読書『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)

佐藤優さんによる、筑波大学非常勤講師の小峰隆生氏を聞き手とした筑波大での特別講義をまとめたものです。

自分の知識が質・量ともに足りなさ過ぎて、本書の内容をちゃんと理解できたとはまったく言えないのですが、得たかった答えのひとつを再確認することができました。それは「目には見えなくても、確実に存在し、社会や歴史を動かすもの」(本書まえがきより)の存在と、そういうものへの理解を少しでも進めるために「一見、意味のない、現実社会とは遠い所にあるものを学ぶことが必要」(本書第二講より)であるということ。

以下備忘。


  • 目には見えなくても、確実に存在し、社会や歴史を動かすものが見えるからだ。
  • なぜなら哲学と宗教は、人間が生きていく上で不可欠な基本原理だからだ。
  • 学問とは、実学を身につけることです。哲学も神学も、実学です。
  • 人間は、一見、意味のない、現実社会とは遠いところにあるものを学ぶことが必要です。それによって、いまの自分の目ではしっかり見えていないものを理解するための「回路」を身につけることができるのです。
  • 実際に「存在すること」と、「存在すると思っている」ことは違うということです。
  • 我々の認識は、我々の文化による拘束を受けています。
  • 江戸時代の人々や幕府は「世界は完成している」として、外に目を向けなかった。その結果、その当時の人々の美意識は、最終的にエログロナンセンスに向かいました。
  • 自発的に選択したものは、自分で放棄することができる。
  • 抑圧されたものは、いずれ別のかたちになってまた戻ってくる。
  • 類比的な説明や思考は、見えないものを理解するのに役立つ

『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)より


 

読書『充たされざる者』(中央公論社)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『充たされざる者』(中央公論社)

カズオ・イシグロ作品。わたしが読んだのはハードカバーの中央公論社版の上下巻でしたが、現在はハヤカワepi文庫版で出ているようです。

写真はロンドン郊外の街中で撮ったもの。この本を読みながら、わたしの頭に浮かんだ風景のひとつです。

上巻434ページ、下巻366ページ。久しぶりにこの分量を、ほぼ一気に読みました。読むにあたり、友人から「とんでもない本ですよ。ご覚悟くだされ(笑)」とアドバイスいただいた本でしたが、カズオ・イシグロ作品追っかけ中の身としては避けて通るわけにはまいりません。

全体像の見えない複雑なパズルをひとつひとつ埋めていく作業を思わせる読書でした。まどろっこしいながらも、手を止めるわけにいかず、ついつい読み進んでしまう。引きつける力がすごいな、と思いました。

読み終わってまず思ったのは、分かりにくいもの、正解のないもの、結論が見えないものにアプローチすることの意味。ひとつひとつの事象を自分のなかで組み立てていってみたり、ある事象の背後にある意味を根気強く考えたり、裏切られた予想を何度も立て直していったり。結論にたどり着くことが目的なのではなく、そこに至る(あるいは至らなくても)過程で自分がどう考えふるまうかを問われていたような気がしました。

わたしはあまりテレビを観ない生活をしていますが、たまに見ると、過剰にわかり易いというか、説明過多と感じることがしばしばあります。ドラマにしても、お笑い番組にしても、ニュース番組にしても、視聴者に対して「ここではこのように反応するのが正解ですよ」と言わんばかりのお膳立てを感じると、うんざり。一方で、そこに安心を感じる人もあるのだろうなということもわかる気がします。

『充たされざる者』は、いわばその対極にある本かも知れません。読み手にゆだねられていることの多いこと。読了まで、いえ、読み終わった後でさえ、まったく安心できない本です。

 

東長寺でダライ・ラマ法王。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

東長寺でダライ・ラマ法王。

写真は別の日の東長寺。明らかに季節が違いますが、ご容赦を。

「ダライ・ラマ in 福岡」。今にも雨が降り出しそうな二十四節気の小雪。ダライ・ラマ法王の声を聴きに行って参りました。

ダライ・ラマ14世のお話を聴く機会に恵まれたのは二度目。一度目は13年前子どもがお腹のなかにいたときに、熊本・玉名にいらっしゃると聞いて、こんな機会一生に一度あるかないかだ!と佐賀から車を走らせたのでした。

今回は博多・東長寺とあって、まさか二度目の機会があるなんて、しかもこんなに近くにいらっしゃるなんて!と申し込んだのでした。13年を経て、おかげさまで無事にここにおります、という気持ちで会いに行きました。

チベット語でのお経の奉納では、ここ数年の日本の自然災害による被災者の方々や被災地のことを思って祈ってくださいました。続く法話では、「禍」のときにどうそれを乗り越えるのか、心の持ちようについて説いてくださいました。

13年前のときのお話は(あくまでも、わたしの記憶に残っているものですが)「自我と無我」のお話でした。今回は「空(くう)」のお話。般若心境のなかにも現れる「空」ですね。

空(くう)である。すなわち、すべてのものには微塵たりとも実体性が無い、ということ。実体があると勘違いするから、そこに執着その他が生まれるというお話は、なんとなく分かるような気がしました。

そして「平らかな心」を保つことこそが「禍」を乗り越えるのに役立つということ。菩提心=利他の心を高めていくことが大切であるということ。これらを会得するために、般若心経を唱えることが必ず力になるということ。

というわけで、単純なワタクシ、しばらくお休みしていた「朝から声に出してお経を読む」を、復活しようと思います。

チベット語を日本語に通訳してくださった女性の方がすごいな、と思いました。話し方が前回と同じような印象だったので、同じ方だったのかもしれません。チベット語で仏教の専門領域のことばが次々と出てくるお話を、そこにいる人たちにわかりやすくその場で日本語にして伝える技術。すごいなぁとつくづく思いました。

ところで「ダライ・ラマ法王に会いに行きました」と書きましたが、実際にはお堂の奥でお話をなさった法王の姿はわたしの席からはまったく見えず、入場される際のお姿をかろうじてちらりと拝見しただけとなりました。それでも、その場に行くことができて良かったな、と思います。

感謝。

 

読書『ビジネスメールの中国語』(三修社)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『ビジネスメールの中国語』(三修社)

『日中辞典』(講談社)の編集にもかかわっておられるという著者・林松涛(りん しょうとう)さん。「ビジネスメールの」とありますが、その背景にある中国での慣習もわかりやすく説明してくださっているので、文化を知る上でもとてもありがたい一冊です。

ことあるごとに「やっぱり中国語勉強しなきゃ!」と思うのですが、今回も例にもれず上海出張の反省です(笑)今回の反省は「話せるようになりたい、書けるようになりたい」というずっと以前に「まずは相手に不快感を与えないようにしたい」という思いです。

以下、わたし的に「!」と思った内容まとめ。


  • 英語か日本語のメールに、中国語で1行の挨拶を添えてみる
  • 中国の祝祭日を意識した挨拶を書く
  • 英語のDearにあたる前置詞的ことば
  • 「簡単なあいさつ」「安否のあいさつ」「感謝やお詫び」「時候のあいさつ」のうち、一つか二つ書けば大丈夫
  • 結びには「祝~」式
  • 感嘆符と疑問符は必ずつける
  • 結びにはポジティブな言葉を入れる

『ビジネスメールの中国語』(三修社)より


具体的な文例等は、ぜひ本書で(^^)

 

連続講座第4回「博物館 de 回想法」

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

連続講座第4回「博物館 de 回想法」

博物館マネジメント人材育成事業」の一環である連続講座「2025年問題に向けた高齢者の健康と博物館の役割」。第1回目「コラージュ」、第2回目「園芸療法」につづく第3回目が「アニマルセラピー」だったのですが上海出張と重なり参加できず。第4回目の「回想法」に参加してまいりました。

写真は会場となった福岡市博物館。常設展示で、地域の歴史を世代ごとの目線で追える仕組みが面白い博物館です。当日はとっても良いお天気でした。

美術館・博物館が地域に貢献できること、地域と博物館資源を考えたときに、もっとも具体的・有効的に歴史民俗的資料が生かされる方法のひとつが回想法といえるのではないかと確信した一日でした。

以下、備忘。


  • 「博物館」と「教育」「福祉」の連携をいかに実現するか。
  • 市民が博物館を自分たちの「道具」としていかに使うか。
  • ライフレビュー(個人回想法)とグループ回想法。
  • グループ回想法で地域回想法。地域ケアとしての取り組み。
  • テーマ・内容・道具
  • 場の提供とサポート。
  • アート回想法ワークショップ。
  • お出かけ回想法。
  • 記憶の展示。
  • 持続性=行政の手を離れても持続可能か。
  • 「体に良い博物館」「脳に良い博物館」の効能。
  • 語る材料を得るための「地域の博物館」。
  • 私的刺激としての博物館資料。
  • 傾聴力。
  • 共有する時間の濃さ→チーム力→関わりから生まれる積極性。

今回の研修では、グループワークの際に学芸員、医療関係者、福祉関係者がそれぞれの現場から語る時間がしっかり確保されており、理想と現状を話し合うなかでいろいろと考えさせられました。

 

過去作品の掘り起こし。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

過去作品の掘り起こし。

ダンナ・藤吉憲典は、12月1日からの町田ももふくさんでの個展に向けてラストスパート。染付の絵付に取り組んでいる最中です。発送までにあと何回窯が焚けるかな、というところ。

食の器をメインにした個展でお持ちするものは、定番のものと、新作と両方になります。新作だけではないんですね。20年以上のキャリアを経て「藤吉憲典といえば」という文様や形がいくつかあるので、それを期待してお越しになるお客さまに向けてお持ちします。

新作も、まったくの新作もあれば、以前に作ったものをもう一度作り直してみる、という取り組みがあります。つくり手は(うちのダンナだけかもしれませんが)自分がつくったものが自分の手を離れると、すぐに忘れてしまいます。執着が無いのですね。なので以前に作ったものを写真で見せると、「そういえば、こんなものも作ったなぁ」という感じ。

そして年月を経て取り組むと、以前に作ったことのあるものでも、かなり出来が変わってきます。つくり手の腕が上がっているので、つくりが良くなり、絵付もいい感じにあがります。もちろん、つくった当時はその時出来る最善を尽くしてつくっているので、「この時も頑張っていたんだなぁ」という思いも。

さて今回も、いくつか「過去作品の掘り起こし」をしています。「今の藤吉憲典が作ると、どうなるか」は、側で見続けているわたしにとって、これからもずっと楽しみのひとつです。

 

好い字だなぁ。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

好い字だなぁ。

とダンナが言うので、なにかと思ったら、お友だちからいただいたプーアール茶の箱に入っていた説明書きでした。

中国語なので、なんと書いてあるのか、意味はわからないものの、ぱっと見た感じ、とてもいい感じ。と。これ自体はもちろん印刷物であるのだけれど。

見てみると、たしかに読みやすくて(中国語は読めないけれど)、やわらかさがあって、ビジュアル的にスーッと入ってくるような字。

こういう字を目指したいな、と思ったできごとでした。

 

宿題:やきもの(磁器)の話。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

宿題:やきもの(磁器)の話。

あるところから「やきもの(磁器)の話をしてください」という宿題をいただきました。「わかりました!構成を考えてみます」とお返事して、考えているところですが、さてどういう話からスタートするのが良いものかと思案しています。

聴きに来る方は、どんなことを知りたいかしら。どんなことに興味があるかしら。聞いて面白いのはどんなエピソードかしら。話を聴いたあとに、もっとやきものを使うのが楽しくなるようなお話をしたいな…。

これまでに小学校などで子ども向けに「産業」「職業」としての話をしたことはありますが、一般の方々に向けて、やきもの(磁器)を知ってもらうための話をしたことはありませんでした。

いえ厳密には、花祭窯にいらっしゃるお客さまや、個展会場でお会いする方々に、個別にはたくさん話をしているのです。その場合は、先方からの質問がベースになっていることが主なので、自ら体系立てる必要が無かったのですね。

というわけで、ちょっと整理整頓。


  • 肥前磁器の歴史
  • つくり方・原料のことなど
  • 磁器の特徴(陶器との違い)
  • 肥前磁器に描かれる文様の話
  • 蕎麦猪口の話
  • 使い方の話
  • 選び方の話(特に作家ものと呼ばれる器について)

まだまだあるような気がしますが、あらためて考えるとなかなか出てきません。これはもう、実際に「どんな話が聞きたいですか?」とおたずねするのが一番ですね(^^)

 

 

藤吉憲典の日本語サイトリニューアル。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

藤吉憲典の日本語サイトリニューアル。

日本語サイトをリニューアルいたしました。

https://fujiyoshikensuke.com/jp/

藤吉憲典公式サイトには英語版サイトと日本語版サイトがあるのですが、日本語版をそのまま英語化したもの(あるいはその逆)ではなく、それぞれにつくっています。

海外のお客さまが求めておられる情報と、日本のお客さまが求めておられる情報。海外のお客さまにお届けしたい情報と、日本のお客さまにお届けしたい情報。それらをきっぱりと分けるわけではありませんが、やはり傾向が異なるので、アプローチを変えています。

今回の日本語版リニューアルでは、これまで比較的文字情報が多かったので、もう少し写真情報を増やしていけるようにと意識しています。サイトの骨組みは出来上がりましたが、器やアートの写真を増やしていくのは、今からの作業。

コツコツ増やしてまいります。

 

大相撲九州場所2018

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

大相撲九州場所2018。

これまた我が家の恒例行事・大相撲九州場所観戦。昨年に引き続き初日に行って参りました。年々チケットの売り切れが早くなっている大相撲。今年も気がつけば週末のチケットは完売で、当日発売の自由席チケットを獲得すべく、早朝から並んでまいりました!

写真は、3階の自由席に腰を落ち着けて見下ろしたところ。朝一番の土俵の景色です。この日は「満員御礼」が出ました。ここから時間が経つにつれて人が増えていったわけです(^^)

朝7時45分の当日券発売を目指して6時半に到着したところ、38番目。少し出遅れたかと心配していましたが、今場所は白鵬・鶴竜の二横綱の休場もあってか、心配なく席を確保できました。8時10分開場、8時20分取組開始。弓取式が終わる18時まで、10時間の相撲ワールドです。

ここ数年ファンサービスも種類が増えてきて、本場所に足を運ぶ魅力、楽しみ方はいろいろとありますが、わたしたちは基本的に「取組を観る」ことを楽しんでいます。特に、序の口~幕下の力士は毎年行っていても名前を知らない(忘れてしまう!?)力士も多く、その取組は本場所に足を運んでこそ楽しめると思います。そこで今回は「思わず二度見した四股名」をご紹介。

宇瑠寅(うるとら)、武士(ぶし)、光源氏(ひかるげんじ)、羅王(らおう)、舞蹴(まいける)…

宇瑠寅さん、どうしたって「ウルトラ」とイメージしてしまうわけで、どんな強そうな力士が出てくるのかと思いきや、細くて拍子抜け。けれど素晴らしい熱戦を見せてくれました。昨年その名を見つけてびっくりした「光源氏」さんは、今年も取組表に名前を見つけて思わずホッ。1年経って体がずいぶん大きくなっていました。舞蹴さん、どうしても「マイケル」と読めるわけで、どこ出身の方が出てくるのかと思いきや、日本の方…などなどなど。

昨今はネット上で各力士の情報がたくさん出ているとは思うのですが、そうした前情報を求めずに行っても、現地で驚きや発見があって面白いのです(^^)