音楽イベントふたつ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

音楽イベントふたつ。

芸術の秋。音楽の秋。十月は地域の音楽イベントがふたつ。ひとつは地元・津屋崎の「音楽散歩」。 もうひとつは、お隣の宗像・東郷の「MUNAKATA JAZZ 2019」

津屋崎の音楽散歩は今年でもう10回目。有料チケットが要る会場が多いですが、チケット不要で楽しめる路上演奏もあります。お時間のある方は、お散歩がてら楽しみにいらしてみてはいかがでしょうか♪

音楽散歩

  • 会場:津屋崎千軒一帯
  • 日時:2019年10月14日(月祝)10時-16時半
  • チケット:前売1500円、当日2000円(中学生以下無料)
  • 駐車場:水産高校横(津屋崎4-46)
  • 問合せ:音楽散歩実行委員会090-8629-9099(受付9時-18時)

花祭窯は音楽散歩のエリアからすぐ近くなので、居ながらにしてその音や雰囲気を感じます。毎年、朝一番に津屋崎中学校の吹奏楽部がリハーサルをする音で「そっか、今日は音楽散歩だ」と気づくという。ちなみにこの日花祭窯は閉めていますので、お越しの際は、あらかじめご連絡くださいね♪

一方、2年目を迎える宗像ジャズ。たくさんの人に来て欲しいから入場無料!という、実行委員さんの心意気を感じるイベントです。お酒・フードの販売もあり、ドリンク片手に演奏を楽しむことができます。

MUNAKATA JAZZ 2019

  • 会場:統合停車場線(JR東郷駅宗像大社口からレガネット周辺)
  • 日時:2019年10月19日(土)16時-22時
  • 入場無料。
  • 公共の交通機関をご利用ください。
  • 問合せ:宗像ジャズ実行委員会(宗像市田熊4-11-23 Rococo内)

宗像ジャズは、実行委員の方々の熱意と地元愛、そこに共感する地元企業・店舗さんの協賛力の素晴らしさを感じるイベントです。企業も個人も公的機関も、垣根なく巻き込んでいくことで「わたしたちの街の、わたしたちのイベント」という意識を持つ方々が増えていく。地域イベントのあるべき姿を感じます。

福津・宗像エリアにお住まいの方はもちろん、そうでない方も、興味がありましたらぜひ足を運んでみてくださいね♪

十月の書道部。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

十月の書道部。

月一度「今月は何を書こうかな」と考えるのは楽しいもので。傍から見ると「なぜ!?」と思われる文字列も、それぞれ理由があることもあれば、まったく考え無しのこともあり。ともあれ決まりごとが無いのが、花祭窯書道部のよいところ。先日も同じ時間にお稽古している三名が、三様にまったく違うことをしていました。

今回のわたしのテーマは「不動明王」。思いがけず、この「動」の難しいこと。半紙を縦半分横半分に折って、中心線を意識しながら書くのですが、ブレます。「不動」の文字に反して動いてしまいます。十枚ほど書いて、これ以上書いても集中力が続かないな、というところでラスト一枚。

月にたった一度の書道部。そのうえ、わたしが集中して書いている時間は三十分もありません。「上達する」には程遠いお稽古時間ですが、それでもこの三十分のおかげで、文字や筆に対する姿勢が整えられるのを感じます。

読書『すごい論語』(ミシマ社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『すごい論語』(ミシマ社)安田登

花祭窯は、創業地の近くに孔子廟(佐賀県多久市)があったことがきっかけで、なんとなく「論語」との縁が続いていています。 今回も、本書を読んであまりにも面白かったので、このところお休みしていた「論語を声に出して読もう!」を再開することを決めました。

論語に関する本ですが、これまでに出ているものと同様の解釈本だと思ったら、肩透かしを食らいます。著者の安田登さんは、論語の専門家ではなく、能の世界の人。対話によって、より深く、より真理に近づこうという本で、対話相手の方々、いとうせいこう氏、釈徹宗氏、ドミニク・チェン氏もまた論語の専門家ではありません。だからこその、真理への飛躍が面白い本です。

著者がプロローグで「社会資源としての『論語』」と書いていました。なるほど論語に限らず、時代も国境も超えて遺ってきている古典は、まさに社会資源。これらの資源をよく生かすことができるかどうか、いにしえの著者に試されているような気がします。

以下、備忘


  • 欠落をもつ者だけが「君子」になれる(いとうせいこう氏との対話より)
  • 文字は「言葉を定着させる」呪術的なツールである (いとうせいこう氏との対話より)
  • 「表」と「裏」片方だけではダメで、両方必要 (いとうせいこう氏との対話より)
  • 衣食住の宗教性(釈徹宗氏との対話より)
  • 分からないものに自分を合わせる (釈徹宗氏との対話より)
  • 芸能・アートの宗教性 (釈徹宗氏との対話より)
  • いかに内在時間を伸ばすか (釈徹宗氏との対話より)
  • 外在化(ドミニク・チェン氏との対話より)
  • ヒューマン2.0 (ドミニク・チェン氏との対話より)
  • 和して同せず (ドミニク・チェン氏との対話より)


読みはじめる前にお名前を知っていたのは、いとうせいこうさんだけでした。が、他のお二方との対話も素晴らしく面白かったので、これから気にかけていきたいと思います。

エピローグで著者が現代の日本の状況を『「俺が、俺が」の世界』と称しているのを見て、ずいぶん前に読んだ、中島らもの本のなかにあった一文を思い出しました。らもの本たくさん読んだので、どれに書いてあったのか記憶が曖昧ですが。

曰く「俺が俺がの『我』を捨てて、おかげおかげの『げ』で生きよ」。登場人物のセリフで言わせていたものです。ストーリー全体としてはギャグというか、笑いながら読んでいたなかに出てきたセリフで、ふと我に返らされたのを思い出しました。

ともあれ、これだけの備忘録では、わけが分からないかもしれませんね。興味のある方は、『すごい論語』ぜひ読んでみてくださいね。

読書『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)山口周

ニュータイプと言っても『ガンダム』の話ではありません。と、わざわざ書くのは、わたし自身が「ニュータイプ=ガンダム」をイメージしたからにほかならず。現代を生きる我々への問題提起本です。

わたしにとって山口周さんと言えば『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』。今年はアートフェアアジア福岡のプレイベントで講演を聞くこともできました。

本書『ニュータイプの時代』は、七月の講演でお聴きした内容とほぼ重なっていました。講演ではその場に応じた解説や余談がたくさん入り、より理解しやすく共感につながったと思います。こういう心遣いを受け取ることができるのが、直接ご本人の口から話を聞く機会の、最大のメリットかも知れませんね。

かといって、本が難解ということではありません。各項とも「ああ、たしかに」とうなずきながら読むことができます。「なぜそうなのか」理由をより丁寧に説明するために字数の多くを割いている印象があり、「ひとりでも多くの人に、少しでも早く気付いてほしい」著者の思い入れの強さを感じました。

オールドタイプからニュータイプへの変容として、「問題を解く」から「問題を見つける」へ、「役に立つ」から「意味がある」へ、「ルール」から「倫理観」へ、「権威」から「問題意識」へ、「経験」から「学習」へ‥‥と色々出てきます。

なかでもわたしが「やっぱ、これよね」と思ったのは、「役に立つ」から「意味がある」へ。講演の中でも一番「うんうん」と思いながら聞いていた部分でしたが、本のなかでもやはり目に留まりました。

「役に立つけれど意味が無い」と「役に立たないけれど意味がある」

これは、わたし自身が伝統工芸・工芸美術の世界から現代アートの世界を二十数年眺めてきたなかで、まさに鍵となってきた概念でした。日本の伝統工芸を語るとき便利に使われる「用途美」という言葉があります。言い換えれば「意味があるうえに、役に立つ」ということですが、現代の伝統工芸産業界においては、言葉ばかりがもてはやされて、実際のモノはそれを体現することなく、本質が見失われつつあると感じています。今こそ、その過ちに気づくべきと、本書が代弁してくれている気がしました。

オールドタイプからニュータイプへ。わかりやすいカテゴライズで、読む人それぞれが今持っているモヤモヤを晴らしてくれそうです。

香椎宮献茶式と、野点

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

香椎宮献茶式と、野点。

毎年秋恒例の野点茶会。朝降っていた雨も上がり、気持ちの良い風が吹くなかでお茶をいただきました。いつも家路についてから「写真撮るの忘れた…」となるのですが、今回も。目の前の景色に夢中になり、つい「撮る」が後回しに。

香椎宮への献茶式、スタートは昭和22年といいますので、もう70年以上続いていることになります。献茶式の行われる香椎宮、野点の行われる報恩寺、茶道南方流の円覚寺との関係については、昨年の香椎宮献茶式のご報告に少し書いています。

神社本殿での禅寺茶道による献茶の儀。何度体験しても不思議な感覚に包まれます。南方流では「献茶」と呼ばれるものは、春の南坊忌、秋の実山忌と合わせて年に三回あるのですが、南坊忌と実山忌の際にあげられるお経は、香椎宮では神主さんによる祝詞になります。儀式が終わると、最後はお神酒をいただくのもまた神社ならでは。

今回のお茶席では和尚さんとご一緒でした。曰く、野点は南方流では一番最後のお点前であること。初伝に至るまでのお稽古に始まり、いろいろなお点前を学びお稽古を積みあげてここに至ること。野点では決まりごとのなかでの自由が重視されるということ。

論語の「心の欲する所に従えども矩を超えず(こころのほっするところにしたがえども のりをこえず)」を思い出しました。「思いのままに行動しても 決して道理を踏み外すことがなくなった」というほどの意味です。

茶道のお点前の作法には、決まり事がいろいろとあります。その決まり事が意味する本質を、何年もかけて何回も稽古することによって、体にしみこませることができたら、自由にやっても大丈夫な域に達するということなのだろうと理解しました。

二十年後、三十年後、あるいは五十年後、果たしてこの境地に至ることができるのでしょうか。今はまだまったくイメージできませんが、目指すべき姿があらためてはっきりとしたお茶会でした。

ありがとうございました。

郷育カレッジ:ふくつ散歩 福間南編に参加してきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ:ふくつ散歩 福間南編に参加してきました。

「郷育カレッジ」は福津市が誇る市民生涯学習の仕組みです。様々な分野で年間約100講座。福津市民または市内の事業所に勤務している人は、入会金500円と年会費1000円(+講座により材料費)でいくつでも受講できます。ただし、希望者の多い講座は抽選。近年は満員御礼の講座も多数です。

「ふくつ散歩」も人気講座のひとつ。市内の各地区で、地元のボランティアガイドさんが見どころを案内してくれるシリーズです。住んでいても、行ったことのない場所はたくさん。ふだん車で通り過ぎてしまうところにも、さまざまなストーリーを見つけ出すことができます。

最初に福間南での地域の取り組みなど現状のお話をお聞きした後に、散歩に出かけました。歩いた距離は3キロほどでしたでしょうか。道々ガイドさんが教えてくださった多様なエピソードで、これまで何度となく通った場所にも、少し違って見える景色が生まれました。

今回は「文化財めぐり」ということで、個人的には、亀山神社(古墳)、大日堂の大日如来とお不動さん、うがみ(八龍)神社の絵馬あたりが特に興味深かったです。お堂など、ふだんは閉めているところも、地域で管理なさっている方が、ふくつ散歩のために開けてくださって、拝観することができました。

ご協力くださいました皆さま、誠にありがとうございました!

花祭窯の庭師さん。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の庭師さん。

夏が過ぎ、草木が伸び放題の庭を手入れしなきゃね、と思っていたところに台風が来て、風に乗ってきた潮であちらこちらと枯れはじめ。いつもお世話になっている庭師さんに、助けを求めました。数年前に花祭窯の茶庭を整備するときからお世話になった方なので、どこにどんな草木が植えてあるか、すべてご存知。説明要らずの安心感です。

上の写真は、その庭仕事後。「2カ月後ぐらいに、好い感じになる」をテーマにスッキリ美しくなりました。ほんとうは今の時期だと水引草があったり、ヤブランがあったりと、もう少しにぎやかなのですが、潮で枯れはじめたため、思い切ってバッサリ。あとは、寒くなるまでに、どれだけ新しい芽が出てきてくれるか、です。

お仕事ぶりをみていて、「どこを残すか」で決まるのだなぁと、あらためて思いました。迷いなく手際よく枝を落とし、草を払っている、その瞬間瞬間に「どこを残すか」を絶妙に決めているのがわかり、すごいなぁと思いました。

これからが楽しみなサザンカの木の周りも、スッキリ。一日でここまで仕上げてくださった庭師さんに感謝です。

読書『書くことについて』(小学館文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『書くことについて』(小学館文庫)スティーヴン・キング著、田村義進訳

先日読んだ『読みたいことを、書けばいい。』に触発されて、「文字を書く」ことに意識が向いています。

スティーヴン・キングといえば、わたしの頭に浮かんでくるのは「シャイニング」であり「ミザリー」であり。小説を読むより先に映画を観てしまっているので、自動的にジャック・ニコルソンやキャシー・ベイツの顔が浮かんできます。

本書はタイトルからイメージする文章術の本であった以上に、スティーヴン・キングがいかにして「モダン・ホラーの旗手、スティーヴン・キング」になったかという自伝的な要素が強く、その人生がまた読み物として興味深いものでした。

巻末にある「補遺その二」に、「大原則は、もちろん、たくさん読んで、たくさん書くことである。」(『書くことについて』388ページ)とあり、文章術という側面については、このことをスティーヴン・キングから聞くことができたので大満足。

大御所のイメージのあるスティーヴン・キングが、自分と20歳ほどしか違わないことにあらためて気づき、驚愕するというオマケつきの読書でした。

朋有り遠方より来たる

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

朋有り遠方より来たる

また楽しからずや。孔子先生の論語に登場するなかでも、好きな言葉のひとつです。わたしはどちらかというと、友だち付き合いは多くない方ですが、気がつけば20年以上とか30年以上とか「長い付き合いの友人」が一人二人と増えてきました。

秋の一日、四半世紀を超える付き合いの友人が関西方面から来福。数年に一度我が家にやってくる彼女が遊びに来るときは、いつもお土産が大荷物です。その理由は「次に行くときにこれをもって行く」というものを、日ごろから集めているからだと言います。

関西ローカル色の強い雑誌や新聞の切り抜きであったり、どこかに遊びに行ったときに見つけたちょっとしたお土産物だったり。笑えるもの、わたしたち家族の「ツボ」にハマるだろうと思われるものが、日々ちょこちょこと集められているらしく。そして実際、彼女が遊びに来たあとは、これらのお土産を大いに面白がっているわたしたちが居ます。

気配りというほどのものでもなく、自分も面白がりながら、相手の楽しそうな顔をイメージして何かをする、そしてそれが外れていない。相手に気遣わせることなく、自然にこういうことができるのは、彼女のすごさだなぁと思います。

ところで、「福岡に来る」で来福。今更ながら「来福」って字面がとってもいいですね。

【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ!第7回「モダンスタイル」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ!第7回「モダンスタイル」

株式会社藤井設計室藤井昌宏氏を講師に迎えての「世界史を建築家の視点で学ぶ!」シリーズ第7回目のテーマは「モダンスタイル」。現代に直接つながる時代でした。

以下、備忘。


  • モダンスタイルと、それまでの時代の建築との間にある溝=現代に続く切実な問題。
  • デザインの要素が大きく変化した。
  • 窓、ベランダなど部品のバランス、配置のリズム、必要な要素・素材の組み合わせ、パターンの繰り返し。
  • 例えば、ベルリンの集合住宅=低所得労働者のために、政府が推奨した都市生活(平日は都市で働き、週末は郊外に出かける)。
  • 平面に広がっていた町を、縦に積み上げる。
  • 1920年代、第一次世界大戦後。
  • 〇〇イズム(主義)の出現。
  • 「モダニズム」と「インターナショナリズム(=反ナショナリズム)」。
  • あらゆる分野で才能を発揮するユダヤ人にとって、インターナショナリズムは隠れ蓑になった。
  • インターナショナルな動き=ユダヤ的思考の拡大が、(それを恐れる人たちによる)反対向きの動きにつながってしまった。
  • 歴史建築の軽視=時代の変化、施主の変化。歴史的建築を作れる場がなくなってしまった時代。
  • モダニズムの悪影響「低コスト建築の正当化」「デザイン手抜きの正当化」「合理的思考への偏執」「誠実でない建築家の台頭」。
  • ル・コルビジェ=モダニズム建築。素材の使い方、連続のさせ方、バランスよくまとめあげる力。
  • ファシズム、ダダイズム、構造主義、表現主義。
  • 自分のやることの後ろ盾としての、思想、哲学的考え方。
  • 建築・都市計画・モノのデザイン…すべて同列であり、いろいろやって当たり前。
  • どれだけ苦労して、どれだけ失敗してきたか、が差となって現れる。


話がいろいろな方向に広がり、つながりが前後した内容もありますが、講座内で話題になったそのままの順番でまとめています。

最初の「現代に続く切実な問題」という提起を、参加者それぞれが実感したからこそでしょう。意見交換タイムはこれまで以上に盛り上がり、時間が少々足りませんでした。

次回の第8回は、世界史を建築家の視点で学ぶ!シリーズのまとめ「人の住むところ」です。ここまでの7回で学んできたことの復習もかねて、とても楽しみです。