

産直では、カボチャ、ナス、オクラ、ピーマンなどの旬野菜に、地元の養鶏場でとれた卵をゲット。今年はトマトが早く終わってしまい、キュウリもそろそろお終いかな、という感じの姿。ともあれ、今採れるものが、今体に必要なものと考え、元気な姿をした野菜を手に取ります。

帰り道を下りつつ、海、海に浮かぶ島、その向こうに小さく見える船。我が家の近所まで戻ってくると、今度はぷかぷかと浮かぶボートが目につく海。風もないので、釣りに出る人も多いのかもしれません。八月最後の週末は快晴です。

なんとも平和な気分になる、週末のスタートとなりました^^

新しいお話がちらほらと。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

新しいお話がちらほらと。

入りつつある今日この頃です。生活・仕事を取り巻く環境が、世界的に大きく変わって約半年。あらゆる業種で仕事にかかわる人々が、「これからどうする?」を思考錯誤し、手探り状態だったものから、具体的に動き出しているのだなぁ、と感じます。変わること、変わらないこと、変えるべきこと、変えてはならないこと。

「さあ、どうする!?」を迫られたのは、陶芸家稼業も同じこと。もちろん、作り手には「つくる」という変わらない柱が中心にありますので、主にはそれを「新たに、どう見せるか」「新たに、どう売るか」というところになります。あるいは、人によっては「何を作るか」にまで立ち返る戻ることもあるかもしれませんね。

個人的には「長期計画」を見据えたうえでの変化を促したいと思っています。対処療法的な変化ではなく、堅実な変化ができればいいな、と。思えば創業以来、外的にも内的にもいろいろなことがあって、ずっと変化しながら、なんとか続けてきています。今回の環境変化は広範で大きいものの、今回だけが特別だという感じは、実はしていません。

個展の中止や延期は実際に発生していますので、具体的に何をするかというレベルでは大きく書き換わる箇所も多いものの、その行動の先にある目標・目的は変わりません。新たに頂いたお話を、自分たちの長期計画と辻褄があっていることを確認したうえで、ひとつづつ進めていきたいと思っています。

この危機が無ければ生まれなかったであろうお話もあり、おかげさまで新しいご縁がいくつか生まれそうです。ただ、わたし達の仕事は、コツコツと時間をかけて育てていくもの。「軌道に乗るまでは時間がかかるかもしれませんが、これを機会に、末永いお付き合いをよろしくお願いいたします」というのが、お決まりの挨拶の言葉です。

読書『メンタルに効く西洋美術』(マール社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『メンタルに効く西洋美術』(マール社)宮本由紀 著

『英語でアート』以来、なにかとお世話になっているアート・アライアンスの宮本由紀先生の二冊目となる著書。常々、アート・英語・西洋美術史・リベラルアーツを説いておられる由紀先生の、美術とアーティストへの愛情とユーモアを感じる一冊です。

西洋美術史に名を遺す「アーティスト」なる生きものの、生き辛さ、人間臭さ、悲喜交交…。読みながら、決して他人ごとではなく(笑)、感情を揺さぶられました。由紀さんが本書で重視なさっているのが、プライマリーソース(一次資料)。その「元」がきちんと目に見えることが、作りものではない臨場感につながっているのかもしれません。

個人的には、老若男女問わず「悩めるアーティスト」たちに、ぜひ読んで欲しい本です。自分と重なる部分、まったく異なる部分を、西洋美術史の主役たちの生きざまに見ることができますし、そのどちらにしても「自分は自分として生きる(つくる・描く)しかないのだ!」というあたりまえの結論を、はっきりと目の前に突き付けてくれます。

本のつくりも、とっても好みでした。しっかりした紙質のページに、カラーの絵が載り、イラストによる図説も親しみやすくわかりやすく。アーティストのストーリーをメインにしていますが、実は解説を通じて、西洋美術史を見る際に役立つ知識もふんだんに載っています。

「手元においてことあるごとに開く本」がまた一冊増えました^^

読書『スタンフォード大学 マインドフルネス教室』(講談社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『スタンフォード大学 マインドフルネス教室』(講談社)スティーヴン・マーフィー重松

「マインドフルネス」についてちょっと知識を仕入れる必要に迫られ、まずは図書館でキーワード「マインドフルネス」検索であがってきた本を、手あたり次第借りて参りました。極端なスピリチュアル系からがっつりビジネス系まで、たくさんあるだろうなと思ってはおりましたが、その予想を上回る多さ(笑)。現段階で読んでいるのは数冊ですが、そのなかでは、わたくし的には最もしっくりきた一冊です。

マインドフルネスという単語は、なんとなく「瞑想」とか「禅」とか「ヨガ」とか「スティーブ・ジョブス」とか「グーグル」とかと結びついてイメージしていた程度で、ちゃんと本を読んだのは初めてでした。本を読む(頭で考える)よりも、実践したほうが、体感による理解は早いだろうなと思いつつ。

本書は良い意味で特に斬新さや驚きを感じるものではありませんでしたが、マインドフルネスってやっぱりそういうことだったのね、と納得でき、自分のなかで解釈を深めることができるものでした。茶道と重なるものがたくさんあったのは、利休の茶道精神に加え、わたしが入門している南方流が、禅寺の茶道であることも大きいかもしれません。またエデュケーションの視点で見ると、対話型美術鑑賞の方法論と効用に通じるものが、とてもたくさんありました。

数ある「マインドフルネス本」のなかにおいて、分野的には、How to本というよりは考え方や本質を理解するための本です。が、章末ごとにエクササイズが載っていて、これが秀逸です。ほんの数行のエクササイズですが、これを実践することが、そのままマインドフルネスな状態を導いてくれることでしょう。わたしもまずは、ここからスタートしてみようと思います。

お取引先様との、いい話。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

お取引先様との、いい話。

お昼ご飯を食べながら、ダンナとしゃべっていたときのこと。今の納品が一段落したら、有田(佐賀)に行かなきゃね、という話になりました。

花祭窯で「お取引先様」というとき、作ったものを販売をして下さるギャラリーさんがおられる一方で、作るための材料を用意してくださる業者さんがいらっしゃいます。やきものの原材料となる陶土(陶石)、釉薬、絵具や、筆などの備品など。これらの仕入れには、独立当初から佐賀有田エリアの専門業者さんにお世話になっています。

「そういえば、けっこう皆、うちの情報見てくれてるんだよ」と、いつもお世話になっている、赤絵の絵具屋さんの話に。曰く、画面越しの写真で見ていても、その色合いで自分のところで作った絵具だとわかるようで、自分のつくった絵具で絵付されたものがロンドンや上海に行き、海外でもいろんな人に見てもらえていると思うと、とても嬉しくなる、とおっしゃっていたとのこと。

どうやら、お世話になっているいろいろな業者さんが、そのような気持ちで見ていてくださっているようです。そんないい話は、すぐに教えてよ!とダンナに言いつつ、とても温かい気持ちになりました。ホームページもSNSも、お客さま向けの情報発信に偏りがちですが、うちの仕事を取り巻くいろいろな立場の方々が見てくださっていることを、あらためて思いました。

そういえば、このところ仕入はダンナに任せきりで、有田に出向いていなかったワタクシ。自分も一緒に足を運ばなきゃな、とも反省した昼休みでした。

ホームボディ経済。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ホームボディ経済。

福岡アジアビジネスセンター主催のウェビナー「 変化をチャンスに変える! ネクストノーマル時代のヒントになるビジネス戦略と実践(米国編)」に参加しました。

講師は、北米でマーケティングコンサルタントとして活躍するYKA Ltd. Co (EZGlobal123)代表の村井 清美 氏。約1時間の短いセミナーでしたが、コンパクトでわかりやすく、集中できました。ブログタイトルの「ホームボディ経済」は、ウェビナー中登場した多数のカタカナ単語のなかで、個人的にもっともインパクトがあったもの。上の写真は関係ありませんが、「家にいる時間が長い」の私的イメージ。

以下、備忘。


  • ホームボディ経済=家で過ごす時間が長い。
  • デジタル化が3-4年分一気に進んだ。
  • オムニチャネル化の成否が生き残りを左右。
  • 多様化多数化した顧客との接点を、いかにシームレスにつなげていくか。
  • サスティナビリティの重要性への傾倒。
  • 米国内BtoBでもオンライン商談があたりまえ=距離に関わらずチャンス。
  • 既存のプラットフォームに乗るのではなく、独自に直接進出するチャンス。
  • 長期計画を推進する重要性(コロナへの短期・単発的な対応ではなく)。
  • 「信頼している人から購入」の傾向がより強く、明確に。
  • ベストプラクティスの活用=顧客の信頼を最優先。タイムリーに決断する。

「 変化をチャンスに変える! ネクストノーマル時代のヒントになるビジネス戦略と実践(米国編)」YKA Ltd. Co (EZGlobal123)代表の村井 清美 氏 より


今や「会わずに商談」があたりまえというときに、補完する方法として「電話」の役割が見直されてくるかもというニュアンスを感じました。またセミナー後の質疑応答で、コロナ以前への回帰はあり得ないことを説明するのに、「新車は一度でも乗ったら中古車であり、新車には戻れないのと同じこと」とおっしゃったのが、面白かったです。

読書『我らが少女A』(毎日新聞出版)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『我らが少女A』(毎日新聞出版)高村薫 著

2017年8月から毎日新聞に連載された小説の単行本化。初出が2017年ですが、2011年以前、初期の高村薫作品の雰囲気を感じました。お馴染みの「合田刑事」が登場したから、単純にそう感じたのかもしれませんが(笑)。少し前に読んだ高村作品の『晴子情歌』『新リア王』とはまったく異なるものでした。

犯罪小説であり刑事ものですが、そこに描かれているのは「家族」の問題でした。そういえば家族の問題を描いているという意味では、『晴子情歌』『新リア王』に通じます。読んで思ったのは、「ふつうの幸せな家族」なんてものは、イメージほどには存在しないのだということ。どこかに何か問題を抱えているのがふつうであり、ただ、その問題の大小多少の違いは確かにあるということ。

かつて10代だったことのあるすべての人に心あたるであろう、自意識過剰で恥ずかしい不安定な時代は、時を経てキラキラした思い出になるのか、記憶から抹消されてしまうものになるのか。高村薫さんの、登場人物に対するやさしさを、これまでになく感じました。

それにしても『マークスの山』映画化以降、合田刑事=中井貴一の顔で脳内展開されてしまいます。当時、高村薫の小説(の細かさ、描写)を映画でどこまで再現できるのだろうかと興味はありましたが、自分のなかにできあがっていた世界観を崩したくなかったので、映画は観に行きませんでした。なのに、中井貴一で刷り込まれています(笑)。メディアの影響はすごいですね。

まだ読み残している高村薫作品も、徐々に埋めていきたいと思っています。楽しみです。

すごいご近所さん。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

すごいご近所さん。

大きな声を出せば届きそうなご近所さんから、お電話。「ゴーヤとかトマトとか、いらん?」「食べます!」「持っていこうとずっと思いながら、暑くて…とりに来る?」「はいっ!すぐ伺います!」。

サンダルつっかけてパタパタと10メートルほど。「用意する間、どうぞ!」と、お手製の甘酒を冷やしたものをいただき、エネルギーチャージ。おいしかったー!と言ったら、次はお手製のシソジュースが出てきました。これまた鮮やかな赤紫色が美しいシソジュース。さわやかな香りに、しばし暑さを忘れホッとしていると、「ところてん、好き?」。もちろん大好きです。

ところてんも、テングサからつくったそう。味噌、梅干し、ラッキョウ漬などはもちろん、とにかくいろいろなものを手づくりでおいしく作っているご近所さん。「自分で作るのが好きだし、けっこう適当に作ってるのよ」とおっしゃいますが、適当につくっても美味しく出来上がるというのは、やはりたくさん作っておられるから。

そのときは触発されて、わたしも作ってみようかなと思っても、ちょっと手間がかかりそうだと、なかなか実現しません。赤紫蘇がたくさん採れるから、8月の終わりごろにシソジュースを一緒に作ろうね、とお誘いいただきました。一緒になら、上手くできそうです。

すっかりお腹いっぱい、幸せな気分に。帰りには家庭菜園でたくさん採れたというゴーヤ(苦瓜)の緑と、ミニトマトの赤が、目の覚めるような色彩で用意されていました。そうそう、これをいただきに来たのだったと思い出し。

気さくなご近所さんのおかげで、美味しく楽しい夏の夕刻となりました。

復習『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

復習『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)齋正弘著

アートエデュケーション(美術教育)の原点確認に、本書を学びなおし。わたしが学芸員資格課程を修了したのが2013年の秋。その3年後、2016年の秋に参加した学芸員技術研修会で、自分にとって最も大切なテーマが「美術教育(アート教育)」であることに気づいたのでした。

わたしが持っている仙台文庫版は、たしか廃版になっていました。中古で手に入れるしかないのかな、あるいはどなたか復刊してくださるといいな、と思いつつ。

3年ぶりに読み返してみて、美術の役割を再認識しました。いわく「美術は、全ての人間が全部一人一人違うということを基礎に、人間全体の世界観を拡大してゆくということが存在の意義である」。少し言い換えると、「一人一人違う世界の見方」が肯定されていることが、わたしたちが生きている近代市民社会であり、美術はその基礎にある「ものの見方」を訓練するものである、ということです。

そういう意味において、美術と文学はとても似ていると思います。ビジュアルによるアプローチか、文字によるアプローチか、の違いはあれど。図書館を利用するように美術館を利用し、本を買うようにアートを買い、読書をするように美術鑑賞する。そんな生活スタイルが、日本でももっとあたりまえになるといいな、と思います。