【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ!第8回「人の住むところ」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ!第8回「人の住むところ」

福岡ACAD.(ふくおかアカデミー)の勉強会。株式会社藤井設計室藤井昌宏氏を講師に迎えての「世界史を建築家の視点で学ぶ!」シリーズ第8回目のテーマは「人の住むところ」。本シリーズのまとめ回でした。

「設計の枠を超えて暮らしの可能性を広げる1級建築士」のキャッチフレーズを持つ藤井さん。今回のテーマ「人の住むところ」では、古代からの世界の建築、なかでも「住居」を視点に据え、地理・環境との関係で考える回となりました。

以下、備忘。


  • そもそも設計の仕事の動機は(藤井さんの場合)「わたしたちの生きる環境を、いかに良くしていくことができるか?」の実現にある。
  • 世界を見て回る・歴史に学ぶ:世界の人たちが、これまでどのような場所でどう生きてきたのかを知ることは、日本でこれから心豊かに暮らしていくためにどうしたらよいのかを考えるヒントになる。
  • 「なぜ、ここに住んでいるの?」
  • 水、外敵、塞(とりで)、異端、交易、港、運河…
  • 守る:迷路、城壁、僧兵、橋…
  • 他所の文化が入ってきてその土地に根付くには、既にある程度の文化レベルが無ければ難しい。
  • 現代日本の都市計画や建築基準(法律、思い込み)のあたりまえを見直す時期。

充実したスライド写真資料と解説で、今回もとても考えさせられました。7回をかけて建築の歴史を学んできたうえでの「住むところ」についての考察でしたので、より思考が深まったのだと思います。最後の意見交換は予定時間を延長しても足りなくなるほど。濃い3時間でした。

昨今の大規模自然災害が続発する環境のなかで、「住む人」としてできる(すべき)対策として、世界の歴史・叡智に学びなおすことの有用性、自分自身のこととして認識しなおす必要性を思いました。

まずは足元である自分の住まう地域の歴史をもう一度紐解くことの重要性。例えば、過去の「地名」に残されたヒントの解明など。まさに「なぜ、ここに住んでいるの?」の問いを突き詰めることによって、もたらされる解は少なくないはずです。

全8回、実に知的で面白い講座でした。広い視野と深い博識を惜しげなく披露してくださった株式会社藤井設計室の藤井昌宏さん、ありがとうございました!

【講座告知】ビジネスパーソンのための美術鑑賞

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

【講座告知】ビジネスパーソンのための美術鑑賞@朝日カルチャーセンター福岡

朝日カルチャーセンター福岡さんでの、秋の単発講座です。入会不要で受講料のみ(会員2750円、一般3300円、ともに税込)で受講ができます。5月に博多阪急さんで「ビジネスパーソンのための美術鑑賞」を開催しましたが、 時間が倍!さらに充実した内容です。

「アート×ビジネス」の最新動向をお伝えし、美術鑑賞がわたしたちにもたらすものを解説したのち、実際に「対話型鑑賞」を体験していただきます。対話型鑑賞は、じっくり1作品、時間が許せば2作品取り組めるといいな、と考えています。


ビジネスパーソンのための美術鑑賞

  • 場所:朝日カルチャーセンター福岡(JR博多駅前 福岡朝日ビル8階)
  • 日時:2019年11月14日(木)19時~20時30分
  • 講師:アートエデュケーター 藤吉有里
  • 申込:電話092-431-7751(10時-18時)またはwebから。
  • 受講料(事前払):会員2750円(税込)、一般3300円(税込)
    (※当日支払いの場合は、それぞれ+200円)


今回、「日中参加は難しい」という声にお応えして、時間帯も19時からの1時間半です。お仕事帰りにいかがでしょうか。

「ビジネスパーソンのための美術鑑賞」講座へのお問い合わせ・お申し込みは、朝日カルチャーセンター福岡までお願いいたします♪

朝日カルチャーセンター福岡(JR博多駅前 福岡朝日ビル8階) 電話092-431-7751(10時-18時)またはwebからお問い合わせください!

郷育カレッジ「世界遺産 新原・奴山古墳群を知ろう」参加報告。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ「世界遺産 新原・奴山古墳群を知ろう」参加報告。

「郷育カレッジ」は福津市民のための生涯学習の仕組み。様々な分野で年間約100講座あり、近年は満員御礼の人気講座もどんどん増えています。本日の講座もほぼ満席。福津市文化財課の池ノ上宏さんが講師を務めてくださいました。

「宗像・沖ノ島と関連遺産群」として新原・奴山古墳群が世界遺産登録されてから数年。同様のテーマで学ぶ機会は、座学・現地訪問等いろいろありますが、何回聞いても面白い。お話してくださる方の専門分野の違いによっても切り口が変わることや、発掘調査の進み具合によって新たな発見があったりするのも、その魅力かも知れません。

今回は個人的に、あらためて「世界遺産って何?」を考える時間となりました。「国や民族を超えて守っていかなければならない世界の宝物」に値するのかの判断の正否、世界遺産に登録することによって、ほんとうに「国や民族を超えて守っていく」ことにつながっているのか否か。

保存と公開・活用は美術館・博物館においても大きな課題のひとつです。教育普及の視点で考えると活用に目が向きがちですが、大前提として、「世界の宝物」を保存し後世に伝えていく使命があります。地域の人々がその価値を知り学ぶことが、まずは第一歩。

そのためには、地域の方がいつでも何度でも「新原・奴山古墳群」について 学べるよう、縦横無尽にいろいろな機会をつくることが必要だな、と思いました。

郷育カレッジもそのひとつ。福津市民の皆さまの講座参加をお待ちしています。

齋先生のブログを読んで考えた。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

齋(さい)先生のブログを読んで考えた。

学芸員の仕事のなかで「アート×教育」を学び実践しようとしたときに、わたしがもっとも影響を受けた先生が、齋正弘先生です。

初めて齋先生にご指導いただいたのは、2016年度の博物館学芸員技術研修会の「博物館教育」。それから毎年度、同技術研修会で受講の機会をいただき、齋先生の本拠地である仙台の宮城県美術館ではマンツーマンでワークショップを受け、昨年は津屋崎の浜辺で一緒に陶片拾い(笑)という、面白くありがたいご縁が続いています。

来月開催される今年度の「博物館教育」の講座を前に、事前準備のつもりで齋先生のブログを読んでいたら、日本での美術を取り巻く環境についてより深く考えねばと、課題を提起されました。

以下、備忘。


  • 生活の中にある極普通の美意識が、各個人に(意識的に)意識化されない
  • サブカルチャーが成立するためのカルチャーはどこに行ってしまったのだろうか。
  • なぜ絵(など)を描くのかについて、大人が考えなくなってきているのではないかと思える表現
  • 表現って、まず、見つめ続けたい対象を見つけ出すことから始まる。
  • 上手い絵の描き方ではなく、見えるものやことを使って、各自の頭の中にどのような世界を作るのかの練習
  • 善い作品は(中略)身の回りに溢れている。善いは、常に見る側の個人の内側現れるのだから。美意識ってそういうものではなかったか。
  • 何より対象をよく見ることから始める。まず出てくるものやことが、自分。
  • 図工ではない美術を伝える意識
  • 学校教育と社会教育の自覚と違い
  • 見ている人と同じ方向を意識的に見る。並んで見えるものだけが、使えるもの

(齋正弘先生のブログより)


齋先生が綴っておられる危機感は、わたしがモヤモヤと思ってきたことを明文化してくださるものでした。 わたしのアートエデュケーターとしての活動はまだ始まったばかりです。一人で出来ることはとても小さいかもしれませんが、まったくの無力ではないと信じて取り組んでいきたいと、あらためて思いました。

読書『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)山口周

ニュータイプと言っても『ガンダム』の話ではありません。と、わざわざ書くのは、わたし自身が「ニュータイプ=ガンダム」をイメージしたからにほかならず。現代を生きる我々への問題提起本です。

わたしにとって山口周さんと言えば『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』。今年はアートフェアアジア福岡のプレイベントで講演を聞くこともできました。

本書『ニュータイプの時代』は、七月の講演でお聴きした内容とほぼ重なっていました。講演ではその場に応じた解説や余談がたくさん入り、より理解しやすく共感につながったと思います。こういう心遣いを受け取ることができるのが、直接ご本人の口から話を聞く機会の、最大のメリットかも知れませんね。

かといって、本が難解ということではありません。各項とも「ああ、たしかに」とうなずきながら読むことができます。「なぜそうなのか」理由をより丁寧に説明するために字数の多くを割いている印象があり、「ひとりでも多くの人に、少しでも早く気付いてほしい」著者の思い入れの強さを感じました。

オールドタイプからニュータイプへの変容として、「問題を解く」から「問題を見つける」へ、「役に立つ」から「意味がある」へ、「ルール」から「倫理観」へ、「権威」から「問題意識」へ、「経験」から「学習」へ‥‥と色々出てきます。

なかでもわたしが「やっぱ、これよね」と思ったのは、「役に立つ」から「意味がある」へ。講演の中でも一番「うんうん」と思いながら聞いていた部分でしたが、本のなかでもやはり目に留まりました。

「役に立つけれど意味が無い」と「役に立たないけれど意味がある」

これは、わたし自身が伝統工芸・工芸美術の世界から現代アートの世界を二十数年眺めてきたなかで、まさに鍵となってきた概念でした。日本の伝統工芸を語るとき便利に使われる「用途美」という言葉があります。言い換えれば「意味があるうえに、役に立つ」ということですが、現代の伝統工芸産業界においては、言葉ばかりがもてはやされて、実際のモノはそれを体現することなく、本質が見失われつつあると感じています。今こそ、その過ちに気づくべきと、本書が代弁してくれている気がしました。

オールドタイプからニュータイプへ。わかりやすいカテゴライズで、読む人それぞれが今持っているモヤモヤを晴らしてくれそうです。

【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ!第7回「モダンスタイル」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ!第7回「モダンスタイル」

株式会社藤井設計室藤井昌宏氏を講師に迎えての「世界史を建築家の視点で学ぶ!」シリーズ第7回目のテーマは「モダンスタイル」。現代に直接つながる時代でした。

以下、備忘。


  • モダンスタイルと、それまでの時代の建築との間にある溝=現代に続く切実な問題。
  • デザインの要素が大きく変化した。
  • 窓、ベランダなど部品のバランス、配置のリズム、必要な要素・素材の組み合わせ、パターンの繰り返し。
  • 例えば、ベルリンの集合住宅=低所得労働者のために、政府が推奨した都市生活(平日は都市で働き、週末は郊外に出かける)。
  • 平面に広がっていた町を、縦に積み上げる。
  • 1920年代、第一次世界大戦後。
  • 〇〇イズム(主義)の出現。
  • 「モダニズム」と「インターナショナリズム(=反ナショナリズム)」。
  • あらゆる分野で才能を発揮するユダヤ人にとって、インターナショナリズムは隠れ蓑になった。
  • インターナショナルな動き=ユダヤ的思考の拡大が、(それを恐れる人たちによる)反対向きの動きにつながってしまった。
  • 歴史建築の軽視=時代の変化、施主の変化。歴史的建築を作れる場がなくなってしまった時代。
  • モダニズムの悪影響「低コスト建築の正当化」「デザイン手抜きの正当化」「合理的思考への偏執」「誠実でない建築家の台頭」。
  • ル・コルビジェ=モダニズム建築。素材の使い方、連続のさせ方、バランスよくまとめあげる力。
  • ファシズム、ダダイズム、構造主義、表現主義。
  • 自分のやることの後ろ盾としての、思想、哲学的考え方。
  • 建築・都市計画・モノのデザイン…すべて同列であり、いろいろやって当たり前。
  • どれだけ苦労して、どれだけ失敗してきたか、が差となって現れる。


話がいろいろな方向に広がり、つながりが前後した内容もありますが、講座内で話題になったそのままの順番でまとめています。

最初の「現代に続く切実な問題」という提起を、参加者それぞれが実感したからこそでしょう。意見交換タイムはこれまで以上に盛り上がり、時間が少々足りませんでした。

次回の第8回は、世界史を建築家の視点で学ぶ!シリーズのまとめ「人の住むところ」です。ここまでの7回で学んできたことの復習もかねて、とても楽しみです。

宮津大輔さんの「現代アート経済学」。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

宮津大輔さんの「現代アート経済学」。

朝から三越・オークラと、アートフェアアジア福岡2019の会場をはしごした後は、福岡アジア美術館ホールへ。アート・コレクター宮津大輔さんの講演の時間となりました。

「アートとはロジカルなものである」と言い切る宮津さん。現代アート価格の背景を紐解くことによって、現代の経済学的一側面をわかりやすく解説してくださいました。

以下、備忘。


  • アートとはロジカルなものである。
  • サウジアラビア「ビジョン2030」
  • 観光の目玉がアート。
  • 世界中どこへもっていっても「高額で換金可能」なもの。
  • 文化的ノウハウの輸出。
  • 「誰がその作品を持っているのか?」持つことで、その他の所有者(コレクター)と肩を並べる存在に登りつめることができる。
  • 2019世界のアート市場取引価格ベスト10に現存アーティストの作品が2つも入っている。
  • 優れた建築を維持していく努力。
  • 建物で人を呼び、中身(アート作品)で人を呼ぶ。
  • 上海。龍(ロン)美術館。
  • アート市場取引額シェアは、北米1/3、中国1/3、残りの諸国1/3。
  • 価格が定まらないものを買うのは個人である。
  • 九州でいえば、石橋・出光・田中丸。
  • 最近の顕著な成功例としては、直島(ベネッセ)、森美術館。
  • 成功要因の第一はリーダーシップ。
  • 離散させない努力。
  • これ以上壊してはいけない、流失させてはいけない。
  • 儲かるとわかれば人も金も政治もついてくる。
  • その価格には、その価格なりの理由がある。
  • ビーチと都市。貿易港=人的交流。

おっしゃることのひとつひとつがするりと腑に落ちて、気持ちが清々しくなる講演でした。大きな期待をもって聴講しましたが、その期待をはるかに上回る面白さでした。

プレイベントから数えて、なんども素晴らしい機会を福岡にもたらしてくださった、アートフェアアジア福岡2019実行委員の皆さまに、心より感謝いたします。

『新しい私 書店 通信』(三菱一号館美術館)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『新しい私 書店 通信』(三菱一号館美術館)

5月に訪問した三菱一号館美術館で見つけた『新しい私 書店 通信』。三菱一号館美術館のブランドスローガン「新しい私に出会う、三菱一号館美術館」をコンセプトに、ウェブ上に生まれた架空の本屋さんです。

たまたまそのオープン2周年記念冊子が発行されていたのを手に取り、持って帰ってきたのでした。よくよく読んでみたら、「新しい私に出会う」という三菱一号館美術館のブランドスローガンは、日本語と英語の違いはあれど、わたしがスタートしたMeet Me at Art と言葉も似ているし、根底にある思いととっても近そうだと気づき。

実際、ウェブ上の 新しい私 書店 を訪問してみると、その本棚には興味深いテーマの数々と、テーマに沿った本の紹介文が並んでいます。書籍紹介のサイトはいろいろとありますが、ここは「アートや文学」を考えたときに探してみたくなる場所です。

青年期に美術体験があるということ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

青年期に美術体験があるということ。

あるところでお題をいただいて、「青年期に美術体験があるということ」について、ちょっと考えていました。

まずは「青年期」というのはいつ頃を言うのかと思えば、ウィキペディアによると15歳から24歳まで。自分に置き換えてみると、中学3年生から大学を出て社会人2~3年目というところです。

次に「美術体験」とは、どんなことをいうのか。日本では美術やアートの体験というと、なにかを描いたり作ったりすること、すなわち「図画工作」をイメージすることが多かったように思います。でもここでいう美術体験は、そのような狭義のものではありません。

わたしは花祭窯のおかみという立場、そしてアートエデュケーターとして「描かない、作らない、だけど美術(の当事者)」ということをずっと言い続けてきたのですが、ここ最近、ようやくそれを理解してくれる人が増えてきたように感じています。

美術体験には、鑑賞体験も含まれていますし、個人的にはその「見る」ことのほうが大切だと感じています。そしてその美術体験は、例えば美術館や博物館などの「見るために用意された場所」での体験に限りません。

「普段暮らしている環境のなかに、どれほど『美術的』なものがあるか。生活のなかに、美術的な習慣すなわち美しいものに出会うために足を運ぶ習慣があるか」の大切さを思います。

青年期、つまり世の中のことが少しづつわかりはじめてくる多感な時期に、美術的なものがどれほど周りにあるかと、美術的な習慣があるかどうかは、その後のその人の人生に影響を与えると思います。それがあることで「普段の毎日を豊かに楽しむ」知恵がしっかりと身につくことを確信しています。

美術館・博物館・図書館でのおしゃべりは厳禁なのか?

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

美術館・博物館・図書館でのおしゃべりは厳禁なのか?

先日、いつも使っているカメリア図書館で、素敵な掲示が目に入りました。上の写真がそれ。

学芸員研修などで美術館・博物館の方たちとお会いするなかで、よく話題にのぼるものに「鑑賞マナーをどう考えるか」というものがあります。

走らない、大声を出さない、携帯電話は使わない、作品に触らない…いろいろありますが、実は「そんなに大きな声でなければ、おしゃべりするのはOKだと思う」とおっしゃる学芸員さんがほとんどです。気持ち的にはむしろ「展示を見て、作品についての感想を話しあったりして楽しんで欲しい」と。

ところが、実際に日本の美術館・博物館でおしゃべりをしながら観覧していると、それが展示作品に関連する内容であっても、展示室の監視員さんから「少し静かにしてください」と言われたり、声を掛けられないまでも、視線で牽制される(笑)ことが少なくありません。

話を聞いてみると、「静かに」というプレッシャーは多くの場合、別の観覧者の方からの要望が背景にあるようです。実際には、迷惑になるほどの話声であることは少ないようですが、どちらかというと「美術展は静かに観るもの!」という価値観に端を発していると思われるケースが多そうです。学芸員の方も板挟みになっているのですね。

カメリア図書館での掲示を見て、それぞれの館が、このように自館の意思表示を続けていくことが解決につながるかも!と、思いました。より展示を楽しむためにおしゃべりしながら観るのはOKですよ、という気持ちが伝わる掲示ができるといいですね。