こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
再読書『嵐が丘(上・下)』(光文社古典新訳文庫)エミリー・ブロンテ著/小野寺健訳
先日観た映画『嵐が丘』で、映画の良し悪しとはまったく別のところで、こんなストーリーだったかしら???がぬぐえませんでしたので、「読んでいなかった名作を」シリーズ読書『嵐が丘』再読です^^。映画を観終わってすぐに、いつものカメリアステージ図書館に予約を入れました。古典文庫には珍しく、上下巻とも貸し出し中になっていたので「わたしと同じように、映画をきっかけに読み直している人がたくさんいるのかも!」と思いました。が、2週間ほどで順番が回ってきましたので、たまたまだったのかもしれません。
さて、いざ検証。まずは上巻を一気に読みました。「こんなストーリーだったかしら???」は、「そんなストーリーだったのね!」に、無事修正されました。登場人物の顔ぶれや役割が少々変わっているものの、映画『嵐が丘』は、この上巻の筋をきちんとなぞっていたことがわかりました。上巻は主人公キャサリンが亡くなるところまででお終いで、映画もまたキャサリンが亡くなるところがラストシーンでした。
そうなると今度は、ほぼ同じ分量ある下巻の内容を知りたくなります。引き続き下巻へと突入。こちらにはキャサリンが亡くなる前に生んだ子どもと、ヒースクリフの子どもが登場します。ヒースクリフが、自分とキャサリンの不幸を呪い、次の代にまでもその恨みをぶつける、という構図。なるほど、これはこれで続編映画が一本作れるボリュームかもしれない…と一瞬考えましたが、映画ではキャサリンの赤ちゃんはお腹の中で亡くなっていることをにおわせていましたので、これを覆すのは難しいかしら、とも思いつつ。
というわけで、上下巻通して読了。前回読んだ時よりも、だいぶ短い時間で読むことができたように感じるのは、映画でビジュアルイメージが頭にあったのも要因の一つかもしれません。前回読んだ約6年前の読書記録では、「ドロドロ路線の昼メロ(ドラマ)顔負け」と印象を書いているのですが、そのときよりも、昼メロめいたストーリーの奥にある登場人物たちの心の機微が見えたような気がしました。
本は、読む自分の状態によっても、読み取れるものや残るものが変わってきますから、何度も読み直すと面白いですね。とはいえ今回は、自分があまりにもストーリーを忘れてしまっていた事実に、呆れかえってしまう読書にもなりました(笑)。
