こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
読書『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳
お盆休み。といっても、いつもの週末に、ほんの一日分長くお休みを取るだけで、そのうち一 日お墓参りをするのぐらい。いつもより少し読書時間が取れると嬉しいな、と思い、いつものカメリアステージ図書館新刊棚から小説系を多めに借りて参りました。
本書『吞み込まれた男』は、誰もが知っている「ピノキオ」の物語の、スピンオフ版とでも言いましょうか。ピノキオを彫ったピノキオのお父さん=ジュゼッペ爺さんを主人公にした物語です。クジラ(巨大な魚)に吞み込まれたジュゼッペ爺さんの、腹のなかでの格闘と葛藤が、本人の日記形式で語られていきます。その日記を通じて、爺さんの人生、人となり、ピノキオ誕生の背景が明らかになっていきます。
それにしても「書く」という行為の偉大さ。極限状態にあって、書くことによって自分を保とうとし、少しづつ蝕まれていく様子もまた文字として残る、というようなお話は、これまでにも何度も小説で読んだことがあります。本書でもあらためて「書く力」と、それを信じている筆者の想いを感じました。
昔話や童話を解釈し直して書かれた物語が一時期流行ったことを思い出しました。本書の書き方は、その手のアプローチとはまたまったく異なりますが、誰もが知っているお話であることは共通点。お馴染みのお話が、主人公を変えて書くとどうなるか!?とても興味深い結果をもたらすことを、体感した読書となりました。ほかの物語でも、やってみたら面白いだろうことは確実。ちょっとチャレンジしてみたくなりました。