郷育カレッジ2023「正しい姿勢と歩き方」に参加して参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ2023「正しい姿勢と歩き方」に参加して参りました。

7月からスタートした2023年度の郷育カレッジ。わたし自身の今年度受講一発目は、「正しい姿勢と歩き方」でした。講師は、福津市健康福祉総合センター「ふくとぴあ」のトレーニングジム「健康増進室」でもインストラクターを務めておられる田中英幸先生。

この講座、郷育カレッジで長年続く人気講座のひとつです。毎年受講希望者が多いため、7月と2月の2回開催。それでも毎回受講者は抽選になります。わたしも毎年申し込んでいますが、今回受講決定したのは、5~6年ぶりのことになります。受講決定通知を得て、思わずガッツポーズ。

講座の内容は、まずは理論から。「何で運動が必要なの?」「ニコニコペース運動とは?」「姿勢と確認して、いい歩きを手に入れよう」の順に進みます。必要性と効用を頭で認識するところからスタートです。田中先生の講義の素晴らしいところは、「もっともっと健康になれる=若返りが出来る」という期待で、気持ちを盛り上げて、ワクワクさせてくれるところです。「運動しないとこんなふうになっちゃいますよ」というような脅し系アプローチの対極にあります。運動は楽しい期待感を持って取り組んでこそ!ということを、一番最初にきっちり説いてくださいます。

頭で理解した後は、参加者でペアになり相互に姿勢チェック。一人一人歩くようすを動画に撮って確認したり、足のメンテナンスをしたらどのように姿勢が変わるかを実践して見たり。自分の姿勢の癖と、どうしたら正しい姿勢に近づけるかという日々気にかけるべきこと、運動の仕方など、盛りだくさんで、あっという間の充実した1時間半でした。

福津市民の皆さまは、「ふくとぴあ」で田中先生の指導を受けることが出来ます。興味のある方は、一度体験を試してみるのも良いかもしれません。

ふくとぴあ健康福祉館3階 健康増進室

博多阪急さんでの藤吉憲典個展、ご来場ありがとうございました!

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

博多阪急さんでの藤吉憲典個展、ご来場ありがとうございました!

福岡での初の商業個展となりました、博多阪急さんでの藤吉憲典個展、無事会期終了いたしました。初の博多個展で、正直ドキドキしておりました。たくさんのお客さまがお越しくださり「ホッとした」というのが、偽らざる感想です。おかげさまで地元の皆さまに作品をご覧いただくことが出来ました。足を運んでくださいました皆さまに、心より感謝申し上げます。

阪急3階の特別室の場所がわかり難かったようで、阪急のインフォメーションコーナーにもたくさんお問い合せをいただておりました。通常は外商のお客さまを対象とした商談会や受注会で使われるという「特別室」は、おそらく意図的にわかり難い位置にあり、今回ご案内がじゅうぶんに出来ていなかったことを、お詫び申し上げます。

会期中、福岡県での開催を待ち望んでくださったお客さま、佐賀・長崎・愛媛など遠方から駆けつけてくださったお客さま、古くからのお得意様にもお会いすることが出来、たいへん心強く嬉しい限りでした。また『美の壺』や雑誌で観てからずっと情報を追っていたとおっしゃるお客さまも少なからず、ありがたく思いました。西日本新聞で紹介されていたイベントの記事を切り抜き、手に持って訪ねてきてくださったお客さまもありました。また2021年に福岡アジア美術館で開催した展覧会にお越しになったお客さまに再びお会いする機会にもなり、とても嬉しかったです。

初めての百貨店開催とあって、いつもの「ギャラリーさんにお任せ」とは異なり、運営上では反省点もいろいろとありました。こちらはまたあらためて、まとめ・反省して、今後の取り組みに生かしていきたいと思います。

最後に、今回の機会は、昨年初開催となった福津市の事業者と博多阪急さんとのコラボイベント「ふくつのね」の一環として、スタートしたのでした。会期中を一緒に駆け抜けた「ふくつのね」メンバーにも、心からの感謝を。

藤吉憲典個展 博多阪急

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その5。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その5。

特集コーナー「HEIRLOOMS OF THE FUTURE(未来の家宝)」での藤吉憲典のインタビュー記事です。日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものだったため、元となった日本語原稿を何回かに分けてご紹介していくシリーズです。


Q10. 創作のインスピレーションは、どこで得ていますか。(Homes & Antiques)

A10. 海、山、花、鳥、動物、およそ自然にあるすべてです。山に住んでいた時には山を朝夕散策していましたし、海の近くに越してきてからは海辺を、毎朝散歩しています。また、古いものから受けるインスピレーションも大きいですね。時代を超えて残ってきたものにはそれだけの理由があると思いますし、理屈抜きにパワーを感じるものがたくさんあります。(藤吉憲典)


Q11. ご自身のキャリアのなかで、最も誇りに思っていることはどんなことでしょうか。(Homes & Antiques)

A11. 1997年に独立して以来、ずっと伝統的な肥前磁器の表現様式をそのまま生かしてきたことです。わたしには師匠はありませんが、江戸時代(1600年代~1800年代)の肥前磁器の名品の数々こそが、わたしにとっての師です。表現方法において奇をてらうことなく、流されることなく、古伊万里の先人たちが遺してくれたものを、自分の個性で形にし直すことを徹底してきました。

日本には「写し」の文化がありますが、写しとは劣化したコピーを作ることでは無く、オリジナルを超える良いものを生み出そうとする行為です。わたしがやってきているのは、まさに肥前磁器における「写し」の王道だと自負しています。現代アート市場において、わたしが投げかけたいのは、観た人をびっくりさせるような作品ではなく、心安らぐ作品、手に入れた人が笑顔になる作品です。数百年後にも受け継がれ残っていくものを目指しています。

実は、わたしが独立以来掲げている作陶理念のひとつに「国宝より家宝」があります。作りたいのは、業界や評論家に称賛されるようなものではなく、自分や愛する人のためにそれを買い、遺していきたいと思ってもらえるようなもの。なので、今回インタビューの打診をいただいたときに、テーマが「HEIRLOOMS OF THE FUTURE(未来の家宝)」であると聞いて、とても驚くとともに、嬉しかったです。(藤吉憲典)


特集コーナーへの掲載を打診してくださった、Our Media「Homes & Antiques」編集者のケイティ、作り手の魅力を引き出す質問を届けてくれたライターのドミニク、間をつないでくれたSladmoreのサラに、心より感謝です。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その4。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その4。

特集コーナー「HEIRLOOMS OF THE FUTURE(未来の家宝)」での藤吉憲典のインタビュー記事です。日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものだったため、元となった日本語原稿を何回かに分けてご紹介していくシリーズです。


Q7. Animal Boxesシリーズが有名ですが、いつごろから箱を作り始めたのでしょうか。作りはじめたきっかけは何ですか。(Homes & Antiques)

A7. 箱は、ただ好きなんです。好きだったので、窯元勤めの頃から、時間を見つけて趣味で作っていました。商品としてではなく、ですね。幼少期からアニメや漫画の影響を強く受けて育った世代ですので、もともとプラモデルやフィギュアをつくるのは素材に関わらず好きでした。その延長での彫像と、肥前磁器の歴史のなかでもずっと作られてきている陶箱の組み合わせ。なにか強い意図があって箱シリーズを作ったわけではなく、自分の好きなもの、こんなものが合ったらカッコいいな、を形にしたら、このスタイルになった、というのが正直なところです。わたしがつくるものは、基本的に「自分が欲しいもの」なのだと思います。(藤吉憲典)


Q8. どのような経緯でアート作品として作るようになったかを、教えてください。(Homes & Antiques)

A8. 前述のように、もともとは趣味で作っていました。アート作品として発表しようと明確に決めたのは、作家として独立してから10年以上が経ってからです。それまで「食器」の作家として、用途のあるものにこだわっていましたが、あるとき、用途にこだわらず自由に自分が作りたいもの、良いと思うものを発表していこうという気持ちになりました。

それまでは勝手に自分の創作表現に制限をかけていて、それに気づいたというか。今考えると、食器作家として少しは認められるようになったと実感できる場面が何度かあり、自分のものづくりのスタンス・考え方に、自信が持てるようになってきたことが、影響していたのかもしれません。(藤吉憲典)


Q9. Animal Boxesシリーズを制作するうえで、一番楽しい工程はどんなものですか。また、特に困難なことはありますか。(Homes & Antiques)

A9. 実は、どの工程も楽しくて仕方がありません。作っていると、あっという間に時間が過ぎています。もちろん、それぞれの工程は、繊細さを必要とし、技術的にも決して簡単ではありませんが、その難しさがまたチャレンジングで楽しい。

一番難しいのは、完成したときの全体としてのまとまりです。形と文様・色彩との調和が一番の肝であり、そこに、分業ではなく作家として自分一人の手で作ることの意味・価値がもっとも現れると思っています。全体としての調和した美しさを形にするために、どのように組み合わせていくか。手を動かし始める前に、資料を集めたり調べたりしながら頭のなかで何度も何度もシミュレーションを繰り返すのですが、ここに一番エネルギーと時間を使っているかもしれません。(藤吉憲典)


「その5」に続きます。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その3。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その3。

特集コーナー「HEIRLOOMS OF THE FUTURE(未来の家宝)」での藤吉憲典のインタビュー記事です。日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものだったため、元となった日本語原稿を何回かに分けてご紹介していくシリーズです。


Q4. 有田の磁器工房(窯元)で働くことになった経緯を教えてください。そこであなたはどのような仕事をし、どのように感じましたか。(Homes & Antiques)

A4. 父が病気のため、東京から佐賀に帰郷したことがきっかけでした。父は書道家であり、最初は彼の営む書道塾を継ぐように言われました。わたしは、書は幼少期から猛特訓を受けていましたので、もちろんそのような道もあったのだと思いますが、どうしても絵を描く仕事、デザインの仕事がしたくて、父に頭を下げて断りました。

一番最初の窯元では、大量生産用の器の絵柄のデザインを手がけました。大量生産とはいっても、有田の絵付職人さんたちが手描きで画をつけるものです。なので、職人さんたちに、どのように絵をつけるかの指導までを含めて、デザイナーの仕事でした。とにかくどんなかたちであれ「絵」「デザイン」を続けることが出来たのが、とても嬉しかったです。その後、形のデザインまで含めた商品開発デザイナーへと進みました。(藤吉憲典)


Q5. ご自分の作品を作るようになる技術は、そのような窯元の仕事のなかで学んだのでしょうか。(Homes & Antiques)

A5. 足かけ約8年、全部で四つの肥前磁器の窯元を経験しました。それぞれの窯で、商品開発のプロダクトデザイナーとして仕事をするなかで、わたしの基礎が作られていきました。前述したように、「どのように絵をつけるか」「どのように形を作るか」、実際に手を動かす現場の職人さんへの指導も含めてわたしの仕事でしたので、自然と技術も身に付いていきました。窯元は同じ有田でもそれぞれにつくるものに特徴・違いがあり、四つの窯元を経験することで、技術的な幅も広がったと思います。(藤吉憲典)


Q6. 独立して自分の作品を作り始めようと思ったきっかけはなんでしょうか。最初に制作した作品はどのようなものでしたか。またどのようにして作品の市場(販売先)を見つけましたか。本格的に軌道に乗ったのはいつ頃からですか。(Homes & Antiques)

A6. ご存じのように、肥前磁器はすべての工程が細かい分業で行われています。磁器作家を名乗っている人も、実際には形は別の職人が作り、作家は絵をつけるだけの人が多かった。この、分業があたりまえの業界で、全部を自分一人でやってみたいと思ったのがきっかけです。それともうひとつには、非常に現実的な話なのですが、有田の窯元の徒弟的な労働環境のなかで仕事をしていくのが、肌に合わなかったというのも正直なところです。

最初に作ったものは、何だったか忘れました。でも、食器です。独立するときは「食器作家として成功する」ことを目指していました。自分の作った器で、一人でも多くの人が、ご飯を食べる時間が楽しくなるといいな、食卓が豊かになるといいな、という気持ちでした。雑誌に載っている器専門の有名ギャラリーのなかで、自分の作風に合いそうなところ、尊敬する作家さんの器を扱っているところを探し、電話でアポを取って器を持って行って見てもらっていました。

わたしは芸術系の大学を出ているわけでもなく、窯元勤めはしましたが、弟子として有名師匠に仕えたわけでもありませんでしたので、磁器作家としてなんの後ろ盾も持っていませんでした。誰の紹介もなく、突然電話して「器を見てください」と。なので、最初は門前払いされることも少なくなかったです。それでも、作ったモノ自体を見て評価してくださるギャラリーさんと少しづつ出会うことができ、仕事を続けることが出来ました。ようやく何とかこの道で食べていくことが出来るかな、と思えたのは、10年経った頃だったと思います。(藤吉憲典)


「その4」に続きます。

 

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その2。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その2。

特集テーマは「HEIRLOOMS OF THE FUTURE」。日本語にすると、「未来の遺産」あるいは「未来の家宝」です。日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、元のインタビューのボリュームがかなりたくさんであったこと、そしてなにより、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものでしたので、掲載記事の元となった日本語原稿を何回かに分けてご紹介していきたいと思います。


Q1. 佐賀県有田町で育ちましたか。有田が日本の磁器の歴史の中で特別な場所であることは、子どもの頃に知っていましたか。有田で育つというのは、どういうことなのでしょう、またどんな場所でしたか。磁器産業の町ならではの特徴はあったのでしょうか。(Homes & Antiques)

A1. 有田の隣町で育ちました。幼少期から絵ばかり描いている子どもでした。画家になりたくて、当時佐賀で唯一デザイン科のあった佐賀県立有田工業高等学校のデザイン科に進学し、それが有田との接点のスタートです。わたしはデザイン科でしたが、高校には窯業科があり、同級生には窯元の子や、両親が窯元で職人として働いている子がいました。毎年5月には有田で陶器市があり、学校がそこでのアルバイトを奨励していました。そのように、日常にあたりまえに窯業があるのが有田でした。

当時の意識としては、歴史ある伝統工芸というよりも、そこに住む市民の生活の糧としての磁器産業だったと思います。実のところ、高校時代のわたし自身は、朝から晩までアトリエで絵を描く学校生活をしていて、まったく窯業には興味はありませんでした。(藤吉憲典)


Q2. 1988年に肥前磁器を「発見」したとレジュメに書かれています。どのような経緯で肥前磁器と出会ったのでしょうか。またどんなところに魅力を感じたのでしょうか。(Homes & Antiques)

A2. 高校卒業後、グラフィックデザイナーとして東京で就職をしました。数年後、父親が大病をしたため、佐賀に帰りました。どうしてもデザインの仕事をしたかったのですが、当時佐賀ではそのような仕事はほとんどありませんでした。あきらめかけていたところに、高校時代の恩師から「やきものもデザインだぞ」と言われ、初めて肥前磁器を正面から見ることになりました。そうして有田の窯元に製品開発デザイナーとして就職したとき、これまで平面(グラフィック)で培ってきたデザインが、そのままではまったく通用しないことを思い知らされ、それがわたしにとっての、肥前磁器の発見でした。

また当時の開発室の上司が、肥前磁器のマニアであり、窯元のデザイナーとして彼と対等に話をするためには、肥前磁器の歴史やモノを深く学び理解することが必要でした。彼に追いつきたくて、美術館や骨董屋に幾度となく足を運び、関連する本や資料をたくさん読みあさりました。同じデザインでも、それまでのグラフィックデザイナーとしてのセンスや技術ではまったく追いつかない奥深さに、難しさと同時に大きな魅力を感じました。(藤吉憲典)


Q3. その発見は、あなたにどのような影響を与えましたか。(Homes & Antiques)

A3. グラフィックデザイナーとして少しづつ自信をつけ始めていたところから、「やきもの」ではゼロからのスタートと覚悟を決めての学び直しとなりました。すべてが新鮮でした。意匠と造形を組み合わせて完成品を導いていく。この複雑な作業の修得に、新しい世界を見つけた気がしました。(藤吉憲典)


「その3」へと続きます。

英国の雑誌『Homes & Antiques』8月号への、藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その1。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

英国の雑誌『Homes & Antiques』8月号への、藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その1。

「ロンドンから、5月5日締め切りの仕事が飛び込んでまいりました」と書いたのは、4月もそろそろお仕舞いかという頃のことでした。

その後、最終原稿確認を終わらせ、無事発刊されたようです。

Homes&Antiques 2023 Aug

特集テーマは「HEIRLOOMS OF THE FUTURE」。日本語にすると、「未来の遺産」あるいは「未来の家宝」とでも訳されるところで、常日頃から「数百年後も遺る家宝になるものをつくる!」と言っている藤吉憲典にとっては、まさに我が意を得たりのテーマでした。

記事自体は、かなりの分量があったインタビューを、UKのライターさんが上手に素敵にまとめてくださいました。それでも見開き3ページに及ぶ内容。こんなにスペースを割いていただいたのは、日本国内の雑誌でもあまり無いことでしたので、とてもありがたい機会となりました。

ただ、日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、元のインタビューのボリュームがかなりたくさんであったこと、そしてなにより、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものでしたので、日本語のもと原稿をこちらでご紹介していきたいと思います。

さっそく明日から、一日一問(あるいは2-3問)でインタビューをご紹介予定です。どうぞご期待ください。

津屋崎祇園山笠2023。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

津屋崎祇園山笠2023。

4年ぶりの津屋崎祇園山笠が、無事終了いたしました。中学生だった子どもたちは高校生になり、という年月。久しぶりにいろいろな人と顔を合わせることが出来て、やっぱりお祭りは良いなぁ、とつくづく思った二日間でした。

まず7月15日(土)は夕方から「裸参り」。前夜祭とでもいいましょうか。氏神様の波折神社を出発して約7キkmの道のりを、提灯をもって走ります。これがなかなか見ごたえあり…とはいっても、わたし自身はごりょんさん仕事でほとんど見ることが出来ないのですが。毎回あとから人に話を聞いたり、写真で楽しむ感じです。そして今年は、津屋崎のユーチューバー・Toru君が全ルート動画を撮ってくれました!

Toru君の動画チャンネル「ツヤツヤ津屋崎」にさっそくアップされています。聞けば、裸参りを追っかけ、21時過ぎに戻ってきてから、夜中までかかって編集したとか。裸参りでは2時間半近く走ってくるのですが、約20分にまとめられていますので、ぜひご覧になってみてくださいね。

そして7月16日(日)は、本番の「追い山」。こちらもわたし自身は全体を見ることはできませんが、「お宮出し」と呼ばれるスタートの様子を生で見ることが出来たので、良かったです。今年は岡流が一番、北流が二番、我が新町流は三番山でした。下の写真は、新町流れがお宮を出発してすぐのところ。「見送り」と呼ばれる後ろからのショットです。

津屋崎祇園山笠2023

快晴に恵まれ、熱中症に気を配りながらも、怪我人を出すことなく無事に終了したことが、なによりの喜びでした。追い山の様子も、じきにToru君がYouTube「ツヤツヤ津屋崎」にアップしてくれることでしょう。またこちらでもご紹介いたしますね。

上半期が過ぎたので、不定期の税理士相談。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

上半期が過ぎたので、不定期の税理士相談。

事業規模が小さいので、これまで顧問税理士さんなどをお願いしたことが無いまま、今に至っています。ただ昨年あたりから、インボイス制度やら電子帳簿やら、外部環境から求められる変更がいろいろとあるなかで、個別に相談したい内容も増えてきました。これまでも、経理仕事に困ったときには、その都度商工会の税理士相談を活用したりしており、それはそれでたいへん助かっていました。が、やはり一般的な知識としてのアドバイスは頂くことが出来ても、「うちの場合」に当てはめてきっちりと解説していただきたいというのは無理があり。そろそろ「うちの事業の傾向を理解したうえでアドバイスしてもらえる機会」があるといいなぁ、と真剣に思ったのが今年初めのことでした。

幸い、以前花祭窯で開いていた自営業者の勉強会に参加してくださっていた友人でもある税理士さんが、不定期で相談に乗ってくださることになりました。誠実なお人柄をよくわかっておりましたので、引き受けてくださったことは、ほんとうにありがたく。なぜ不定期か。それは、その税理士さんがとてもお忙しいから。「現状、顧問先は増やせないのですが、単発のご相談でよければ」とおっしゃってくださいました。まだ規模の小さい花祭窯としては、たまに見ていただいて課題解決できれば十分な状況でもあり、ちょうどマッチしたのでした。

というわけで、2023年も上半期が終わった7月上旬にお時間をいただいて相談&お勉強。あらかじめ、現在の経理事務における課題やわからなくて困っていることなどをメールでお知らせしておくと、当日十分な資料をもってきてくださいました。さらにすごいなぁと思うのは、こちらがまだ課題だと認識していない(見えていない)部分についても、先取りして「藤吉さんにこの情報があると役立つんじゃないかと思いまして」と、ご用意してきてくださること。これはやはりプロだなぁ、と思いました。「あ!そう言われたらそうです!どうしてわかったんですか!」という場面が何度もありました。

2時間の相談会は、課題がすっきりとクリアになり、久しぶりにそれぞれの家族の近況などもおしゃべりできて、とても嬉しい時間となりました。次回は年末あたり、確定申告に向けての相談になるかな、と。相談先のある安心感がありがたい今日この頃です。

読書:「奥田英朗をより深読みするには」その1。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書:「奥田英朗をより深読みするには」その1。

お友だちから頂いた「奥田英朗をより深読みするには」リスト。

  1. 『最悪』『無理』『邪魔』
  2. 『延長戦に入りました』『泳いで帰れ』『用もないのに』
  3. 『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』『町長選挙』

3冊づつの3ジャンル。この順番で読むと面白みが増すとの教えに従い、その第一弾『最悪』『無理』『邪魔』を読み終わりました。

いずれもひたすら「社会の底辺」と「救いの無さ」が、これでもかと描かれています。そもそも、奥田英朗著作の最初に読んだ『罪の轍』が、わたしが著者追っかけするきっかけとなったのですが、その最初のイメージも「社会の底辺」と「救いの無さ」でした。

そんな二つのキーワードは決して小説上の他人ごとではなく、自分自身の生きている場所が、常に隣り合わせであることを思いながらの読書となりました。特に『最悪』に登場する川崎の町工場の社長が陥る窮地は、零細の自営業者なら容易に実感をもってイメージできるものであり、もし自分がこんなふうに追い詰められたらどのように変貌してしまうだろうかと思うと、かなり怖いものを感じました。

いずれの三冊も、一気読みです。ここから「奥田英朗をより深読みするには」その2、に入ります。