郷育カレッジ「健口(健康)講座」に参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ「健口(健康)講座」に参加してまいりました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。今回受講してきたのは、お口の健康「健口」講座。先日オンラインで受講した「科学実験教室」とはまたガラリと趣が変わりますが、多様な分野を網羅して講座を組み立てているのが、郷育カレッジの特長でもあります。選べる分野は「ふるさと」「健康・福祉」「環境」「国際交流」「情報処理」「スポーツ」「子育て」「生きがい」「男女共同参画・人権」「その他」の10分野。

講師は、歯科衛生士であり口腔機能向上ボイストレーナーの一世ひろみさん。ゴスペルグループを率いる一世さんは、ボイストレーニングの方法論を取り入れた「歌トレ」による口腔ケアを提唱なさっています。楽しく学べる健康講座とあって、毎年人気の講座です。

講座前半は、口腔ケアの必要性を説く座学からスタート。チェックリストで健康状態を確認し、歯ブラシの使い方を学びました。休憩をはさんで後半は、椅子に座ったままできるトレーニング。全身のストレッチから始まり、顔のストレッチ、喉のストレッチ、舌のトレーニング、喉のトレーニングと続きました。

椅子に座ったままでも結構負荷のかかるストレッチができるものですね。トレーニングをする前と後で、どのように口の開き方などに変化が現れるかを、ひとつひとつ確認しながら進めてくださったので、とても分かりやすかったです。その成果は、早口言葉でチェック。上の写真はトレーニングで使用した「ドリフの早口言葉」です。ある年齢層以上の方は、ご存じかと思います。会場のあちこちから「懐かしい」の声が聞こえました。しかし覚えているものですね。音楽が流れると、口も体も動くのですから、面白いものです。

ところで顔のストレッチや、舌・喉のトレーニングは、口腔ケアはもちろん、美容にも良さそうですので、毎日少しづつ取り入れていこうと思いました。口腔ケアだけでなく、さまざまなリハビリトレーニングは、楽しくなければ、自分自身がやりたくないから、とおっしゃる講師の先生の言葉がとても印象的でした。

「箸置き」文化は、魯山人発だった!?

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「箸置き」文化は、魯山人発だった!?

7月に藤吉憲典個展で東京出張した時のこと。在廊した銀座黒田陶苑さんでは、スタッフの方とのちょっとしたおしゃべりのなかで学ぶことが、たくさんあります。時には貴重な古い資料を拝見したり、書籍や図録を拝読したり。上の写真は、拝見した資料のひとつ、銀座黒田陶苑さんが発行する「今月の一品」より。

そこから今回新たに得た知識のひとつが、「箸置き」文化は、魯山人発だった!?でした。銀座黒田陶苑さんは北大路魯山人の公式鑑定人でもあります。その歴史は魯山人とともにスタートしており、サイトに公開されている社史を拝見すると、関りの深さがよくわかります。箸置き文化が魯山人発祥とはまったく知らず、失礼ながら「ほんとうですか!?」と聞き直してしまいました。

この冊子によると、魯山人が自らの料亭に、お膳を廃したカウンター形式での食事を考案した際に、さてお箸をどこに置こうか?で創作したのが、箸置き(箸枕)だとか。ということは、箸置きの誕生、箸置きを使う文化の誕生はつい最近であったということになります。これにはちょっとびっくりしました。

上の写真では、箸置きを筆架(筆掛け・筆枕)として使用していますが、書道具を考えてみると、たしかに筆架としてのこのようなものは、中国に古くから存在します。古いものに造詣が深く、器も明時代の写しをたくさん作っている魯山人。筆架を、筆ではなく箸を置く道具と見立ててたというのは、なるほどイメージできるものです。

これまで、箸置きは和食文化にもともとあるものとして、深く考えていなかったことに気づきました。近代以降の文化であると思うと、少し見方が変わってきますね。箸置きよりも前にある、筆架の文化に興味が湧いて参りました。

郷育カレッジで、お試しオンライン講座。

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郷育カレッジで、お試しオンライン講座。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。7月の開講式からスタートした2022年度の講座も、順調に進んでおります。

感染症対応でたくさんの講座がキャンセルに追い込まれたのは、2020年度のことでした。仕方が無かったこととはいえ、先の見通せない状態で、手をこまねくわけには参りません。2021年には、対応策としてオンライン活用を机上に載せる「オンライン委員会」を発足しました。これまでにも、そろそろオンライン活用を考えないと世の中についていけないよね、と議題にはしばしば上がっていたものが、急速に現実的になったのでした。

そして2022年、運良く、思いがけずオンライン講座のシステムをテストする機会がやって参りました。郷育カレッジで長年講師を務めてくださっている先生のお一人が、そのご縁を作ってくださり、先日初めてのオンライン・オフライン同時講座をテスト運用することが出来ました。テストでしたので、今回オンライン受講は運営委員のみに限り、その報告をもって今後への検討に生かす、という方向です。

講座は「科学実験教室」。実演やワークショップの多い講座です。事前にワークショップで使う材料を受講者に郵送で配布し、画面では講師と講師の資料(パワーポイント)を映し出した状態で講座スタート。わたしはオンライン受講でチェックをしておりましたが、結果は、まったく問題ありませんでした。少々音声のハウリングが気になった程度。これなら具体的な運用を視野に入れることが出来そうです。

郷育カレッジの運営委員は市民ボランティアであり、運営主体は「市」なので、何か新しいことに取り組もうとするとき、どうしても「お金」と「人財」の壁に突き当たります。予算は限られていて増える兆しは無く、人の手に頼るも、ボランティアでお願いするには厳しいことも少なからず。そんななか今回は、講座へのオンライン導入を検討するわたしたちと、これまで学校という限られた市場で培ってきたノウハウを学校の外に広げて試してみたいというシステム提供者との想いが、ちょうどよく合致しました。

来年度にどう生かせるか、とても楽しみになって参りました。

読書『1989年』(平凡社新書)竹内修司著

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読書『1989年』(平凡社新書)竹内修司著

訳あって現代史、より具体的には自分が生まれてから社会人になるまであたりの歴史を調べることになり、現代史の本を探していたところ、このタイトルを発見。深く考えずに、手に取りました。読みはじめてすぐ、思いがけない話題展開に少々驚き、あらためてタイトルを見たら

『1989年 現代史最大の転換点を検証する』

とありました。最初手に取ったとき、サブタイトルがまったく目に入っていませんでした。ただ、もし内容がわかっていたら、手に取らなかった本かもしれません。

1989年に起こった出来事といえば、昭和天皇逝去(=平成スタート)、天安門事件、ベルリンの壁崩壊。たしかに、歴史の転換点と言える大きな出来事ですね。当時わたしは大学生でしたが、実感としては自分のことと結びつけて考えていなかったというのが正直なところです。大学の授業でも、これらの事件について授業のなかで私的な見解を述べる先生はほとんどいなかったと記憶しています。今考えると、どうしてそんなに無関心でいられたのか、その方が不思議な気がしますが。

図らずも、少し前に読んだ『グッバイレニングラード』や『オリバー・ストーン オン プーチン』を読んでいたからこそつながった部分も多くありました。

本書では、1989年の出来事を、そこに至る歴史的背景から紐解いて検証しています。この年の事件、この時代の背景に横たわっている大きなテーマは「社会主義」「共産主義」。昭和天皇の逝去そのものは関係がありませんが、生前の昭和天皇が社会主義をどう考えていたか、という点において、著者は見逃せない記述をしています。

著者本人が「あとがき」で言うには、本書の内容はほとんどが引用で成立しているとのこと。とはいえ、それぞれの元資料には論文なども多く含まれており、それらを精読してまとめ直すことによって、新書という形で読みやすくしてくださるのですから、門外漢にとっては大変ありがたいものです。1989年の出来事を説明するために、ルネッサンスまで遡り、産業革命があり、というところからはじまります。

わたしがさがしていた当初の目的(昭和史)とは少々趣の違った内容の本でしたが、今の世界情勢を考えるのに重要なポイントとなる歴史的出来事を紐解くものであり、一気に読みました。1989年を説明するのにルネッサンスまで遡るのは、極端なようであって、まったく極端ではありませんでした。ずっと歴史はつながっていて、ひとつの出来事・事件はある日突然起こるのではないということが、あらためて示されたように思いました。

自分のことでいっぱいいっぱいだった学生時代が、実は世界的に見ればそのような時代であったということ。それぞれのニュースを伝えるテレビの映像を断片的に記憶していますが、なるほどそういうことが起こっていたのかと、今更ながらに思い返すと不思議な感じです。

MASTERPIECE LONDON ART FAIR の様子。

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MASTERPIECE LONDON ART FAIR の様子。

MASTERPIECE LONDON RETURNSに、藤吉憲典が作品参加しています。と、ブログにアップしたのは、6月末のことでした。

つい先日、ロンドンで毎回お世話になっているコーディネーターの過多と連絡を取っていたところ、「マスターピース、観に行ってきましたよ」と写真を送ってくださいました。

MASTERPIECE LONDON ART FAIR の様子

明るいエントランス。そういえば夏にロンドンに行ったことがありません。来年以降機会があれば、足を運びたいと思いました。

藤吉憲典陶箱@MASTERPIECE LONDON ART FAIR

展示の雰囲気もとても感じが良かったそうです。下は、インスタでチェックした展示の様子ですので、会期中にブース内の模様替えもあったのかもしれません。

MASTERPIECE LONDON RETURNS

下はどなたかの作品。とても美しかったようです。

MASTERPIECE LONDON ART FAIR の様子

「あらゆる時代のあらゆる起源を持つアートやデザインが、並列に展示されることが、このアートフェアの特徴です」というMASTERPIECE LONDON ART FAIR。さまざまなジャンルの作品を楽しむことが出来たようです。

読書『行動経済学ってそういうことだったのか』(ワニブックス)太宰北斗著

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読書『行動経済学ってそういうことだったのか』(ワニブックス)太宰北斗著

お盆読書のラスト4冊目は、小説ではなく実用書。サブタイトルに『世界一やさしい「使える経済学」5つの授業』とあります。裏表紙には「エピソードとクイズから楽しく学べる!」とあり、その通りでした。著者は名古屋商科大学商学部准教授(本書執筆時)。著者曰く、商学部学生への実際の授業でも使う定番ネタを中心に解説ということで、わかりやすく興味をそそりました。

行動経済学。経済心理学と読み替えることもできるかな、と思いました。人間の心理が行動に影響し、その行動が経済学的にどんな結果をもたらすか、とでもいったものです。経済学は、ここでは単純化して「損得勘定」というように位置づけられています。マーケティングのセミナーで出てきそうな分析も多々あり、これは商売をしている人には必須の科目だと思いました。

人間心理がもたらすエラー、非合理。例示される数々のパターンが、自分あるいは周りの人に心当たりのあるものばかりで、苦笑いしながら読みました。どんな時に、どんな心理が働いて、判断を間違ってしまう可能性が高まるのか。これを知っていたからといって、必ず回避できるようになるとは言えませんが、知らないよりは少しはエラーを減らせるに違いありません。

わたしは大学では経済学部経営学科でしたが、当時は「行動経済学」という科目は無かったと思います。あったら取っていたはず…。でも、科目としての行動経済学はありませんでしたが、今こそもう一度受講したいような、面白い授業がたくさんあったのを思い出しました。お勉強が、実生活での仕事とつながる醍醐味。そろそろ経済学もリカレント(学び直し)の機会を持ってみようかな、と思える読書となりました。

『行動経済学ってそういうことだったのか』(ワニブックス)太宰北斗著

お盆前後の1週間で4冊読破は、良いペースだったと思います。ふだんからダラダラと(笑)本を読んでいますが、「この期間にこれを読む」と決めて読むのも、ある種の目標達成モチベーションが働いて、良いですね♪

↓お盆読書はこちら↓

フグ&ペンギン!市立しものせき水族館海響館。

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フグ&ペンギン!市立しものせき水族館海響館。

2020年からの2年というもの、ほとんど出かけていなかったのだなぁ、と、あらためて思います。どこに行くにも「とっても久しぶり」の感があり、水族館もその一つ。今回初めて、お隣の山口県にある市立しものせき水族館海響館に行って参りました。

ここ津屋崎から、高速道路を使って車で1時間と少し。思ったより近くでした。途中めかりパーキングエリアから関門海峡を眺め、対岸にある目的地を目視確認。海峡を行き交う船に、これから通る大きな関門橋、実に気持ちの良い景色でした。

さて海響館。なにが一番良かったかと問われたら、まず「フグ」です。これでもか!というほどに多種多様のフグが展示されていました。なかでもフグの稚魚がとってもかわいかったです。下関といえば、ふぐ。そのイメージを存分に生かした展示に、大いにうなずきました。これぞ地域連携。

そしてフグ以上に、実は下関の地域性というか歴史を生かしているのが「ペンギン」でした。なぜ下関とペンギン?のつながりの由来は、展示資料にあるキャプションを見て、初めて知ったのですが。興味のある方は足を運んでみてくださいね。ペンギンエリアのなかでも特に「フンボルトペンギン特別保護区」は見ごたえがありました。

ペンギンは磁器彫刻家・藤吉憲典の作品テーマのひとつでもあり、この充実度合いは、これから通うことになりそうです。

9時半のオープンと同時に入場し、ゆっくり回って約1時間半。外に出れば、目の前に関門海峡と唐戸市場。唐戸市場の一角にある食堂でお昼を食べて、大満足。海響館は、当日券を提示すれば再入場できるのも嬉しいです。

初めての海響館でしたが、思いのほか近く、期待以上に楽しかったです。今後はちょこちょこ足を運びたい感じです。

読書『サウンド・ポスト』(筑摩書房)岩城けい著

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読書『サウンド・ポスト』(筑摩書房)岩城けい著

お盆読書3冊目は、初めて読む岩城けいさん。作家紹介を拝見したところ、太宰治賞はじめ、たくさんの受賞歴をお持ちです。カメリアステージ図書館のおかげで、知らなかった作家さんの本に、気軽に手を伸ばすことが出来るありがたさ。

上の写真は、ヴァイオリンつながりで古澤巌さんのコンサートメニュー。

↓お盆読書1冊目、2冊目はこちら↓

さて『サウンド・ポスト』。主人公=お父さんが日本人、お母さんがフランス人、そして舞台はオーストラリア。ストーリーとしては、父と娘の物語。父と娘と、彼らを支える人たちの物語でした。ヴァイオリン、音楽がストーリーの中心にあり、音楽知識の細かい描写もありますが、かといって音楽のお話ではありませんでした。

見た目(外見)と、ことば(母語)と、音楽と、人種差別と、偏見と、経済格差。オーストラリア在住という著者の問題提起が芯を貫いているように感じました。エンディングに向かって、少々急ぎ足で力業、と感じられるようなところもありましたが、全体としてはとてもよかったので、著者のほかの本も読みたいと思いました。さっそく図書館で検索すると、数冊ヒット。つくづく便利ですね♪

『サウンド・ポスト』(筑摩書房)岩城けい著

長崎本線・特急かもめ、乗りおさめ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

長崎本線・特急かもめ、乗りおさめ。

9月23日に西九州新幹線が開業するのに伴い、在来線の長崎本線はずいぶんと様子が変わりそうです。博多と長崎を結ぶ特急がすぐになくなるわけではないようですが、一応乗りおさめをしてまいりました。

思えば、ずいぶんお世話になったラインです。創業以来15年を過ごした佐賀県江北町は、長崎方面と佐世保方面との分岐である「肥前山口」駅が最寄り駅。花祭窯の佐賀時代は、肥前山口から長崎方面、博多方面へ。その肥前山口も、新幹線開業に伴い「江北町」に駅の名前が変わると聞き、びっくりしています。

特急かもめといえば、肥前鹿島駅を過ぎて有明海沿いに諫早までの単線が一番の特徴です。海沿いの大きなカーブは、撮り鉄の方々にとっては絶好の撮影スポット。タイミングが良ければ、車窓からも、単線で通過待ちをした後の列車を見ることができます。天気が良ければ海の向こうには雲仙普賢岳。

西九州新幹線はまだ途中の武雄温泉から長崎までしかつながりません。佐賀で長くお世話になった身としては、博多から長崎まで完全につながるまで、また紆余曲折あるのだろうな、と複雑な心境です。ともあれ、特急かもめにお礼を言って、とりあえずは乗りおさめ。今回も素晴らしい景色を眺めることが出来ました。

読書『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

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読書『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

お盆休み。といっても、いつもの週末に、ほんの一日分長くお休みを取るだけで、そのうち一 日お墓参りをするのぐらい。いつもより少し読書時間が取れると嬉しいな、と思い、いつものカメリアステージ図書館新刊棚から小説系を多めに借りて参りました。

本書『吞み込まれた男』は、誰もが知っている「ピノキオ」の物語の、スピンオフ版とでも言いましょうか。ピノキオを彫ったピノキオのお父さん=ジュゼッペ爺さんを主人公にした物語です。クジラ(巨大な魚)に吞み込まれたジュゼッペ爺さんの、腹のなかでの格闘と葛藤が、本人の日記形式で語られていきます。その日記を通じて、爺さんの人生、人となり、ピノキオ誕生の背景が明らかになっていきます。

それにしても「書く」という行為の偉大さ。極限状態にあって、書くことによって自分を保とうとし、少しづつ蝕まれていく様子もまた文字として残る、というようなお話は、これまでにも何度も小説で読んだことがあります。本書でもあらためて「書く力」と、それを信じている筆者の想いを感じました。

昔話や童話を解釈し直して書かれた物語が一時期流行ったことを思い出しました。本書の書き方は、その手のアプローチとはまたまったく異なりますが、誰もが知っているお話であることは共通点。お馴染みのお話が、主人公を変えて書くとどうなるか!?とても興味深い結果をもたらすことを、体感した読書となりました。ほかの物語でも、やってみたら面白いだろうことは確実。ちょっとチャレンジしてみたくなりました。

『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳