講演会「成熟した欧州・フランスの視点から探るビジネス機会」を聴いてきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

講演会「成熟した欧州・フランスの視点から探るビジネス機会」を聴いてきました。

九州フランスパートナーズクラブ主催の講演会。このところなにかとウェビナー続きでしたので、現地開催ということが嬉しくて、足を運んでまいりました。講師は20年以上フランス・欧州と日本でコンサル業と教育活動をなさっているというNagata Global Partners代表の永田公彦氏。花祭窯の事業としてのフランス市場には、現時点では関心はないものの、講演会タイトルにあるようにフランスをはじめとした「欧州の視点」を学べるといいな、と思っての参加でした。

なにより、この講演会の告知チラシの文面が良かったのです。曰く「戦後の日本は(中略)、新興国アメリカの影響を強く一方的に受けてきました。他方、日本と欧州は、中世から今日まで双方向で学び合う関係にありました。」とはじまります。たしかに、鉄砲伝来・南蛮貿易にはじまり、江戸時代には日本の文化芸術が欧州にわたってパリのアートシーンに多大な影響を与え、明治維新の頃には科学技術を欧州に学んだ歴史をあらためてなぞってみると、「欧米」とひとくくりにはできない「アメリカとは異なる」欧州の姿が見えてきます。

敗戦後の70~80年で与えられたアメリカ文化と、約500年に渡るヨーロッパとの交流。単純に比較することはできませんが、アメリカ偏重の結果として今あるほころびを、ヨーロッパを学び直し見直すことで修正していくべきという講師の論説は、なるほどうなずけるものが少なからずでした。ただ、同様にもう少し深く考えると、約500年のヨーロッパとの交流に対して、大陸(中国)や朝鮮半島(北朝鮮・韓国)との文化的交流は少なくともさらに1000年以上遡ることに思い至ります。ということは、学び直し見直すべきはむしろ、大陸や朝鮮半島との交流であるのかもしれないと、個人的な結論として辿り着き。

そして今回の講演で得た新しい知見としては、SDGs=サステナブル社会に向けての取り組みの、フランスでの具体的な事例紹介がありました。先日のジェトロの海外ビジネス研修でも話題になりましたが、今やこの視点を持たずには、欧州とのビジネスは考えられないということ。今回のお話では、市民や企業が日々取り組む活動が、日本に住むわたしのイメージをはるかに超えているものも多々ありました。SDGsについて、日本での推進方法は「流行りもの・イメージ先行」な感が否めずにいましたが、フランスでの地に足の着いた取り組みの数々は、事業者としても一消費者としてもすぐに見習いたいものがいくつもありました。

なかでも、スーパーマーケットでの販売方法が、計量販売にどんどん移行していて、袋や瓶を持って買い物に行くというお話には、とても共感しました。日本でも、江戸時代の頃はもちろん、ほんの数十年前までは、そのような文化があちらこちらにしっかり残っていたと思うのです。わたしは子どもの頃東京に住んでいましたが、ボウルを手に近所のお豆腐屋さんにお使いに出かけていたことを思い出しました。フランスでは、売り場面積の一定割合以上を計量販売にすることが法制化され、次第にその割合を増やしていっているとのこと。ちょっと買い物に行ってみたくなりました。

そんなわけで、通常のビジネスセミナーとはちょっと違った角度からのお話は、頭の体操になりました。やっぱり会場に足を運んで話を聴くのはいいですね。

読書『おもみいたします』(徳間書店)あさのあつこ著

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読書『おもみいたします』(徳間書店)あさのあつこ

あさのあつこさん=『バッテリー』。わたしはテレビドラマも映画も観ていませんし、本も読んでいませんでしたが、それでもすぐに連想できるほどに、イメージが定着しています。なので、本書『おもみいたします』の表紙を見たときにまず「時代小説!?」の意外性を感じました。ところが、ちょっとググってみてびっくり、2006年に『弥勒の月』という時代小説を出して以来、何本も書いていらっしゃったようです。そもそも『バッテリー』に限らずあさのあつこさんの著書を読むのは、これが初めてでした。

江戸の庶民文化・生活を垣間見るような物語は、読むうちに『鬼平犯科帳』やら『御宿かわせみ』やらの世界観と重なりました。時代小説は、その主人公を中心としていくつもの物語を展開し、シリーズ化しているものが数多くありますが、『おもみいたします』の主人公である「天才的揉み師」お梅もまた、そのような主人公となり得そうな、魅力的なキャラクターでした。連続テレビドラマ化できそうな感じがします。

目の見えない揉み師はお梅は、視覚以外の感覚に優れていて、その感覚を軸に物語は広がっていきます。お梅を守る存在として、妖怪というか、精霊というか、異世界との間に存在するものが側にいることが、単なる時代小説ではなく少々ファンタジーな味付けとなっていました。それがあくまでも非現実的な味付けとはならず、さらっと受け入れられる辺りが、物語の力なのだと思います。

触ることでしか見えないものもあるという感覚、「見えない=かわいそう」ではないのだという当事者の想いは、全盲の人類学者・広瀬浩二郎先生の研修を受けたときに少しばかり体感的に理解しましたが、本書では物語だからこそ伝わってくるものもありました。

そういえば現在公開中の映画『藤枝梅安』は、鍼灸師。あん摩や針灸がこの時代に民間療法として人々の生活に根付いていたことが伺えます。

おもみいたします』(徳間書店)あさのあつこ

久しぶりに宮地嶽神社へ。

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久しぶりに宮地嶽神社へ。

福津市の誇る観光スポット!?宮地嶽神社。ちょうど本日から『令和5年春「光の道」』がスタートするということです。この週末は雨予報なので、それほど人出が無いかもしれませんが。お友だちのお友だちが、宮地参道の松ヶ枝餅やさん「島屋さん」でサツマイモのイベントをするということで、期間限定の「芋餡を包んだ松ヶ枝餅」を買いに行って参りました。

そういえば、いつも宮地浜の海辺から鳥居の向こうの神社を見上げてお参りするばかりでしたので、ここまで足を運ぶのは久しぶりでした。立春も過ぎ、明日は雨水というところですが、遅ればせながら初参り。参道から本殿に上って大注連縄の前でお参りし、神棚に上げる御塩をゲット。「光の道」のPR効果で、ここ数年、毎週末人の多い宮地嶽神社ですが、雨の朝とあって人出はそれほどではなく、ゆっくり歩くことが出来ました。

そんな宮地嶽神社参りの収穫の数々はこちら。

宮地嶽神社の塩

↑お祓いを受けた塩。

↑鹿児島から来たサツマイモやさんでゲットしたサツマイモ。

島屋さんの芋餡入り松ヶ枝餅

↑松ヶ枝餅の名店島屋さんのつくる芋餡入り松ヶ枝餅。

週末の朝、楽しく美味しいお散歩となりました。

今年もお雛さま登場♪

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今年もお雛さま登場♪

毎年恒例、我が家のおひなさま、藤吉憲典の「金襴手雛香合(きんらんでひなこうごう)」。立春過ぎから、出そう出そうと思いながら、今になりました。

藤吉憲典 雛香合

香合サイズのお雛様は、場所を取らず手軽に持ち運び出来、設置も片付けもあっという間なので、今どきの生活空間にぴったりだと思います。手のひらサイズの小ささながら、金彩を施した雅やかな絵付で、存在感はばっちり。長年の定番になってきたので愛着が強くなる一方で、そろそろ新しいお雛様の顔も見てみたいかも、とも思います。たくさんのオブジェを生み出してきた「現在の藤吉憲典」が作ったら、どんな雛香合になるか、考えるとワクワクします。

さておきお雛様シーズンといえば、ご近所登録有形文化財の古民家・藍の家でのお雛様展示は、楽しみな恒例行事です。近辺の旧家から譲り受けるものも毎年少なからずあるということで、新しい顔ぶれも。こちらも展示が待ち遠しい今日この頃です。

読書『豆』(家の光協会)有元葉子著

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読書『豆』(家の光協会)有元葉子著

図書館で本を借りるとき、一度にだいたい5~6冊借りるのですが、たまにそのなかに料理本が1冊入ります。今回目に留まったのが『豆』。ちょうど前日に、畑をしている友人からきれいな大豆を頂いていたので、アンテナが向いていたのでしょうね。

なんとなく表紙に既視感…と思ったら、以前に、同じ「家の光協会」から出ている有元葉子さんの『乾物』を借りていたのでした。表紙タイトルの右側に「有元葉子の和の食材」と書いてあるシリーズもの。本書では、サブタイトル的に「大豆、黒豆、白いんげん豆、白花豆、うずら豆、とら豆、青えんどう豆、そら豆、小豆、ささげ」と文字が並んでいます。

我が家でふだん料理で使う豆類の筆頭は、やはり大豆。それから黒豆、ひよこ豆、という感じです。そういえば小豆は餡子になっているものを購入するようになり、家で茹でることがすっかりなくなりました。缶詰や真空パックになった「茹でた豆」が気軽に手に入る時代、最近の個人的ヒットは「大豆・金時豆・青大豆・黒大豆」の4色を茹でて冷凍したもの。冷凍庫に常備して、手軽に豆を料理に使っています。

本書では、豆を使った料理レシピがたくさん紹介されていますが、一番最初に大豆の下ごしらえの方法が載っているのが嬉しいです。このところ「適当に水に浸けて、適当に茹でる」ことが増えていましたので、久しぶりに下茹での方法を確認することができました。「大豆はしっかり茹でないと!」と思い込んでいましたが、じゅうぶんに水に浸けておけば、茹で時間は1時間ほどでも大丈夫のようです。

素晴らしいと思ったのは、レシピだけでなく、豆についての、文字通り豆知識がちりばめてあることと、食材としての豆に対する想いが、著者の言葉で綴られていることです。大豆のページでは、「日本の代表的な豆が大豆です」とし、「もしも大豆がなかったら、おいしい和食は食べられないでしょう。」「大豆のえらさに気づいて、外国産に頼らず安心な国産大豆がもっとできることを願っています。」(『豆』(家の光協会)より)と続きます。我が家は1年に30キロ近くの味噌を作って食べる大豆立国ならぬ大豆立家なので、有元さんの言葉はとても響きました。

『豆』(家の光協会)有元葉子著

JETROの「中小企業海外ビジネス人材育成塾」基礎研修最終日でした。

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JETROの「中小企業海外ビジネス人材育成塾」基礎研修最終日でした。

昨年11月にスタートした研修も、必修の基礎研修がすべて終わりました。残すは3月に任意のフォローアップ研修があるばかり。

思えば、提出期限の短い宿題はたくさん出るわ、並行して「英文ビジネスe-メール編」と「輸出商談編」の2コースの「貿易実務オンライン講座」を受講するわ、Zoomでミラノとつないだ専門家相談の機会があるわと、基礎研修を受講している時間以外のフォローも充実で、久しぶりに「ガッツリ学んだ!」実感の濃い研修期間でした。

最終日の昨日は、約半年をかけてブラッシュアップしてきた海外向け事業計画の発表と、今後の成果に向けての決意表明。発表準備は約1時間という短時間で、自分の資料を作るのにはやや焦りました。発表時間は質疑応答含め8分で、コンパクトにまとめるスキルも求められ。ですが、ともに学んできた皆さんの発表を聴くのは、とても楽しく刺激的な時間になりました。

皆さんの発表を聴いて面白かったのは、最終段階に近い2月の「専門家面談」を経て、大きく舵を切り直した事業者さんが何社もあったこと。このタイミングからすべてをまた練り直すことになった方もあり、それでも発表内容を伺えばなるほど変更が胎落ちするものばかりで、これぞ机上で終わらない実践的な事業計画策定だと感じました。

Zoomの画面越しとはいえ、この仲間とともに学べたことは、わたしにとって貴重なことでした。研修期間が終了したあとも連絡を取り合い、お互いにブラッシュアップしていける存在になれたらいいな、と切に思いました。このような機会を作ってくださったJETROさんに心より感謝申し上げます。ありがとうございました!

有朋自遠方来(朋有り遠方より来る)。

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有朋自遠方来(朋有り遠方より来る)。

ご存じ孔子先生の論語。また愉しからずや(これほど愉快なことがあろうか)、と続きます。論語にはいくつも「ほんとうに、その通りだなぁ」と思うものがいくつもありますが、この一句はまさにその筆頭。山梨から10年来の友人が訪ねてきてくれて、3年ぶりに会うことが出来ました。

「むなかた模型作品展示会」「山梨ワイン会」など、福岡県宗像エリアと山梨市との「非公認」地域イベントを開催してきた有志の皆さん。イベントを楽しんだ後は、花祭窯がその打ち上げ会場となり、20名近くの宴会をするのが常となっていたのでした。

最後に我が家で開催したのは、コロナ禍による行動制限が始まる直前の2020年2月に、今後の展開を期した「作戦会議宴会」でした。このときに集まった面々のつながりから、3年の自粛期間を経て、いよいよこの3月に山梨ワイン会が開催されることが決定したという、嬉しい報告付きの再会となりました。

忙しい合間を縫って我が家までいらしてくれた友人と、おしゃべりできたのは1時間足らずだったと思います。けれども、変わらぬ情熱と行動力を持った面々の顔を見て言葉を交わすなかで、分野は違えど似たような熱量を持っている人とは自然と惹きあうのだなぁ、という思いを新たにしました。車で18時間の距離をものともせず足を運んでくれることが、ほんとうにありがたく嬉しい限りなのです。

ひと月後には、新たな山梨ワイン会が福岡県で開催されます。山梨組にとって、今回のイベントがコロナ禍後の素晴らしいリスタートとなる予感が今からビシビシ。これからの展開がとっても楽しみです。

読書『ええじゃないか』(中央公論新社)谷津矢車 著

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読書『ええじゃないか』(中央公論新社)谷津矢車

いつものカメリアステージ図書館新刊棚、なんとなく手に取った一冊です。先日読んだ『ヘルンとセツ』が大政奉還後の明治維新の話なら、本書はその大政奉還前夜の幕末の混乱期のお話。意図せずして、その時代の市井の空気を垣間見る二冊を、立て続けに読むことになりました。上の写真は、読了後のイメージ。

幕末から明治維新の時代について、歴史に名前の残る方々の物語はたくさんありますが、わたしが読んだこの2冊は、登場人物が地べたに生きる人々であった(たとえそれが武家・旧武家の人物であっても)という点で、これまで認識していたものと大きく異なって見えました。

「ええじゃないか」の騒動については日本史の授業でも習いましたが、それを引き起こした時代の空気がどういうものであったのか、本書を読んで初めて分かったような気がしました。著者がnoteで「歴史の波に洗われて忘却されてしまった人々がその担い手」と書いておられましたが、まさにそのことが、近代史における「ええじゃないか」の特異性を物語っているのだと思いました。フィクションですから、諸説あるうちのひとつを根拠とした物語であるというのはもちろんですが。

政治に対して市民が「声を上げる」「行動を起こす」ことは、民主化された現代においては権利として法律上認められているとされているものの、実際にそれを通そうとするにはたいへんな労力がかかるものであり、結局は声を上げない人が多数だと思います。「ええじゃないか」はそうした権利が認められない時代にあって、何かを具体的に求めるというよりは、「もう今の政治にはうんざりだ」という気分が形になったものに思えました。

そのような「気分」に対しては、身分や立場を超えて共感できるものがあり、だからこそあらゆる人を巻き込んでいったのだろうし、先導する者が居ない不気味さがあったのだろうと思います。変化のスピードが速すぎて、いろいろなことが起こり過ぎて、自分の力ではどうにもできないことが多く無力感を感じる今の時代も、もしかしたらそんな気分が生まれ、カタチになる素地が十分に出来上がっているのではないかと思いました。現代の「ええじゃないか」は、どのような形で生まれるのだろうか、と。

著者の谷津矢車氏は、歴史もの・時代小説を専門とする小説家とのこと。わたしは今回初めて著書を読みましたが、登場人物それぞれに対する愛情を感じるストーリー展開が、読了後に温かい気持ちを残してくれました。他の著作も読んでみたいな、と。谷津矢車氏ご本人がnoteで情報発信をなさっていますが、その文体から伝わってくるふんわりとした感じも、好感を持てました。

『ええじゃないか』(中央公論新社)谷津矢車

『炎芸術』153号に掲載されました。

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『炎芸術』153号に掲載されました。

2023年2月1日阿部出版さんから発刊の『炎芸術』153号 特集「染付 憧れの青」に、染付作家の一人として、藤吉憲典も取り上げていただきました。

『炎芸術』といえば、陶芸業界の有名誌。前回取り上げていただいたのは2018年冬でしたので、おおよそ4年ぶりです。長年藤吉憲典を追ってくださっている編集担当者さんに、心より感謝です。ありがとうございます。

今回の特集号、面白いな、と思ったのは、もともとは染付をやっていなかった作家さん、土ものの作家さんとして知られていた方などのお名前が、「染付作家」として何人も上がっていたこと。それはつまり「染付」そのものが、今、注目を浴びているということなのかもしれませんね。今回の特集では、実にさまざまな在り方の染付を拝見することが出来ます。わたしはふだん業界(同業者)情報をほとんど入れず、藤吉の作風もまた世間の流れとは全く関係のないところにあるため、誌面から漂うある種「ブーム」的な雰囲気に、新鮮な驚きを感じました。

ともあれ染付の魅力が、作る人、使う人どちらにもどんどん広がっていくことは、とても嬉しいことです。作り手からみれば、染付は数ある陶芸表現技法のなかのひとつ。それぞれの表現方法と考え方とが、興味深く拝見できる誌面でした。そんななか、藤吉憲典が提供したのは、祥瑞の三段重箱に、手付きの酒器(チロリ)。いずれも、古典の文様・カタチを用いながら、そのまま写したものではなく、時代をミックスさせています。なので、実は古典にありそうでなかったもの、なのですね。そのあたりの面白さも感じながらご覧いただけると幸いです。

『炎芸術』153号 特集「染付 憧れの青」 藤吉憲典

『炎芸術』153号 特集「染付 憧れの青」

藤吉憲典アート作品の、国内トップコレクターさんのまなざし。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

藤吉憲典アート作品の、国内トップコレクターさんのまなざし。

藤吉憲典のアート作品は、ほとんどが海外に出ている現状ですが、国内でも蒐集してくださっているお客さまがいらっしゃいます。昨日は、現在国内で一番のコレクターでいらっしゃるお客さまが、オーダーしていた作品を取りにいらっしゃいました。

そもそものスタートは、サイ好きのコレクターさんが、藤吉のつくるサイを目にする機会があり、気に入って、ご自身の「サイのコレクション」に加えたいとオーダーしてくださったこと。現在優に100頭を超えるサイがコレクションルームに並んでいるそうです。その一部を写真で拝見しましたが、サイズもさまざまなら素材も多様なサイのオブジェが、生き生きとした風情で並んでいました。そのなかには、もちろん藤吉憲典作のサイ達の姿も。

あくまでもアートコレクターではなく、サイのコレクター。お話していて伝わってくるのは、サイへのあふれる愛情です。そして、大好きなサイを緻密に魅力的に表現していることが嬉しいと、藤吉作品について語ってくださる評価眼。「好き」をモチベーションとするコレクター魂があふれていました。「自分の好きなもの」について笑顔で語るコレクターさんのお話を伺いながら、こういう方のところにオブジェをお届け出来るのは、とても嬉しく幸せな仕事だとつくづく。

そもそも、市場の評価とは関係無しに自分の好きなものを追及する姿勢は、アート市場においても原点であったはずだと思うのです。わたしたちは、好きで手に入れた作品はいくらお金を積まれても手放したくない、というコレクターさんのところにこそ、作品をお届けしたいと思っています。なにを甘いことを、と言われる向きもあるかもしれません。が、転売によって表面的な価格価値を高めるものではなく、「オーナーに末永く愛されるもの」こそがわたしたちの目指すべきアートの評価です。それで良いのだと、コレクターさんのまなざしを通して、あらためて信じることが出来ました。

作家は自分の作りたいものだけを作る、これは大前提でありつつも、こんなふうに高く評価し購入してくださるコレクターさんがいらっしゃるからこそ、さらに制作のモチベーションが上がるというのもまた真なのです。素晴らしいお客さまに恵まれているラッキーを実感した一日でした。